火種の元

 お造りにするお魚のサヨリは彩華さんが三枚卸しにして、昆布〆したらバットにラップを掛けて冷蔵庫で寝かせる。

 こう云うひと手間を当然の如く掛ける辺りが、経験と云うか、熟練と云うか、手熟れてるわね。

 師匠は桂剥きに取り掛かって、包丁の刃より少し短い長さに切った大根をゆっくり回しながら短いストロークで包丁を動かしてるの。

 向こう側が透けて視えるほど薄く均一に剥かれた大根は、水を張った大き目のボールに吸い込まれるように落とされて行く。

 ある程度の長さになったらカットして畳んで千切りにして行くのだけど、この千切りは彩華さんが担当ね。


 お次は師匠の十八番らしい人参の飾り切り。

 小さめの包丁を持ち換え、流れるように形を整える様は『お見事』って言葉以外形容し難いわね。

 少し違うかもだけど、刃物の扱いに長けていてさすが彫刻のお師匠様って感じよ。

 桜の花に見立て可愛らしくも上品でお料理に映えるわね。

 

 桂剥きの他にお造りのツマにするキュウリの飾り切りをするのだけど、これは通称で『木の葉』って云う切り方をするわ。

 真っ直ぐに薄刃の包丁を当てないと落ちちゃうけど、練習すればそれほど難しくないからあたしの担当よ。

 これでも少しくらい包丁を使えますのよ。おほほ。

 なんてねぇ。

 これで殆んどの切ったりする工程の支度は整ったかしら?



「彩華。そろそろ紫音と綾音を起さないと夜になっても眠らなくなっちまうよ」


「もうそんな時間? ありがとう。お義母さん。ちょっと起こして来るわね」


「行っといで。ところで弥生は烏賊を捌いた事在るかい?」


「大丈夫です。任せて下さい。何バイ捌けば良いですか?」


「酢の物に使うだけなら一パイも在れば充分なんだけど、それだと下足と肝が半端なっちまうから、二ハイ捌いて使わない分は塩辛にして一晩寝かせ置くかねぇ」


「塩辛はお酒にもご飯にも相性が良いですよね。柚子の皮を刻んでトッピングしたりすると苦手な方でも美味しく戴けますし」


「鮮度が落ちてるのは塩辛にすると不安だけど、いまの内なら問題ないだろうさね」


「これは立派な烏賊ですね。まだ赤黒い肌してるのは新鮮な証拠ですし、とても美味しそう」


「ほぉ、弥生は魚の目利きも出来るんだねぇ。湯引きしたり塩辛にする鮮度ならその程度で充分だが、本当の烏賊の旨味は肝に在るんだよ。それを存分に味わうなら活きてないとね。肝心とはよく云ったもんだよ」


「烏賊の肝を使ったお料理って塩辛と……他は火を通すお料理くらいしか思い当たらないですね」


「肝が一番美味しく戴けるのは何と云っても沖漬けだよ。こればっかりは活きてないとどうしようもない」


「沖漬けですか。確かに活きてないと漬かりませんよね」


「そうさ。沖漬けは漬かってから捌くんだけど、肝だけは一度冷凍してからルイベで日本酒とるんだよ。これが在れば熱燗でも冷やでも倒れるまで飲んじまうのは請け合いさね」


「それは美味しそうですね。是非あたしも沖漬けのルイベを肴にして酔い潰れるまで呑んでみたいです」


「ほぉ弥生も飲れる口かい? 良いじゃないか。こりゃぁ今晩が愉しみだよ」


「あっ。でもあたしは嗜む程度しか」


「はんっ。嗜む程度がどれ程のもんか見定めてやるさね。同じ嗜むでも彩華のは度を越してるがねぇ」


「彩華さんってお酒もお強そうですもんね」


「ありゃ、ざるどころかとんだ蟒蛇うわばみだ」


「お義母さん。人聞き悪いですよぉ。私を蟒蛇だなんて。お義母さんこそ大虎なのにぃ」


「蟒蛇ついでに小虎のお前さんに云われたかないよっ」


「彩華さん、もう良いんですか?」


「大丈夫よぉ。いまは顔を洗わせてるから直ぐに来る筈」


「失礼になるかもなんですが……彩華さんのイメージがあたしの中でドンドン女帝に傾いて行ってるんですが」


「あらっ! やだぁ。もうっ。この家には女帝なんて居ないわよぉ。お義母さんも私も夫を立てる古臭い女なんですもの。ここ重要よっ。男を立てるじゃないの、『夫を立てる』なの。ふふふ」


「未熟者なあたしには大変勉強になります。ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします。ふふ」


「ママぁ のど かわいたの。リンゴの あれ ありゅ?」


「紫音と綾音。持って行ってあげるから居間に居なさいね」


「あいあいさぁ」



 紫音ちゃんはパタパタと小走りに行ったけど、綾音ちゃんはゆっくり歩いて行ったのが少し気になってしまうわねぇ。

 紫音ちゃんの様子はお昼寝前と変わらないけど、綾音ちゃんは無口でボォっとしてた感じだったわ。

 もしかして寝起きだから少しご機嫌斜めなのかしら?

 それともまだお昼寝が足りなかったとか?

 こう云う些細な事でもちょっとずつ違くて面白いわっ。


 可愛らしい樹脂製のカップを持って彩華さんが居間に向かう姿を何となく眺めているのだけど、やっぱり小さな子供には樹脂製のカップなのね。

 プリントと色が違う位で、デザインはあたしが子供の頃に使っていたカップと代り映えしないのはちょっと思う所が在るわ。

 紫音ちゃんと綾音ちゃんにもっと素敵なカップをプレゼントしたいかも?

 勿論、樹脂製なのは前提で。

 あっちに帰ったら早速探してみましょ。



「それじゃぁ仕込みを済ませてしまうかねぇ」


「そうですね。続きは何から始めましょうか?」


「捏ねたら少し寝かせて置きたいから、つくね種から片付けてしまおうじゃないかい」


「分かりました。お手伝いします。この刻んだお野菜とお肉を捏ねていけば良いですよね?」


「焼き物に使う方のは混ぜる程度にざっくり捏ねてたら、胡麻油と片栗粉で調整しながら粘りが出るまでやっとくれな」


「了解です。凄く薫り高いお料理になりそうですね。あたしは焼き鳥屋さんのつくねしか食べた事ないので、未体験なお味な気がして愉しみなんですよ」


「一般的な料理でも何でも工夫次第ってもんだ。これで完成ってのは無いんだよ」


「そうですね。いつでもその先を目指して行かないとって事と同じですね」


「お前さんもちゃんと解ってるじゃないか。それは彩華にも当て嵌まる事だけどねぇ」



 あたしにつくね種を任せると、師匠はお出汁を採ったり烏賊を湯通ししたり、お酒や味醂を煮切る為に小鍋をストーブに掛けたりしてる。

 煮切って熱いまま使えるお料理も在るけど、冷ます必要の在るお料理も作るから予めやって置くのは合理的だわ。

 こう云うのってついつい忘れがちなのよねぇ。

 お料理の途中で必要な時に『失敗したぁ』って慌てないように手順に加えて置くのは転ばぬ先の杖だと思うの。


 つくね種を捏ねてるあたしはと云うと、いい感じに粘りを帯びてきたから師匠に捏ね具合や堅さを確認して貰って合格を戴いたわ。

 お次はお椀用の種に取り掛かる事になるのだけど、こっちは胡麻油の代わりに清酒と片栗粉で粘りや堅さや調整するのだと教えて貰ったの。

 匙加減は焼き物用と同じで良いとの事なので、同じ要領で下拵えをしたわ。

 これで二種類のつくね種は仕込み完了して、ボウルのままラップを掛けたら冷蔵庫で寝かせて暫しおやすみぃって感じ。


 続いてあたしは酢の物の下拵えをしましょ。

 短冊に切った胡瓜を塩揉みして流水に晒したら、サラシで包んで軽く水分を絞るとしんなりして余分な水分と一緒に青臭さも抜けるの。

 そこに下茹でして食べ易く切った葛切りと、ミディアムレアくらいにサッと湯通しをして粗熱取った烏賊を併せたら調味酢で和える。

 彩りも兼ねて烏賊の皮は敢えて剥いてないから、赤くなった皮目と切り口の身の白さのコントラストが映えて、ちょっと野性味の在る漁師さんのお料理みたいな感じに仕上がるわね。

 これも冷たいお料理だから冷蔵庫で美味しくなって貰おうかしら。

 最終的には器に盛ってから仕上げに酢味噌を掛けて、針生姜とおろし金で粉状にした柚子の皮をトッピングする予定なの。



「紫音と綾音は大人しくしてるのかい?」


「ええ。丁度あの娘達の好きなアニメが始まる時間だから終わるまで釘付けになってくれてるわ」


「台所をこまいのがウロチョロすると動き難いからそりゃぁ好都合だ」


「そうよねぇ。包丁もやたらと置けないし火も使うから。今日の所はアニメさまさまって感じね」


「忘れる所だった。彩華や、璃央に電話して今晩早く来れそうなら早目にって伝えて欲しいんだよ」


「あら。急用? だったら直ぐ来て貰った方が良いんじゃない?」


「急用じゃ無いんだが、さっき視たら割って在る薪が少なくてねぇ。明日の朝は釜土を使ってと思ってるんだよ。その薪割りを璃央に頼もうと思ってるんだ」


「そのくらい私やりますよ? この時期なら他に使わないし明日の分だけで済むのでしょう」


「そりゃそうなんだが。晩の料理の事も在るから手が有っても邪魔にならないだろ?それに紫音と綾音の子守りにもなる。チョロチョロされると揚げ物するのに危ないからねぇ」


「それもそうね。解りました。璃央君にお願いしてみますね」



 師匠の視野って広くて状況判断が的確な上に、早目、早目に手段を講じるなんてあたしも見倣わなきゃ。

 それにしても……

 朝に釜土に薪?

 このキーワードだと……

 きっとご飯ねっ!

 釜土で炊いたご飯なんて、数えても両手で足りるくらいしか口にした事ないと思うわ。

 美味しいのよねぇ。凄くっ!

 でも釜土なんて見当たら無いけど、いったいどこのに?



「お義母さん。璃央君が早目に来て薪割りしてくれるって。何でも弥生さんのバイクの作業が思ったより順調だから予定してたより早く来れるんだって。助かるわね」


「確かにねぇ。もっとも偶にしか口に入らない璃央の大好物だから早起きしてでも割るだろうよ。漬物と味噌汁が在れば何杯でもお代わりするぐらいだし」


「その通りかも。普段から口数の少ない璃央君が完全に無言で食べるもんね。ふふ。可愛いわよぉ」


「あたしっ。釜土でご飯を炊いた事が無いので見学させて下さい。勿論、お手伝い出来る事が在ればします」


「そうかい。その代わり朝は早いよ。覚悟するこった」


「当然です。でもワクワクしちゃって眠れないかも知れませんけどね」


「弥生さんも可愛いわぁ。あ~ん。もう。璃央君と弥生さんくっ付かないかしらっ! どぉ? どぉ?」


「そっ、それはぁ。璃央さんにも選択権が在る事ですし……ねぇ?」


「璃央に選択権なんてもんを与えたらあいつは一生あのままだよ。ああ視えて璃央の奴は根っからの自由人なんだ。弥生も店のインテリアは視ただろ? あんなに商売と関係ない物ばっかりで飾り立てるなんて前代未聞さね。誰かが手綱握ってないとどこに跳ねて飛んでくか解ったもんじゃないよ」


「そう云えば婆ぁばに『ここはいったい何屋なんだって呆れられてる』とか云ってましたねぇ」


「そう云う奴なんだよ。自由人。それが璃央の本質だぁね。放っとくと好き放題したがるんだよ。と、弥生。お前さんも同類だよ。璃央ほどじゃ無いにしても同じ匂いのする娘だ。だからこそ璃央の事を理解してやれるとあたしゃぁ感じてるのさ。まぁそれはさておき、今日は本当に面白い拾い物したよ」


「そうね。月詠家に深く関わる人って常識的なだけの人では無理ねぇ。それは私も含めてなのだけど。何たって現当主夫妻が揃って芸術家なんですもの。御当人の二人は職人だって譲らないけどっ」



 あらまぁ。師匠と彩華さんの璃央さん推しが凄いわね。

 璃央さんは優しそうで良い人だと思ってるけど、まだ出逢ってから数時間だし……

 お話しの流れで凄い逸話も聴いたけど。

 もしこれであたしが恋愛感情とか抱いちゃったりしたらチョロ過ぎちゃうわよね。

 いくらあたしでもそのくらいの理性は残ってる。

 って信じたい――――


 でも、彩華さんったらぶっちゃけ過ぎじゃない?

 月詠家には常識人は居ないって云ってるのと同義だけど……

 後で師匠に怒られちゃったりしないのかしら?

 ちょっとハラハラしちゃう。

 ん? 待って、待って。

 蚊帳の外のお話しみたいに聴いてたけど、あの流れだと彩華さんの意図にあたしも含まれてるのかしら?

 えっ? あたしって常識人じゃなかったの?

 どこにでも居る一般人の心算だったけど……

 いま明かされる衝撃の新事実って事?

 あたしの事はお知り合いになって直ぐだから、きっと物珍しがって揶揄ってるだけだと思いたいわ。

 ジャブを繰り出すように軽いノリで、彩華さん節に乗せようとしてるのかも知れないし。

 この件は過剰に反応せずにちょっと棚上げして様子を窺う方が良さそうね。

 あまり深く考えない事にしましょ。

 そうしましょ。


 やっぱり玄関に鎮座されてる観音様のお姿を拝見しちゃったら、職人って云うより芸術家と云う認識に傾いてしまうわよね。

 まだお会いして無いけどお祖父様のお仕事は宮大工さんって事だったわ。

 宮大工さんのされるお仕事って建築物では在るけど、確かに造形が美しくて芸術的な側面も在ると思うの。

 師匠とお祖父様に共通してるのは、ずっと古くからの伝統や技術を継承しながらも発展させて、常に進化もして行くのって誰にでも出来る事では無いわよね。

 そう云った技術に研鑽を重ねると芸術にまで昇華して、唯一無二の域に達する物なのだと思うのよ。

 何となく解ってたような気がしてたけど、こうして眼の前で体現してる方を間近にすると確信に換わるわ。


 古いと云えば、明日の朝は薪を使ってご飯を炊くのよねぇ。

 釜土なんてどこの家庭にも在る訳じゃない貴重な設備しろものだから、それでご飯を炊くなんて初めての体験だわ。

 以前に家族で行ったキャンプで経験した飯盒炊飯では、薪の火加減って調整が難しくて苦労した記憶が在るけど、当然、セオリーやコツも在る筈よね。

 師匠と彩華さんは普通の事のようにあっさり云ってるのだけど、いっぱい見学してお勉強させて貰わなきゃ。

 当然だけどあたしがお手伝い出来る事はちゃんとしながらね。


 薪の強い火力で炊いたご飯は一粒一粒が立ってひかってるって云うわよね。

 実際に本当の状態の炊き上がりを知らないから確かめてみたいし、滅多に習得できないスキルの第一歩になるんだからリターンだって大きいわぁ。

 だって、だって釜土で炊いたご飯よ?

 確定で美味しいのだから、スキルが在ればあたしが再現する事だって出来るようになるし。

 色んな意味で『オイシイ』に決まってるじゃないの。

 早起きだって何だって辛くないわよ。

 もうワクワクが止まらない。

 ちょっとだけ打算も入ってしまってるのだけど――


 遠くから段々と軽快な規則正しいエンジン音が近づいて来るわ。

 どこか懐かしく、それでいて落ち着く感じの音ね。

 以前から知ってるような? 知らないような?

 だんだんと大きくなってやがて鳴り止んだわ。

 続いて『ガシャッ。カタ。キンッ!』って音がする。

 誰かお庭に入って来たみたい。お客様かな? とちょっとだけ緊張したりして。


 音が鳴り止む前にシフトダウンするような感じだったわね。

 乗用車の音じゃなさそうだからバイクなのかな?

 でもあんな軽いエンジン音ってするもの?

 あたしのはもっと低くて重い感じだけど。

 聴いた覚えないのに懐かしい感じの音って何だろ?



「璃央が来たね。まぁた門柱入って直ぐの所に停めたな。あいつ何度云ったら解かるんだ。しょうがない奴だねぇ。彩華、頼めるかい?」


「はぁい。お義母さん、だって璃央君よ? 璃央君なんだから色々諦めないとね」


「全くお前さんは璃央に甘過ぎるんだよ。いっそ、透真と別れて璃央に嫁ぐかい?」


「あら、お義母さぁん。それって弥生さんへの当て擦りィ? それなら大目にみますけど、他意が在るなら私も受けて立ちますわよ?」


「そんなんじゃ無いよ。ただの冗談だ。早く行きなっ」



 あれ? なに?

 一触即発の一瞬の攻防を視た気がしたわ。

 微妙に彩華さんがキレ掛かってたのだけど。

 旦那さんと離婚してって璃央さんと?

 これは冗談にしても少し行き過ぎてしまった感が在るわねぇ。


 それにしても頭の回転早過ぎない?

 一瞬で師匠の失言から攻めに転じるって。

 彩華さんって相手が誰であっても『ノー』はちゃんと云う人なのね。

 おおらかで柔らかい人柄だけどしっかりした芯が在って。

 云うべき事は云うのって恰好良いわ。

 ちょっとだけ師匠はバツ悪そうだけど……


 そっか。これはあたしがさっき紫音ちゃんと彩音ちゃん達に云った事なんだぁ。

『誰でも失敗はするもの』これよっ。

 この事と師匠のお言葉の『学ぶ事を辞めたら衰退するだけなんだよ。だから一生涯掛けて学んで行くのさ』このお話しをくっ付けて併せると、凄く含蓄の在る教えになる感じがするわね。

 今日って凄く勉強になる一日だわっ。

 何気ない中にも学べる事はいっぱい在って、キャッチするアンテナは常に張り巡らせて置かないとね。

 やっぱり先達には敬意を以って接して、色々なお話しを聴かせて貰うのって自分磨きになるわ。

 先程、師匠が仰った『戒め』ってお言葉も過去を教訓にすると云う意味で共感出来るし。



「婆ぁば来たよ。あれ? 弥生さん何で? もう扱き使われてるんですか? ゆっくり寛いでれば良いのに」


「いえ。あたしからお手伝いさせて下さいってお願いしたんですよ。扱き使うだなんて口が悪い。ふふ」


「そうだったんですね。程々にしといて下さいね。それと報告ですが、バイクの整備は順調なのでそっちはお話ししたように滞りなく完了出来ると思います」


「ありがとう御座います。全てお任せしてますので宜しくお願いします」


「璃央。また門柱の所にバイク停めただろ。面倒臭がらず裏に停めろって、何回云えば解かるだい」


「婆ぁば悪い悪い。ついね。で……どのくらい薪割りすれば足りる?」


「何が『ついね』だよ。その気も無いくせに。明日の朝の分だけで構わないから薪は一山も在れば充分だ」


「そんな少しで良いの? すぐ終わっちゃうけど。他に何かやる事が在るんだったらさ――」


「いいや薪割りだけだよ。済んだら紫音と綾音の見張りしてくれな。これから晩の料理するのに、ウロチョロされると危ないんだよ。頼めるかい?」


「了解。じゃぁ薪割り終わらせちゃうから。弥生さん。念を押すようだけど、程々にね。また後で」


「はい。晩のお料理は期待しちゃってて下さいね。なんせご馳走ですから。ふふ」


「そりゃ愉しみですね。ゆっくり堪能させて戴きますよ。では」



 璃央さんって丁寧で確りした口調で話すから判り難いけど、意外に子供っぽいのかも知れないね。

 師匠の追及を『ついね』なんてはぐらかすように云ったら、すぐにお話しを他に向けようとして誤魔化してるし――

 あれは直す気なんて更々ない、口先だけの確信犯に決定ね。

 師匠が云ってた根っからの自由人ってのも頷けるかも。

 そんなちょっとした甘えを許容されるって、血縁者では無いのにすっかり家族になってる証明なのだわ。


 良いなぁ。何だろぉ。

 この居心地の良い感じって。

 やっぱり羨ましい……なんて。

 あたしも知り合って間もないのに馴染んで来てる気がする。

 まだ気は遣ってるけど窮屈じゃない。

 むしろ心地好い緊張感って云うかな? 不思議だわ。

 何かがゆっくりと融け込んで浸み込むような感覚よ。


 《アナタ ワ マダ ワカラナクテ モ イイノヨ。 カナラズ メブク カラ。 ソノ トキ マデ》



「彩華さっきは悪かったよ。少し軽口が過ぎたようだね」


「ん? あぁ良いのよ。お義母さん。冗談のつもりだったのでしょうから、そのお話しはお終いにしましょ。それよりも下拵え終わらせなきゃ」


 ボソッとぶっきら棒ながら謝罪する師匠って、なんか可愛い。

 さらりと受け流す彩華さんも大人の余裕って感じがするし。

 お二人共やっぱり格好良いって思うの。

 あたしもこう云う女性になりたいって。



「あ~ん。忘れてたわぁ。焼き物用の練り味噌作らなきゃ。お義母さん。つくねの下茹では任せても大丈夫かしら? 私はお味噌作るから。この煮切った味醂とお酒、使って良い? 右が味醂よね」


「そう右側が味醂だよ。つくねの方は弥生とやるから任せてくれて大丈夫だ」


「じゃぁ、私、ぱぱっと材料刻んじゃうから、その間に下茹でお願いしますね」


「了解。弥生も手伝っておくれ。先にお椀用のからやるよ。盛り付けた時の座りが良いように、一度バッドに置いて――こうやって少し歪な感じの楕円にするのさ。包む海老は視えないように――真ん中に仕込んで、銀杏は少しはすに押し込む――ように最後にだ。こんな感じだよ。出来るかい?」


「出来ると思います。種はこの位の分量で良いですか?」


「丁度良い加減だね。でも焼き用はその半分位で頼むよ。なんとも弥生は勘が良いのかねぇ」


「そうね。弥生さんにはレシピを教えるだけでアレンジも簡単にして器用に色々出来そう。私も見倣わなきゃいけないわ」



 土鍋のお湯がプクプク小さな泡が上がって来る程度の火加減で沸騰してる。

 そこに形を作ったつくね種を鍋肌を滑らすように次々と入れて行くの。

 お湯に浮かんで来る灰汁を丁寧に取りながら待ってると、つくね種が浮かび上がって来るから、それを合図に湯切りしてバットに並べて下茹では完了よ。


 お椀用の物が終わるとお次は焼き物用を同じ要領で下茹でしたわ。

 先程の物とは別のバットにやっぱり湯切りして並べて粗熱を取り、手で持てるくらいまで冷めたら串に刺して行けば下拵えは完了だわ。

 この大きさだと竹串一本に四つくらいかしら?

 きっと五つだと持ち手が短くなって、窮屈に視えちゃうのって良くないわよね。


 お料理が少しずつ完成形に近づいて行くに従い、鮮明なイメージが浮かんで来るからワクワクするわね。

 そして召し上がってくれる人の顔を想像しながらお料理するのって、素敵だし愉しいわ。

 このお料理を璃央さんはどんな顔して食べてくれるのかしら?

 美味しいって笑顔になってくれると嬉しいわねっ。


 師匠と二人で陣取っていたストーブテーブルを空けると、待ってましたとばかりに彩華さんが練り味噌作りに取り掛かったわ。

 つくね種の時に取り除いた鶏皮を少し使って、冷めたままのフライパンに置いてからトロ火に掛け加熱して行き、じっくり時間を掛けて鶏ラードを抽出する心算みたいよ。

 ラードを取り終える頃には鶏皮煎餅のようになってる皮を取り出して、粗熱を取る為にフライパンをストーブから降ろし濡れた布巾の上に乗せる。

 そして少し冷めたら細微塵にしたニンニクを入れフライパンを傾けると、油の中で泳がせて薫りを引き出すのだけど、とても食欲を刺激される薫りが漂うの。

 ニンニクの薫りが立って来たらお味噌と煮切った清酒と味醂、そしてお砂糖を加えて練るようにお味噌を伸ばして木べらで撹拌して行く。

 お味噌が均一に滑らかになると再びトロ火に掛けて、伸ばす前のお味噌くらいの固さになるまで煮詰め火から降ろしたわ。

 さっき同様にそのまま濡れた布巾に乗せる。

 これで粗熱が取れたら完成かしら?

 次に彩華さんは、おもむろに取り出した鶏皮煎餅を三つに切り分けると小皿に乗せ、お塩を少々振るとあたしに差し出してくれたの。



「はい、どうぞ。熱く無いから直接手で摘まんじゃってね。お義母さんもどぉ?」


「わぁ。ありがとう御座います。こう云う摘まみ食いってお行儀は悪いけど美味しいですよね」


「そうそう。こう云うのはお料理した人しか出来ない特権なのよねぇ。ふふふ」


「鶏皮煎餅なんて料理として作る事はまず無いけど、パリパリして後引くから困ったもんだよ」


「そうなのよねぇ。鶏皮のお煎餅作ると出て来るラードが勿体ないから、油が欲しい時しかしないもんね。弥生さん知ってる? このお煎餅ってお義母さんの好物なのよ。隠してるけどバレバレなの」


「べ、別に隠してる訳じゃ無いよ。そんな事より練り味噌の仕上げは胡麻油だけで良いのかい? 山椒と鷹の爪辺りも一緒に練り上げる心算なのかい?」


「胡麻油と粉山椒は一緒に練り上げる心算だったけど、鷹の爪は一味唐辛子でも代用できるし。みんな串焼きには七味唐辛子を振ると思うから無くても良いかも知れないわ。お義母さんはどう思う?」


「そっちの方が良いだろうね。もし味噌が余っても他の料理に使い回し易いからねぇ」


「そう云えば、この鶏皮が余ってるから湯引きして串に刺したらどぉ? 一人一本くらいの量は在る筈よ」


「そうですね。つくね串も焼きますし手間は増えませんね。あたし下拵えします」


「あたしゃぁ、ちょっと七輪の仕度して来るよ。あとは頼むよ」



 こんな感じで、お料理中の副産物的な摘まみ食いは醍醐味よね。

 浪漫と云い換えても過言じゃないでしょ。

 パリパリの鶏皮のお煎餅って香ばしくて在ったら在るだけ摘まんじゃうわね。

 カリカリに焼いたベーコンとどこか共通するものが在るのよ。

 そしてなんと師匠の好物でも在るなんて。

 忘れないようにメモメモっと。


 鶏と云えば献立のメイン料理で在る『つくねの串焼き』の仕込みは終わって、あとは軽く塩コショウを振って焼くだけ。

 この焼くだけって云うのはとても語弊が在るわね。

 七輪で焼くから当然、炭火焼なんだけど、これって簡単なようでなかなか難しいの。


 炭って一つ一つ熾火の状態が違ってるから、均一に焼くには焼き加減で判断しながら火箸で入れ替えて火力調整する必要が在るのよ。

 それも刻々と変わってくから常に睨めっこして炭を弄らないと、同じ串でも焦げちゃう所と火が全然入って無いなんてのも普通に在り得るし。

 この炭の火加減調整が上手けば遠赤外線で火が通り、外はカリカリの中はジューシーな何本でも食べられそうなくらい美味しく焼き上がる筈よ。

 つくね串の脂はあまり落ちないけど鶏皮は最難関ね。

 脂がポタポタと炭に落ちて団扇を片手に炎が上がったら直ぐに消さないと、燻されてしまい『別のお料理?』みたく違う出来栄えになっちゃうわ。

 下拵えで湯引きはするけど、脂はそれほど抜けて無いから要注意なの。


 そして極めつけって云えるのかしら?

 串焼きには欠かせない相棒若しくは名脇役とも云える練り味噌。

 焼き鳥屋さんだと必ずと云って良いほど一緒に提供される、スパイス的な調味料よね。

 今晩の献立には月詠家特製の練り味噌が添えられるのだもの。

 謹製と云っても良いんじゃなかしら?

 だから凄く愉しみ。

 材料のお味噌には拘りが在るみたいで、八丁味噌と麦味噌の合わせ味噌。

 ちょっと塩っ辛い味わいの八丁味噌と薫り高い麦味噌で良いトコ取りだわ。

 清酒と味醂とお砂糖で調味してニンニクや胡麻油、粉山椒の薫りで風味付け。

 そうそう鶏ラードも風味付けよね。


 さっきちょっとだけ舐めさせて貰ったら、薫り高くて絶品なお味噌だったの。

 きっと焼肉屋さんのサンチュみたく、この練り味噌を載せたキャベツやレタスなんかの葉物野菜をクルクル巻いてそのまま食べても美味しいわよ。

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