仕事に生きると決めたのに、不惑になっても求婚してくる第二王子にほだされそうです。
長岡更紗
01.思いの丈
カツン、と第二王子の部屋の前で、私は立ち止まった。
私カトレアは、オルターユ王国の城内守護警備隊の騎士の一人だ。
二十歳の頃から二十年間、第二王子であるエスカー様の護衛騎士としてお仕えしている。
エスカー様が十歳の頃から、今日までずっと。そして、きっとこれからも。
私はそのエスカー様の部屋の扉を、コンコンと丁寧にノックした。
「エスカー様、お迎えにあがりました」
いつものようにそう告げると、即座に扉が開いてエスカー様が飛び出してくる。
「カトレア! 俺と結婚してく……」
「お断りいたします」
「今日、俺の誕生日なんだけど?」
「三十歳のお誕生日、おめでとうございます。しかしそれとこれとは話が別でございます」
私がスッと眼鏡をかけ直しながらそう申し上げると、エスカー様は大袈裟なほどにため息をついた。
「まったく、いつになったら俺と結婚してくれるんだよ……カトレアは俺のこと、どう思ってんの?」
「毎日同じことを言って、よく飽きないなと感心しております」
「それだけ?! 俺、もう千回以上カトレアにプロポーズしてるよな?!」
「正確にはエスカー様が二十歳になられた時から、今日までの十年間ほぼ毎日ですから、三六五〇回ほどですね」
「いい加減、折れてくれないかなぁ」
「いい加減、諦めてはいかがでしょうか」
語調を変えずに伝えると、エスカー様は少しむくれた。
大人になっても子供のようなところがお有りだが、私はそれを好ましく思っている。
他の王子たちにはない、エスカー様特有の無邪気さは、この城内には必要なものだ。
場を和ませる力を持ち、いつも王族と騎士たちの橋渡しをしてくれている。騎士でエスカー様を悪くいう者は一人としていないだろう。
「まぁ、振られるのも今さらか。とにかく出よう。俺の誕生日を祝ってもらわなきゃな」
「今日は、どちらへ? 何の予定も記されておりませんでしたが」
「それはカトレアが決めてくれ。俺の誕生日を、カトレアに祝ってもらうんだから」
「え、私が、ですか?」
私は思わず目を見開いた。
いつもなら、誕生日には盛大なパーティーを開き、豪華な料理や招待したご令嬢とダンスをしたりして一日を過ごしている。
王子の誕生日は政治的な意味合いも兼ねているから、前もって用意されているはずだ。が、たしかにこの日は何の予定もなかった。
「兄貴の結婚も決まったし、俺の誕生日パーティーは免除してもらった。毎年面倒だったしなー」
「王子の誕生日パーティーは、立派な外交の場でありますが」
「そういうのは、兄貴と弟に任せる! めでたく兄貴に子供でもできれば、王子って役割もお役御免だしな」
「そんなことはございません。そもそも王族のあり方とは、常から申し上げておりますように……」
「いいから外行こうぜ! カトレア」
「エスカー様! お待ちください! まだ話は……っ」
子どものように駆け出すエスカー様を追いかける。まったくこの方は、昔からちっとも変わっていない。
騎士として遅れのないように鍛えてはいるが、四十歳になるとさすがに体が重くなってきた。まだ三十歳で男盛りのエスカー様には、中々追いつくことができない。
城を出たところで、エスカー様は嬉しそうに私を待っていた。
「遅いぞ、カトレア!」
「私は帯剣しているのです。その分遅れてしまうのは当然でしょう」
「無理するなよ、肩で息してるじゃないか。引退して、俺と結婚するか?」
「しません!」
ふーふーと息を整えていると、熱気で曇ってしまった眼鏡を王子が取っていく。
それをスマートにハンカチで拭き取ると、私の耳に掛けてくれた。
「まぁ今日は一日たっぷりあるから、ゆっくりと口説くよ」
エスカー様は目を細めて笑い、街に向かって歩き始めた。
私は半歩だけ左後ろに下がり、王子の護衛をしながら着いていく。
チラリとエスカー様を確認すると、王子にしては少し日焼けをしている精悍な顔が、真っ直ぐ前を向いていた。
私がどこかに連れていかなければならないのかと思っていたが、結局は自分の思い通りのところに行くのだろう。王子はそういう方だ。
エスカー様に初めて結婚してと言われたのは、まだエスカー様が十歳の頃。二十年も前の話だ。
当時の私はまだ二十歳で、それなりに今より若く美しかったのだろうと思う。
子どもとは言え、王子の問いにどう答えようか悩んでいたら、王妃様に『適当に話を合わせてあげて』と頼まれたのだ。
だから私は、『エスカー様が大人になったときには、考えさせていただきます』と答えた。
だって、まさか本当に二十歳になったときに求婚されるとは思わないではないか。
エスカー様が二十歳になったとき、私は三十歳だった。
私は……騎士職が、護衛職が好きだ。
ずっとずっと、エスカー様の護衛を務めてきた。エスカー様のお付きの護衛は常に三人いるが、異動を命じられなかったのは私だけ。
どこへ行くにも、基本は私を連れて行ってくれる。理由がどんなものだったとしても、私はそれが嬉しかった。
エスカー様の後を着いて行くと、そこはコトリスの森だった。森とは言っても、開けた場所で管理もされている、動物との触れ合いを楽しめる場所だ。
こちらに気づいた子どもたちがエスカー様に群がってくる。これもいつもの光景。
「エスカーさまぁ!」
「エスカーさま!」
「みんな、元気そうだな!」
王子は嬉しそうに、子どもたちの頭をぽんぽんと撫でたあと、子どもたちと一緒に動物と戯れた。
シカやリスや子猿、子鳥も餌付けされていて、肩に乗ってくる。
「カトレアに、しょっちゅうここに連れてきてもらったなぁ〜」
小鳥に自分の手をついばませながら、エスカー様は懐かしそうにそう言った。
「王族がこのようなところに行ってはいけないと言われて、私は許可をもらうのに苦労いたしました」
「カトレアは、俺の無茶をぜーんぶ聞いてくれたからね」
「仕方がないでしょう。王子が絶対に行きたいと、連れていかなきゃ首にしてやるとおっしゃるんですから」
「え? 俺、そんなこと言ったっけ?」
「おっしゃいました。間違いなく」
エスカー様はハハと苦笑いして、頭を掻いた。
「首になんて、するはずないんだけどな。俺は昔から、カトレアが大好きだったから」
「そうですか。光栄です」
「ぜんっぜん嬉しそうじゃないし」
「こういう顔です」
くいっと眼鏡を上げて答えると、エスカー様は目を細めて笑っていた。私は王子にこの顔をされると、どうしていいか分からなくなる。
だから、もう一度くいくいっと眼鏡を上げて掛け直す。そんな私の肩に、リスが駆け上ってきた。そっと撫でてあげると、頬を寄せて嬉しそうにしている。
エスカー様はそんなリスの顔を、隣からちょんちょんとつついた。
「お前たちはいいよなぁ。カトレアに気軽に触れられて」
「何をおっしゃるんですか、私の方がエスカー様に気軽に触れられないのですよ」
「え、カトレア、俺に触りたかったのか?」
「いいえ、まったく」
「なんだよ……」
「いいですか、護衛騎士というのはあくまで護衛する者であって、必要以上に王族と接触することは……」
「あー、もういいって。ちょっと奥に行こう」
そう言ってエスカー様は森の奥に足をのばす。
少し先には小川が流れていて、ここですぶ濡れになって遊ばれては頭を悩ませたものだ。
ここまで来る人は滅多にいないので、二人の秘密基地のような場所だった。
「エスカー様、今日は川に入る準備はしてきておりませんので……」
「さすがに入らないって!」
「なら結構ですが」
「カトレアの中の俺って、いつまで経っても子どもなんだなぁ」
少し遠い目をした王子は、そのまま視線をゆっくりと私に向けた。
「カトレア、少し真面目な話をする」
「はい。私はいつでも真面目です」
「わかってる」
ずっと私の肩に乗っていたリスが、するすると降りてどこかに去っていった。
カサリ、と奥で何かの動く音がする。確認するも、今ここには私と王子の二人しかいない。
「俺が王子でいるのは、もう少しの間だけになる」
エスカー様の兄君であられる第一王子のジェイス様は、来月の結婚と同時にオルターユ王国の国王となることが決定している。
ジェイス様に男児が生まれたその瞬間、そちらが第一王子となり、王位継承権の第一位はエスカー様からそちらに移ることとなるだろう。それがオルターユ王国の決まりだ。
エスカー様と弟君は、直属の王族とは名乗らず、公爵としての地位に落ち着くこととなる。
そう考えると、確かに王子でいられるのは、もう少しの間かもしれない。
「しかし、ジェイス様にすぐにお子ができるとも限りませんし、もしもできなかった場合はエスカー様の子が王位継承権を持つ事に……」
「いや、もうできてるんだ。だから来月に慌てて婚儀をあげる事になった。秘密だけどな」
「あら……そうだったのですね」
しかし、女児しか生まれなければ同じことだ。この国では、王位継承権は男児だけであるのだから。
「俺は公爵となって、城を出ることになるだろう」
「まだわかりません。もしもジェイス様のお子が女児しか生まれなければ、やはりエスカー様は王族のまま、どなたかを迎え入れて男児を産ませなければならない義務が生じます」
私は客観的な事実を述べる。王族というのは、堅苦しいがそういうものなのだ。
楽天的なエスカー様だからこそ、きちんと伝えておく必要がある。無論、そんなことは私に言われずとも、百も承知であろうが。
「じゃあ、カトレア。俺と結婚してくれ」
「何をおっしゃっているんですか。私はもう四十です。子を望めるかわからない者を迎え入れるなど、王族のするべきことではございません」
「子どもができなくても問題ない。弟のシモンズがいるんだから、そっちに任せれば良い」
「エスカー様、あなたはジェイス様が王になられた時には、王位継承権第一位となるのですよ。そんな気構えで、どうなさるおつもりですか」
「俺には時間がないんだよ、カトレア」
時間がない。その発言に私は首を捻らせた。別に、王子は病を患っているわけではない。健康体そのものだ。それは私が一番よく知っている。
「どういう意味でしょうか?」
「その問いに答える前に、教えて欲しい。カトレアが俺のことを、どう思っているのかを」
「どう思って? 分かっているでしょう。私は王家に仕える騎士で、主従の関係です。確かに長年担当させていただいたエスカー様は、他の王族の方と比べると親しみは深いです。しかし、それだけでございます」
「それ、だけ……」
エスカー様は私の言葉の一部分を復唱し、顔を歪ませた。
そんな表情をされると、胸がツキンと痛む。しかし、他になんと言えば良かったというのか。
王族であるエスカー様と結婚など、考えられない。否、考えてはいけないのだ。
私はただの庶民の出自。釣り合う間柄でないのは、よくわかっている。
「俺は……カトレアのことが昔から好きだ。結婚するなら、カトレアしかいないと思ってきた。今も、そう思っている」
「エスカー様、それは……」
「カトレア、我が国における女性の王族護衛騎士の退役年齢は、本来いくつだ?」
「……三十七歳です」
王族護衛騎士の退役は早い。女性が三十七歳、男性は四十五歳までだ。その後に高職を用意されている場合が多いが、カトレアはそれを断り、護衛騎士でいることにこだわった。
男性は四十五歳まで働けるというのに、女性は三十七歳までとは、男女差別ではないかと言い張って。
ちょうど男女雇用均等が叫ばれている時期だったので、時流に乗れた形になったのは幸運だった。エスカー様の働きかけもあり、カトレアは特例で四十五歳まで護衛騎士として認められたのだ。
「なら、どうして三十七で退かなかった?」
「私はこの仕事が好きだからです」
「俺は来年には王族でなくなるかもしれない。その後、カトレアは身の振り方を考えているか? 他の王族の護衛を申し出るか?」
その問いに、私は首を振って答えた。護衛騎士として働けたとしても、数年すれば退役しなくてはいけない。
私よりも、若くて長く仕えられる者の方が良いだろう。
「エスカー様が王族を離れるとき、それが私の退役するときです」
「どう聞いても、俺を好きだと言ってるとしか思えないんだけどなぁ」
「そんなこと、一言も申しておりません」
「そうなんだけどさ」
そう言って、エスカー様は一歩私に近づいた。護衛しにくくなるので一歩引くと、王子もまた一歩近づいてくる。
「エスカー様」
「カトレアは、俺がどれだけあなたのことが好きか、わかってない」
「いえ、さすがに三千回以上プロポーズされては、わかっているつもりですが」
「いや、わかってないよ。ひとつひとつ、カトレアの好きなところを話してあげようか?」
「必要ございません」
「そういうそっけないところも好きなんだけどな」
好きと言われて動揺しそうになる心を押さえながら、私はくいっと眼鏡を上げた。
「その眼鏡を上げる仕草をする姿も、好きだ」
「眼鏡を掛けている人なら全員しておりますが」
「カトレアだからいいんだよ。淡々と話す声も。いつも冷静な口ぶりも。俺がわがままを言った時には、なんでも叶えてくれる手腕も」
「悪さをした時には、ちゃんと叱ったはずですが」
「そうやって嗜めてくれるところも、全部好きだ」
「……っ」
そんな言葉、聞きたくなかった。
聞いてしまっては、私の根底が揺らいでしまう。だから今まで、その手の会話は避けていたというのに。
「俺が兄貴におもちゃを取られて泣いてたとき、抗議してくれたの覚えてるよ。怖い話をされた時は、ずっと手を繋いでくれていた。初めての社交の場では、大丈夫だと背中を押してくれた」
「それは、当然のことをしたまでで……」
「俺がやりたいと言ったことを、反対せずに協力してくれた。相手が王でも王妃でも、誠心誠意頼み込んでくれていた……俺のために」
エスカー様の優しい瞳が、私を捕らえて離してくれない。
私は、エスカー様の望むことならば、なんだって叶えて差し上げたいと思った心は真実だ。否定などできなかった。
「俺はそこに、カトレアの愛を感じていたよ。身分差さえなければ、カトレアはすぐにでも俺の求婚を受け入れてくれるって、今でも思ってる」
「……」
言葉が、出てこない。
身分差さえなければ……なんてたとえ話など、したところでどうしようもないことだ。
でも、もし身分差がなかったとしたならば。私は、どうしたというのだろうか。
「だから、カトレア」
王子が私の手をギュッと掴んでくる。
いつもならばいけませんと振り払うのに、なぜか力が入らない。
「今日は、カトレアの本当の気持ちを教えてほしい。俺にはもう、あまり時間が残されていないから」
私を見つめるエスカー様の瞳は真剣で。その手は、かすかに震えているようだった。
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