ま~もういいか
羽暮/はぐれ
虚
よし自殺しようと決めたのは深夜のことだった。
折しもマンションの15階に暮らしているので、飛び降りてみることにする。高所恐怖症なので背中から手すりに腰を下ろして、風の勢いに任せ倒れ込む。
よく死ぬ寸前に走馬灯を見るというが、普段から物思いに耽っていたせいか、俺の走馬灯はすべて妄想でできていた。存在しない過去から存在しない現実へと時が流れ、自殺を敢行する俺の手が掴まれる。
ぐい、と腕を引っ張って俺の身体を引き起こしたのは見知らぬ女だった。いや、妄想の産物なので女を構成するパーツは全て見知った人間のものでできていた。憶えのある声で、女が諭してくる。
曰く、早まるな、何を考えている、命が自分だけのモノではないなど、もはや誰も言わないんじゃないかと思える雑で曖昧なセリフを述べてくるのは俺の人生経験がないが故であった。
「俺の命は俺の物に決まってるだろ」
俺の返すセリフも定価通りの売り言葉に買い言葉というか、素直すぎて変化の余地がなかった。
ちょっと来て、と女が言うのでちょっと行ってみると、女の部屋に連れていかれた。『本来こういう捨て鉢の人間を家に呼ぶべきではない』などの道理を脳裏でこねくりながらも俺は付いていく。
かといって人の善意を真正面で受け止めることもできないので、俺は『彼女は自殺志願者を集めて実験に使うクラブの会員なのだろうか』とありもしないことを妄想の中ですら妄想していた。そうしていないと歯がゆくて他人と触れ合えなかった。
女が飲み物を持ってきて、話を聞いてくれることになった。しかし自殺をしようと思った経緯は煩雑かつ根が深く、それ以上に俺の責任に因るところが大きかったので、『それはあなたが悪いですよ』と言われたくない俺は、やはり玄関から出ていこうとした。
どこに行くのか、と女が問うので「もっかい自殺をしに行きます」と言ったところで俺は全てが馬鹿らしくなった。
というのも、この女に
つまり、俺は心底ではまだ自殺したくなく、かと言って実直に誰かを頼ることもできぬので、迂遠的に自殺を阻止してもらおうという魂胆で『もっかい自殺をしに行きます』と言ったことになる。ということに気づいたから俺は全てが馬鹿らしくなったのだった。
女が何かしら声を掛けてくるのを遮って、「やっぱりいいです」と言って踵を返し、俺は飲み物を飲むことにした――という辺りで俺は妄想から現実へと復帰した。全身の筋肉を使ってなんとか身体を手すりの上まで引き戻し、俺はマンションの廊下に足を下ろした。
「帰ろ」
鍵を開けて部屋に戻り、ベッドに寝転んだ。毒にも薬にもならない妄想が、俺を半端に生かし続けている。
ま~もういいか 羽暮/はぐれ @tonnura123
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