第三章 心の奥底で疼く何か
リラックスタイム
ゆっくりとお風呂に浸かったら考えも纏まるかしら?
それにしても脱衣所も広いわね。
でもここには一般家庭らしく縦ドラムの洗濯機が置いてある。
そこにホッとするあたしってやっぱり小市民だわぁ。
もしガラスの扉の冷蔵庫でも在って、牛乳とコーヒー牛乳といちご牛乳が入ってたらびっくりよ。
それと卓球テーブルとか在って……以下りゃ。
早速だけど師匠が渡してくれたタオルと着替えのTシャツや下着を籐の篭に入れて――服を脱いで――――髪はシュシュでアップに纏めぇ――
引き戸を開けて浴室に入りシャワーでざっと身体の汗を流し、椅子に腰掛けてボディシャンプーを手に取ったら首筋から肩、そして腕って順番に洗って行きましょ。
あぁっ! あんまり想像しないでぇぇぇ!
これでも乙女なんですからねっ!
太腿から
長い時間バイクに乗ってたから自分で思ってる以上に疲れてるみたい。
お湯に浸かって身体を温めたらマッサージしなきゃ。
ボディシャンプーをシャワーで流したらシュシュを外してそのまま髪を洗う。
シャンプーとコンディショナーは三種類も在って男性用と女性用の他に、低刺激な子供用のも在って可愛らしいボトルが印象的。
この辺りは温泉宿のお風呂と違って家族で使うって感じがするわね。
シャンプーを手に取り手の平で馴染ませた後、頭皮を優しく揉むように指の腹で軽く洗って一度濯ぐ。
もう一度シャンプーを取り同じ要領だけど、今度は念入りにマッサージするように洗ってくの。
あたしの髪はロングで少し手間は掛かるけど、頭皮をマッサージするってリラックス出来るのよね。
ヘアスタジオでスタイリストさんに優しくシャンプーして貰うのって凄く気持ち良いでしょ?
全身の力が抜けていって眠くなっちゃうくらいにね。
コンディショナーは頭皮にはなるべく付けないようにしながら、毛先を重点的に両方の手の平で抑えるようにして浸透させるってイメージで柔らか~く揉み込むの。
さっき脱衣所で髪をアップする前にブラッシングして気付いたけど、バイクに乗ってるといくら髪を纏めてても風で毛先が絡んだり、陽射しの紫外線なんかで傷むのよぉ。
バイクは乗るのは好きだし気持ち良いから仕方の無い事なのだけど。
やっぱり……ねぇ?
女の子として髪は綺麗で居たいでしょ?
髪は女の命とまで云われてた時代も在ったのだし。
あたしって癖っ毛だから余計に気を遣ってケアしないとなのよ。
ちょっと忙しくて髪のケアをお座成りにすると、すぐ纏まらなくなってボゥンってなっちゃうの。
ショートにしたらしたで、今度は寝ぐせ直しが毎朝とても大変だし……
それがあたしの悩みかなぁ。
小っちゃな悩みだけどねぇ。
洗った髪は再びシュシュでアップに纏めてからお湯に浸かりましょ。
手足を前に伸ばしてゆったりお風呂を愉しめるって素敵ね。
腕をプカプカ浮かべて『さらさらぁ』ってお湯を撫でると、浮力も在って実に気持ち良いわ。
仰向けで全身浮かべたらもっと気持ち良いけど、プールじゃないしお行儀が悪いからそこは自重するわ。やってみたいけどねぇ。
いぁ。本当はやりたいのを我慢してるのだけどねっ。
適度に身体が温まったら脚を太腿から脹脛までマッサージ。
そう云えば知ってる? 脹脛って第二の心臓って云われてるのよ。
何でも、心臓だけじゃ全身に血液を循環させるだけの能力って無いらしいの。
だから脚を動かす事に由って末端まで血液を送るのと心臓まで戻してるんだって。
長時間バイクに乗ってると脚ってあんまり動かさないから血液の循環が悪くなるんだわ。きっと。
あたしの脹脛が凝ってるのもそれが原因なのかも?
浴槽から上がって軽くシャワーで流すとタオルで髪と身体を拭う。
下着を着けてゆったりとしたアイボリーのロングTシャツに、コットンのふわってしたデザインでネイビーのパンツに着替えた。
ドライヤーで髪を半乾きくらいまで乾かしたらシュシュで緩く左側に纏めたわ。
今晩お借りするお部屋へ戻り着替えた服と下着を置いて、先程のお部屋に向かって歩みを進めてると師匠に声を掛けられたの。
「弥生。そっちの間は片付けは済んでるから居間の方に皆いるよ。だからそっちに行くと良いさね」
「えっ? はい。片付けが済んでるって事は、お先にお風呂を頂戴しちゃって何のお手伝いもしないで申し訳在りません。云って貰えればお手伝いしてからでも……」
「いや、良いんだよ。お前さんは今日ここまでバイクで来たんだから疲れてるだろ? それにあれだけ料理の方を手伝って貰ったんだ。それで充分さね」
「えぇ、そうなんですが。それでもやっぱり」
「気にする事じゃ無いよ。それより弥生が上がったなら、あたしも汗を流して来るとしようかね。悪いが彩華達にその旨を伝えて置いてくれるかい?」
「分りました。それはお易い御用です」
やっちゃった感が満載だわ……
少し考えればあのお座敷をお片付けをするなんて判るのに――
お風呂はそれから頂戴すれば良かったって、師匠と彩華さんに申し訳ない想いでいっぱいよ。
彩華さんにもちゃんとお詫びしないとね。
そう考えてあたしは居間の方へ足を向けたわ。
「彩華さん。お先にお風呂を頂戴してしまい、お片付けのお手伝いしなくて申し訳在りませんでした」
「もう。弥生さんったらぁ。硬い。もうカッチカチに硬いわよぉ。そんな事はどうだって良いの。今日はバイクで遠くまで来たんだもん、疲れて無ければ嘘よ。ねぇ、そうでしょ? 璃央君」
「そうですよ。彩華さんの云う通りです。僕でも東京からここまで疾ってくれば疲れます。だから気にしないで良いと思いますよ。それよりお風呂もなかなか凄かったでしょ? まぁ座って下さいね」
「有難う御座います。さっき婆ぁばにお逢いして同じ事を云われました。それと汗を流して来る旨の伝言を頼まれましたのでお伝えしますね」
「は~い、了解ぃ。それじゃ湯上りにはビールよね? はい。どうぞ」
「改めて乾杯って事にしましょうか。彩華さん、音頭をお願いします」
「皆、ちゃん干すのよ? はい。乾杯~」
「「乾杯」」
「あれぇ。間に合わなかったなぁ。でもまぁイイかっ。弥生さん、もうちょっと飲み直しましょう」
「透真、お前ほんと間が悪いのな。もうちょっと早いか遅いかすれば良いのに」
「それを璃央には云われたくないだろ。お前だって相当なもんだぞ?」
「そうねぇ。二人共タイミングの悪さは絶ぼぅ……壊滅的だものね。ふふふ」
「彩華っ。いま何てこと云おうとしてたんだよ」
「サー? ナンノコトカシラ?」
「ところで透真さんはどこに行ってらしたのですか?」
「紫音と綾音がウトウトしちゃってね、寝かし付けて来たんだ。それで乾杯に間に合わなかったって訳」
「まだ四つの子ですもんね。寧ろこんな時間まで元気だったら心配になりますよ」
「そうなのよ。あの娘達みたいな歳だと、お昼寝も併せて一日の半分は睡眠が必要なのよね。それに夜更かしされちゃうと、もう大変なのぉ。やっぱり子供は早寝早起きが一番」
紫音ちゃんと綾音ちゃんは眠くなっちゃったのね。
可愛らしい寝顔は視たかったけど仕方ないわ。
また明日遊べれば良いなぁ。
透真さんもやっぱりパパさんなのね。
彩華さんに任せっきりじゃなくて子煩悩な素敵なパパさんって感じよ。
こんな感じの普通な日常が、何にも換え難い素晴らしい人達の日常なのだわ。
眼の前にはあたしの求めてる世界が広がっていて。
手を伸ばせば届きそうで。それがここにある。
待って!
これってあたしの願望なのかしら?
あたしの日常では到底叶わない夢のようなものに?
どこまでが現実で、どこからが夢なの?
ねぇ、アタシさん聴いてるの?
《キイテル ケド イマワ コタエ テ アゲナイ》
真っ白な空間。声すら反響しない。
むしろ音が吸収されてるようなそんな感じがする。
答えは当然の事だけど気配さえ漂ってない静寂。
あたし自身で考えろって事みたいね?
いぇ。考えるのでは無くて感じろって事なのだわ――
「ねぇ、璃央さぁん。何でここに引っ越してきたんですかぁ?」
「何でって。婆ぁばと話してる内に使って無い小屋と土地が在るからって云われて、それじゃぁそこを借りて整備屋をやろうかって。農耕用車も整備出来たし何とかなるんじゃ無いかって思いましてね」
「そんなに簡単な事で? 信じられないっ! 簡単に決断出来るならそれまで積み上げた物は『何だったの?』って事になりませんかぁ?」
「何も全部ほかすって事じゃ無いんですよ。僕には整備の技術が在りますから、どこに行っても通用するだけの研鑽を重ねて来たって自信も在ったし。婆ぁばの『もう少し自分の為に生きてみたらどうだ?』って問いに対する僕なりの答えです。だからこそ誘いに載れたのですよ。」
「恰好良いですね。反則ですよ? お酒に酔ってそんなこと云うなんてね。悪い男ですよね? 璃央さんは。だからあたしは揺す振られるんじゃないですかぁ! 今日、皆さんと逢えて良かった。そうじゃなきゃ。あたしは――あっ、何でも無いです。ごめんなさいにゃん」
「にゃんって可愛らしいわぁ。私、こんな妹か娘が欲しいっ。時々子供みたいに駄々っ子になってみたり、堅苦しく挨拶してみたり。とってもチグハグで愛おしくなっちゃう。お義母さんも璃央君もそう思うでしょ?」
「偶には飲んで酔っ払ったついでに思ってること吐き出すのも良いストレス発散になるし、弥生も一人の人間として生きてるんだから何だかんだ在るんだろうさ」
「彩華さんみたく酔わない女性と違って可愛らしいね」
「酷いわねぇ……璃央君推し止めちゃおぅかしら。そうでしょ? 透真さん」
「そうだぞ。ちょっと云い過ぎだ。いいか璃央、彩華は酔わないんじゃなくて酔えないなんだ。そこを間違えてくれるなよ。なぁ彩華」
「透真さん。お黙りになった方が宜しいのじゃなくて? それ以上なにか云ったら明日はお弁当箱に百円玉が入ってる事になりますよ」
「ふうぅ……まったく困ったもんだ。彩華の眼は節穴なのかねぇ。こんな
「お義母さんもやっぱりそう思う? それが私にも最大の謎なのよぉ。あなたっ! 今度ゆっくりとお話ししないといけませんね。覚えておいて下さいな」
もしかして、少しあたしって酔ってる?
あぁ。うん。酔ってるわね。
特にお酒が強いって訳じゃないけど、まだ酔うほどの量じゃ無かったと思ってたのに――
勢いも在ってか璃央さんに絡んじゃって嫌われたらどうしよう……
でも可愛らしいって云ってくれたし、何か嬉しいわねっ。
こんな風にお話しさせて貰って何だかあたしの顔がニヤけてる気がするの。
確かに愉しいけどそれだけじゃなくて、でもそれが何なのかはっきりしないのよ。
だんだん考えるの面倒になって来たわっ。
やぁ~めた! もう考えないっ。酔ってるんだから考えたって無駄よっ。
全~部っお酒が悪くてお酒の所為なのっ。
そーゆー事でオッケーでしょ?
「ヴェスパ乗せてくれるんですよね? いつでも良いって云いましたよね? 本当ですよね?」
「おっ! いきなり来ましたねぇ。いつでも良いですから早速だけど明日の昼間に乗ってみますか?」
「それなら明日の朝、璃央君が帰る時に後ろに乗って行けば良いんじゃない? 恋人みたいにギュってちゃんと掴まってね」
「やだなぁ。彩華さん。まだ恋人じゃないですよぉ。もうぉ」
「まだって云ったねぇ。良いじゃないか璃央。こりゃぁ脈が在る証拠なんだからさっさと言質取って弥生を嫁に貰いなっ」
「お義母さんの云う通りよ。こう考えたら良いのよ璃央君。これはチャンスなの。こんな可愛らしいお嫁さんなんて滅多に居るもんじゃないし、お料理だって上手だから侘しいカップ麺と冷凍食品の食生活から解放させるの。考えなくたって最高でしょっ」
「ちょっと待ってよ。それって俺だけで成立するような話しじゃ無いんだし、二人共先走り過ぎだって」
「なによぉ。あたしじゃ嫁にするには不足なんですかぁ? あたしだってねぇ……怒っちゃいますよ? いえ。怒ったわ。もう璃央さんなんて璃央で充分ヨ。もう
「早々に白旗揚げちまいな。母さんと彩華まで弥生さんのセコンドに付いてるんだから。三対一のアウェイじゃ勝ち目なんて万が一にも無いぞ?」
「透真さぁ。婆ぁばは兎も角として彩華さんだけでも何とか抑えるって選択肢は無い訳?」
「無いな。当然だろ」
「即答かよ。よっぽど明日の弁当の方が大事なんだな。呆れるよ」
「それでどうなのよぉ。璃央。あたしじゃ不足な訳なの?」
「弥生さん……酔ってるねぇ。俺としては面白いから良いんだけど、酔った勢いに任せて色々云っちゃうと、明日の朝には後悔しちゃうと思うけど大丈夫?」
「何よもう。璃央君ったら煮え切らないわねぇ。女の子がここまで云ってるのよ? ちゃんと答えてあげなさいよ」
「彩華さん? 相当面白がってるでしょ? そんな満面の笑顔で云われても説得力ないからね」
「あらやだぁ。なんだ解っちゃうのかぁ。半分くらいは面白がってるけど、真面目な話し弥生さんを逃がしたら後悔する事になるんじゃない?」
あれ? 眼の前が暗くなってるのだけど、停電って訳じゃ無さそうよね。
お話しの内容までは解らなくても皆さんの声は聴こえてるし。
愉しそうに笑ってる声みたいだから、きっと停電じゃないわね。
身体がふわふわしてる。
それに何か温かい。
安らぐって云うの?
気を抜いたらそのまま深淵まで堕ちてしまいそう……
どこまでも深く堕ちてしまいそうよ。
でも、どうしようも無くて抗えないけど――
「弥生さん、随分疲れてたみたいでスイッチを切ったように眠ってしまったね」
「仕方ないわよ。今日は遠くから来たし色んな事がいくつも在ったのだもの。璃央君、部屋までお願い出来る?」
「了解。ちょっと布団に寝かせて来る」
「解ってるだろうけど、変な事するんじゃないよ」
「婆ぁば解ってるよ。女性の尊厳を蔑ろにするような事はしないから」
「それなら良いんだよ。早く布団で寝かせてやんな」
「それじゃ紫音と綾音も気になるし俺もそろそろ休むよ。彩華はまだゆっくりしてて。おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
「透真さん。お願いしますね。おやすみなさい」
身体が浮いてる。そして規則的な鼓動も響いて来るわ。
それはまるで胎児のように水の揺り篭の中に居るみたいな感じなの。
心地好くて凄く安心できるから全てを委ねてみたくなる。
抗えないならいっその事、委ねてみても良いわよね?
ヤット テイコウ スル ノ ヤメタ ノネ。
ここはどこなの?
コレ ワ ユメ ヨ。 ジカン ワ アル カラ ユックリ ハナシマショ。
「璃央の事はどう思ったかい?」
「そうねぇ。璃央君はいつもより饒舌だった気がするわ」
「やっぱり彩華もそう感じたかい。それじゃぁ弥生の方はどうだい?」
「珍しいわね。お義母さんがそう云う事を聞くなんて」
「あたしゃぁ何でも解るって訳じゃ無いんだよ」
「違うのよ。そう云う事じゃないの。お義父さんもそうだけど、特にお義母さんは感覚に忠実って云うか自分の感覚を信じて考えたり行動するでしょ。でもそう云うのって私みたいな凡人には理解が及ばない事も多いのよ」
「あたしゃ当たり前にしてる事だからピンと来ないけど、そう云うものなのかねぇ」
「それに璃央君も弥生さんも同様で、そういう感覚を優先するの人だと思うの。弥生さんの盛付けを視たでしょ? もうあれは頭にあるイメージをそのまま形に出来る芸術家気質の人なんだって感じたわ。だからお義母さんが感じてる事に間違いは無いって思うわよ」
「そうかい。そう云うならそうするとするかねぇ」
「もう一つ付け加えるなら、紫音も綾音も初めて逢ったばかりなのに、あんな感じで懐くなんて珍しいんじゃない?」
「たしかに珍しいねぇ。チビ共は初対面でも物怖じしないけど距離を測るように観察してるみたいな所があるから、弥生みたいにべったりなんてのは璃央の時くらいのもんだったよ」
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