When?

ムラサキハルカ

When?

 ♂


 いつ、才波景さいばけいと出会ったのか。そう問われたとすれば西森和幸にしもりかずゆきは答えに窮する。

 顔を合わせたのを出会いと数えるのであれば、高校で同じクラスになった日だろうが、あいにく和幸にはその時の記憶が乏しい。元より人の名前を覚えるのが苦手であり、ましてや異性ともなれば印象はよりおぼろげになる。この時点でまだ才波景はその他のクラスメートだった。


 最初のはっきりとした才波景の記憶は、漫研の部室でともに少年漫画の戦闘シーンの話題で盛り上がった時のこと。いつの間にか同じ部に属していたらしい才波のどことなく上品さを感じさせる声と、窓から射す木漏れ日、硝子越しに見えたイチョウの葉の黄色さが印象に残っている。

「西森君ってけっこう面白いね」

 けっこうは余計だ。そう突っこみながら、和幸はこいつの話、なかなか楽しいな、と思った。


 それからさほど経たないうちにクラスでも才波と話すようになった。話題の中心は漫研の秋の文化祭用漫画でどのようなものを描くかという相談が主だったが、向こうが聞き上手だったからか、色々なところへ話は脱線した。昨日の夕食や、見ているアニメ、どんな漫画が好きかや、趣味や好物や血液型や星座。

 クラスの友人たちからは冷やかされもしたが、会話の弾みが気持ち良くてあまり気にならなかった。


 文化祭が終わった日。和幸の描いた空手家同士のどつきあい漫画を、迫力があると褒めちぎる才波の言に気を良くして、漫研の打ち上げの二次会といったかたちでともに学校を出て、ファミレスで数時間喋り倒した。和幸もまた、才波の描いた飛び降り自殺をする直前の少年少女の嬉しそうなやりとりを描いた短編に対してよくわからないけどすごい、という感想を口にした。西森君って馬鹿だね、と皮肉気に言われたものの事実であるのでさほど気にならず、ただ楽しさだけで満ち足りていた。

 それ以降、二人はともに帰ることが多くなった。


 ともに過ごす時間が増えたからか、程なくして付き合うことになる。年明けの帰り道の寒空の下、会話の延長線上で放った、なんなら付き合うかという、和幸の冗談半分の一言に対して、才波がおっとりとした目を細めながら照れ臭そうに頷き、交際がはじまった。和幸の感覚としてはなんとなくではあるが、状況はしっかりと固まっていたため、必然だったのかもしれないという気もしていた。


 付き合いはじめた後も、決定的になにかが変わったというわけではなかった。ともに過ごす時間は既にかなり伸びていたし、話すことも大きく変わらない。ただ、どことなく浮ついた感じが付き纏うようになったのもまた事実だった。

 朝は最寄駅で落ち合ったあと、ともに登校しそのまま教室まで直行し、どちらかの机でホームルームが終わるまで喋る。その際、お互いの親しい友人も交えることもあった。休み時間もお互いに用事がないかぎりは朝と同じようにだらだら過ごし、昼は学食に急ぎ足で行って窓辺の席を確保しともに食事をとる。午後の授業を終えたあとは漫研の部屋へと顔を出し、主につまみ読みしている週刊漫画の話題で時間を潰した。その後、まちまちの時刻で切り上げ、景と呼ぶようになった才波を今度は家まで送る。合間合間にその時々の宿題や漫研やクラスで任された委員などの面倒事が挟まるものの、大抵は似たような毎日だった。しかし、その似たような毎日というものこそ、何にも代えがたいものであると和幸は感じていた。


 学年が上がる直前の春休みにしたデートの最中。少し早めに咲きほこった桜並木の下で、和幸は景と口付けをかわした。送っていく途中になんとなく目が合い、そのまま重力に引き寄せられるようにして唇と唇がくっつく。深く接触していたのはほぼほぼ一瞬だったが、残った熱は今あったことが幻ではないのを伝えていた。

「しちゃったね……」

 唇に右人差し指と中指を添えながら言う景に頷いてみせる。その間、和幸の中でなにかが腑に落ちたような気がした。

 俺は今日という日を忘れることはないだろう。和幸はそう心から強く想った。







「しちゃったね……」

 そう告げた景は、頷いてみせる恋人の上気した肌を見ながら、頭のなかが徐々に澄み渡っていくのを感じた。

 クラスの自己紹介での気怠そうな西森の横顔とどこか暗い目に釘付けになった瞬間、そこから姿を追うようになり、しばらくしてから西森が漫研に入ったのを知り一月ほど悩んでからテニス部に退部届を出して漫研に入り直した時の決意、部員数の多い集団の中で島を渡っていくように付き合う人間を入れ返っていってようやく西森と話す機会を得た時の歓び、事前に調べ読んでおいた西森の趣味の漫画に対する反応から好感触を引きだし少しずつ個人的な情報も集めていっている途中の好奇心、西森の描いた学生にしては迫力がある劇画調の空手漫画に素直に感心しつつも自らの趣味全開で書いた漫画をよくわからないと言われた時の小さな落胆、ともに過ごすようになってしばらくしてから放たれた告白を冗談だと理解していたにもかかわらず本気だと受けとって逃げ場を無くした時の達成感、まどろみのような日常を和幸とともに楽しみながらも心の中に何かが少しずつ積みあがっていったこと。

 ……こんな、ものかな。

 頭の中で走馬灯のように流れた情報を整理した末に辿り着いたこの日の口付けを、景はどこか冷めた気持ちで受け止めた。

 状況には不満がない。むしろ、これ以上にない機会だったと景も考えている。和幸が満足してそうなのもいい。その顔は、景が自らの手で和幸に浮かべさせたかったものの一つだった。結果は申し分ないはずだ。それなのにもかかわらず心だけはついていかない。ただただ、我に返ったような感覚。

 照れ臭そうに手を握ってくる和幸とともに家路を歩く。一歩一歩踏みしめても、心は状況に追いつかなかった。


 学年が上がったあとも、和幸との付き合いは恙なく続いた。クラスこそ別になったものの昼休みをともにすることは変わりなかったし、放課後に漫研の部室に寄ったあとにはともに帰りもする。変わったことといえば、和幸側の積極性が増したことだろうか。以前より活き活きとしはじめた彼氏の表情に、景は戸惑いを覚えた。

 こんな人だったっけ?

 たしかに彼氏は、景の思い描いたような表情をしていた。初めて見た時の暗さを振り払う一助になれれば、というのはかねがね目標にしていたことであるはずだ。

 しかし、和幸が週刊のギャグ漫画の時事ネタに大口を開けて腹を抱えているのを見ている際、景は足並みを揃えるように愛想笑いをしながら、馬鹿っぽい、という蔑みの念を抱いた。昨年までなら愛嬌に繋がったはずのその愚かさに心底呆れていた。


 以前よりもぐっと近付いた距離感も戸惑いの元だった。和幸からの接触があからさまに増えた。

「暑苦しいってば~」

 最初に笑ってごまかした時は、夏が近付いているせいだと思い込もうとしたが、数を重ねていくにつれてはっきりと居心地の悪さを抱くようになった。その反面、和幸が持っている近付きたがっているらしいという気持ちは、つい先日までは距離を詰めていた景自身も持っていたものだったため表立って反対もできず、不満を胸の内で押し殺した。和幸も時々は景の機嫌を察してか、距離をとってくれることもある。そうなると景の方もついつい心を許してしまい、その隙に和幸はまた距離を詰めてきて、もやもやが蓄積されていった。


 どことなくこれじゃない感じを抱きつつも、彼氏彼女としてのあれこれをだらだら一通り済ませた夏休みの後、再び訪れた文化祭。和幸が描いた漫研の頒布冊子用の漫画を目にした時、景は虚無感をおぼえた。宇宙で切りあう剣士たちの物語の中身は、実質、去年の空手漫画と同じだった。絵自体の迫力はこころなしか増していたが、話には何ら成長が見てとれない。つまらなくはないがそれだけ。それが景の評価だったがそのまま言うのも憚られて、絵は上手くなったと密やかに誉めごまかした。

「よくわかんないけど、こう、なんか心に引っかかるものがあるな」

 昨年と同じファミレスでの感想会にて、景の漫画に向けられた言葉。森の中の共同体内で暮らす少年少女の中身のない会話を連ねた短い漫画のわかりにくさからすれば妥当としか言いようがなかったが、頭では理解していても、心が枯れていくのを押さえられない。少しでもなにかしらはっきりと察し、感じて欲しかったのだ。最後の抵抗と言わんばかりに具体的なところを聞きだそうとしたものの、結局、曖昧な話しか返って来なかった。


 その日をきっかけに景は和幸とともに過ごす時間を削るようになった。さほど仕事のない委員会での仕事や友人たちとの約束などの用事などの理由をつけ、昼休みや放課後に会う回数も減らし、漫研の方も実質、幽霊部員となった。断りの返事の度に浮かぶ和幸の寂しそうな顔がやや気にかかったものの、既に景の中には彼氏に対する耐え難さがあった。虫の居所次第ではその寂しさすら、情けない、と切って捨ててしまいそうなくらいに。


 必然として二人の仲は消滅した。いつ、と言われると景にもよくわからない。クリスマスの約束を断ったあとから和幸の方がなにかを察し、どことなくおずおずと接するようになったあたりが転機だろうか。そこからはすれ違うたびに挨拶こそかわすものの、歩き別れるようになった。その度に気まずさと後味の悪さが胸に広がっていったが、同時に小さな解放感もあった。


 春。久々に部を訪れた景は和幸が退部しているのを知った。追い出してしまったのかなとやや後悔しながら、

「ここが漫研だよ」

 手を引いてきた新しいクラスメートのぼさぼさとした髪の少年に話しかける。そこに浮かぶ鬱屈とした目と戸惑いに心が温かくなった。

 この子と過せれば楽しいだろうな。窓から射す小春日和の下、何の衒いもなくそんな期待を持った。

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