悪書

最初にそう囁いたのは下級叙階のとある祓魔師であった、何故そのような下位の聖職者の眼に触れることになったのかは知る由もないが、意味するところが助祭から司祭へ、そして司教へと聞こえ、時の指導者まで伝わった頃には評価は固まっていた。

銅版画の中で被昇天に至るまでの聖母を描いた絵は三十二枚あったが、その一番初め、受胎の御告げを授かるよりもっと先の、婚約するまだ前の少女の如きマリヤを描いた絵に瑕疵はあった。

草に腰を下ろし、回りに多くの動物や小さな生き物などが集い、やがては救世主の母となる乙女を皆が崇敬する賑やかで晴やかな図像、微笑むマリアのすぐ右隣に描かれた一角獣と、左隅でそれを見守るように降り立った御使いの足元にだけ塗り潰された小さな黒い塊が描き込まれていた、その影を表す闇黒が悪しき存在を表しており、この後の処女懐胎を貶める悪意あるものとして信仰する者を悶えさせたのだった。

公爵より贈られていた大司教の手元の一冊を直ちに管区聖堂内での検見に掛けることとなったが、集められた司教一同の目は例外無く禁忌を蔑ろにする悪書としての前提が既にあった、それが王権と教皇権の間に在る歴史的な齟齬を基としているかどうかは別にしても、古くから修道院内で作られる祈祷書を向うに回す貴族特有の奢侈なそれを心の奥底では快く思わないのが作用していたと云えたかもしれない、紐を切られて背バンドから剥され散々となった羊皮紙はそれぞれに拡大鏡を握るその何十の目で幾日も掛けて粗探しをされることになり、冷遇と手の温みで紙の歪みが戻らなくなった頃、公審判とされる絵の中央に佇む至上者として描かれた者の髪型が国王のそれと酷似しており、これぞ主君の死を暗示する私審判であると凡そ言い掛かりとしか思えない論結のなされたことが思いの外いけなかった。

当初は薄哂う公爵も、国王の任免する治安判事の動向を州長官から耳打ちされたことにより事態の重篤さを理解すると、抜く手も見せず全ての責任を直接依頼した地主へ擦り付け、地主は更に問題の絵を表した作家の名を警官の任を負うヨーマンに告げたのだった。

捕らえられたラティオは審問も程なく首を刎ねられ、曝された遺骸はさながらトランジと化した。

異端を睨む眼は当然の如くその家族に向けられ、瞬く間に死が肉薄してきた時二人はあの洞の中にいた、目覚めたミコは傍らで喪神する母に児が宿っていることを精霊の囁きで知った。


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