第五節 マルゴー

町の内側としては港から最も遠く離れた山裾の一角に古い木造のアパートメント群がある、その辺りに最初に暮らし始めたのは使役から逃れてきた何人かの農奴で、丸太を並べて立て掛けただけの巌の穴に棲み付いた乞食同然の暮らしだった、やがて隷属が解かれる時代となり彼らを正当な対価の支払われる労働者へと転身させ、緩い斜面に仰け反るように建て増していった沢山の棟にはそうした者たちが移り住んだ。

町のいたる所に在る仕事場へ早朝から歩いて出掛ける者や荷馬車に乗り合わせる者など、見えない所で町の起動を維持するために男も女も一日中その身体を使いまくり、子供は初等教育程度には学べる窓でそんな自分の親の仕事を自慢し合った。

その一群のすぐ背中に始まる森は殆どが手付かずの儘に山の急な勾配に差し掛かる所まで樫や楢の梢が広がっていた、アパートのもう少し西側には遠く隣国へ続く山越えの道の始まる入口があり、そこから少し入ると樹々の影に隠れるようにほんの数件ほどしかない小さな村があった、その一番奥のとても古い一件家にその女は一人で住んでいた、男顔負けの馬力で木を伐り株を起こし、畑を作って一人で生きていける程度の穀物や野菜を育て、時には暗い内からそれを大きな背負い籠に入れて町に降り、港に揚がる魚なんかとも交換して暮らした。

「マルゴーの作る物ってあなたと一緒でほんといつ見ても大きいわね、それに美味しいときたらそりゃみんな欲しがるわよ、なんか絶対育て方に秘密があるでしょ」

キャラック船主の娘のマルガリータは広げられた野菜を選びながらいつも同じことを言う。

「あるわよ秘密なら、この私のぶっとい鼻毛をね」

と言って抜こうとするマルゴーに

「うひゃー、分かった、分かったからやめてよもう、そんなの振りかけられたら敵わないわ、ほんと面白い人」

大きな玉葱とビートを手にしたまま笑いながら、マルガリータはまだ仕事をしている港の女たちに向かって声を張り上げた。

「みんな早く買わないと無くなっちゃうわよ」

乗船員や港で働く者に自身もマルゴーと呼ばれて育ったマルガリータだったが、自分の愛称をマルガと言い換えさせてまで近しくしていたこの大柄な女が歳の離れた姉のような特別な存在になるのは、父親の仕事場である港を漸く独りでうろつき始めた頃、この辺りをゴロ巻く男三人が、まだ勝手の分からない港の隅で野菜を並べているマルゴーを邪険にして追い立てているのを少し離れたところから見ていた時、場所をより端の方へ移しそれでも荷物を広げようとするのにしつこく邪魔をして足蹴にしたジャガイモの一つがマルガリータの顔に当たったことに始まるのである。

「ほんとにすごかったんだから、私のとこまで飛んできて抱き上げてくれたのにびっくりしてすぐに泣き止んだら、その後がもうやばかったわ、一瞬よ、一瞬で三人とも海の中よ、まるで掴んで捨てるように、あれからよねあいつ等大人しくなっちゃってマルゴーを姐さんなんて呼ぶんだから、うっひゃひゃ」

この港でこの話を聞かない者がいないくらいに、マルガリータはもう十年も前の出来事を昨日のことのように感激して感動していた。

人柄を見込んだマルガリータの父親が港で働くようにと誘ったが、マルゴーは今のままで十分だと言って聞かなかった、既に名の知れた海運業を営む資本家だった父親のルミノクスの言葉は真摯なものでも、やはり住む場所から仕事までを好きにはできないものにしている階級制度がその頃のマルゴーの心に根ざすものを取り払う邪魔をしたし、それに山の手の寒村という最貧でありながらも自然に囲まれた穏やかな場所を離れたくはないと云うこともあったのである。

「持って帰る海の魚を村の人たちがとても楽しみにしているのよ、とくにお年寄りたちには食べて貰いたいから」

マルゴーはいつも籠の魚を大事そうにして早々に村に帰って行くのだった。


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