第2話

「ただいま!」

「おかえり朱音」


 逃げるように晴翔の家から帰ってきた俺を、もうすぐ臨月をむかえるお腹の大きくなった母親が出迎える。スナックの雇われママとして、女手一つて俺を育ててきてくれた母は、店のオーナーの税理士だった10歳歳下の男と突然再婚した。しかも俺が聞いた時、既に妊娠までしているという、新婚の二人にとってはめでたい報告つき。


「今日は晴翔君の家泊まるって言ってたよね?晴翔君と何かあったの?」

「別に」


 何かありまくりだよ!と思いながらも、晴翔の事をこれ以上聞かれたくない俺は、冷淡な返事をする。


「まだ秀樹さん帰ってきてないんだ。ごめんね、折角秀樹さんと二人で過ごせる夜だったのに帰ってきちゃって」

「朱音…」


 傷ついた表情を浮かべる母に少しだけ胸が痛んだけど、そんな感情無視して、俺は今度は、母から逃げるように自分の部屋にこもった。



(あーくそ!)


 わかってる、全部全部、俺の子どもじみた嫉妬。分かってるけど、二人がお腹撫でながら話しているのを見ると、どうしても疎外感を感じて反抗的な態度しか取れなくなる。だから今夜、家に帰らなくて済む、晴翔の家での久々のお泊まり楽しみにしていたのに


「全部全部晴翔のせいだ!バカやろー!」


 そう叫びながら制服を床に脱ぎ捨てたら、下に晴翔のTシャツを着たまま帰ってきてしまったことに気がついた。


『俺は、朱音とキスしたいし触りたいし恋人になって色々したい!優樹じゃなくて、俺を好きになってよ!』


 それを見たら、晴翔の言葉がフラッシュバックみたいに頭を掠めて、俺は晴翔のシャツも速攻脱いで、部屋の隅にぶん投げる。とりあえず自分の部屋着に着替えた俺は、頭から晴翔とのことを追い出そうと、いつものようにベッドに寝っころがり、優樹が、最近好きなんだと言って貸してくれたバンドのCDを、ヘッドフォンをして爆音で聴きはじめた。

 

 こうしていると、その日の優樹の可愛い笑顔や、部活中、ランニングウエアの裾をめくって無造作に眼鏡を拭く姿、チラッと見えた腹から短パンにかけての引き締まったウエストやらを思い出して、そのまま優樹にキスして押し倒す不埒な妄想と自慰行為に入っていくことが多々あるのだが…


『だったら朱音もさ、俺が今朱音のことどうしたいと思ってるかわかるよね』

「ウワーッ!!」


 押し倒されていたはずの妄想の中の優樹が俺に変わり、自分にのしかかってきた時の晴翔の表情と声が再び脳内で再生される。


「無理!」


 俺はヘッドフォンを外し、一人ベッドの上で項垂れた。自分が散々優樹で妄想してきたから、晴翔が俺をどうしたいのか、手にとるようにわかってしまう。

 晴翔のことはもちろん好きだ。だけど恋愛感情の好きじゃない。凄く大切な親友だと、ずっと思ってきた。それに晴翔はずるい。晴翔は先輩の彼女と寝た。それはつまり、女でも反応するし女ともできるということ。


(でも俺は…)


 

 自分は男の方が好きなのかもしれないと不安になりはじめたのは、中一の時。小学生の頃は、晴翔と優樹とばかり遊んでいて、とくに女の子の話しもしていなかったから、優樹って可愛いなと思っている自分に気づいてはいたけど、そのことを別に変だとも思っていなかった。それが中学生に上がるとともに3人別々のクラスになり、また新しい人間関係もできてくる。

 思春期に入り、周りが当たり前のように女子の話しで盛り上がる中、俺はうまく周りの会話についていけなかった。


『一ノ瀬は誰が可愛いと思う?』


 同級生にそう聞かれた時、俺の頭に即座に浮かんだのは優樹で


『えっと…』

『俺は谷口が可愛いと思うんだよね!』

『わかる!しかも優しいし胸も大きい!』


 あの時、俺は頭に浮かんだ言葉をそのまま答えなくてよかったと心から思っている。もし正直に優樹と答えていたら、俺はきっと、クラスの奴らにおかしいと馬鹿にされていただろう。この日俺は、突然思い出したのだ。まだ俺が幼い頃、珍しく酒に飲まれて帰ってきた母が、泣きながら言っていたことを。


『あんたの父さんね、男が好きだったのよ。男が好きなゲイのくせに、私を騙して結婚したの!ほんとふざけんなよ!愛せないなら!最初から愛してるふりなんてするんじゃないわよ!』


 あれは、幼稚園か小学校低学年の時だっただろうか?母は愛情深く俺を育ててくれたけど、悪気なく無神経なところもあり、俺に女の子の格好をさせていた理由も、だってこんなにも似合うし、私本当は女の子が欲しかったんだもん!などと平気で言う人だった。


 小学校に上がってからは、朱音は自慢の息子だよと言ってくれるようになったが、今思えば、男である俺が、いつか父と同じになる事を恐れ、女の子だと思い込むことで現実逃避していた部分もあったのかもしれない。もちろん、全ては俺の想像で、母の本当の気持ちはわからないけど…。


 とにかく、母の言葉を思い出し不安になった俺は、なんとか違うと思える理由を探そうとした。エロ本なんて興味もないのに、クラスの友達から借りたり、グラビア雑誌を読んでみたり色々してみた。だけど結局、俺の心も身体も、女性の水着姿や裸には全く反応しなかった。なのに優樹のランニング姿や、TVに出ている好みの男性タレントには、否応なく心も身体も反応する。抗いようのない自分の本能的な感覚に心から絶望し、中2になる頃には、完全に自分がゲイであることを自覚していた。

 俺はやっぱり、家庭を壊し、母を傷つけた父と同じ種類の人間なのだと落ち込んでいた矢先、秀樹さんを紹介され、実はお腹に赤ちゃんもいると報告されたのだ。


『俺は必ず美咲さんを幸せにするし、朱音君とも仲良くしたい!』


 秀樹さんの第一印象は、いかにも体育会系の、真面目で純粋そうな男。彼を見上げる母の嬉しそうな笑顔を見た時、ああ、こういう、女を好きになれる真っ当な男にしか普通の家庭は作れないし、母を幸せにすることはできないんだと思い知った。


 反抗的にグレることでしか自分を保てなくなり、そんな俺を癒やし救ってくれたのが、優樹と晴翔の存在。特に晴翔は、家に居たくないならうちに来いよと、しょっ中誘ってくれて、女好きでお馬鹿なところもあるけど、俺は晴翔のことを、なんでも話せる大親友だと心から信頼していた。だから、優樹のことも、勇気を出して打ち明けたのに…まさか晴翔が、俺が優樹を見る目と同じ目で自分を見ていたなんて、全然気づかなかった。


『普通って何?』


 晴翔の真っ直ぐな問いかけは、普通ではないことに悩んでいた俺の心を突き刺す。だけど…。


『それに円香先輩と寝たことで気づいたんだよ、俺が本当にキスしたりエッチしたりしたいのは朱音なんだって』

(女の先輩と寝たことで気づいたってなんだよ!それってただ俺で男も試してみたくなっただけじゃねえの?)


 晴翔の好きなんて、やっぱり信じることはできない。晴翔は結局、普通に女の子ともできるからあんな事が言えるのだ。深く考えないあいつのことだから、実際俺としたら、やっぱり女の方が良かったとかどうせ言いだすに違いない。


(こっちはマジでタイプの男や優樹にしか反応しねえんだよ!人のファーストキスまで奪いやがって!バカやろー!)


 考えだしたらムカついてきて、もう寝て今日のことは全部忘れようと布団に潜り込もうとしたら、携帯が鳴っていることに気がついた。液晶画面には案の定晴翔の名前が表示されていたけど、俺はキッパリ無視を決め込む。俺がでるまでずっとかけてくる気だろうが、絶対出てやらねえ!と、俺はベッドフォンをして、今度こそ布団に潜りこんだ。


 普段なら、例えケンカしていても、俺が晴翔に折れて電話に出てしまう事が多いのだけど、期末が終わったばかりで寝不足気味だったのと、久々に部活をやって身体が疲れていたのだろう。俺はいつの間にか、本気でそのまま眠ってしまっていた。





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