マザーグースの詩(うた)が聞こえる

陰陽

第1話 逃げる

 阿鼻叫喚。──その一言だった。

「イヤアアァアア!!!!!」

「助けっ!ゲブロッ!」

「早く、早く逃げるんだ!」

「こっちへ!」

「そいつはもう諦めろ!!」


 どこをどう走ったのか分からない。

 追いかけてくる異形の化け物たち。

 僕たちはただ、道なき道を、走れるだけ走って奴らから逃げた。

 何故こんなことになったのか。

 そんなことを考える余裕すらなかった。


 始まりはクラス単位の集団転移だった。僕らは何も知らされないまま、突如としてこの世界に放り込まれたのだ。

 僕らをこの世界に呼んだのが誰なのか。

 その目的すらも分からないまま。

 僕らは見知らぬ場所に立っていた。


「──え?」

「ここ、どこだ?」

 何もない空間で、僕ら1年D組の全員が、周囲を見渡していた。

 さっきまでめいめいにクラスでダベっていて、次の授業が始まるのを待っていた筈だった。


 いつもと変わらない風景。クラスの女王様であるアリサが、幼なじみのピースケをパシらせて、太っちょのピースケは、ヒイヒイ言いながらも、嬉しそうにジュースを買ってきてアリサに手渡していた。

「ごめん、アリサ、いつものが売り切れてて……。」


「ハァ!?だったら売ってる店まで行って買って来いよ!

 アンタほんとマジ使えねーな!」

「ご、ごめん、でも……。」

「まあいいわ、喉乾いてたし。授業始まっちゃうし。

 今日はこれでカンベンしてあげる。」


「う、うん……。」

「やだ!なにこれ、美味しいじゃん!」

「アリサの好きな味だと思ったんだ!

 良かった!」

「何嬉しそうにしてんの?

 ……まじキモいんだけど。」


「えへへ……。」

「ピースケ、アリサのこと好き過ぎな。」

「やばー。生まれた時からストーカー?」

 テツヤと、その彼女のキョウカが、ピースケをからかっている。キョウカはアリサの後ろから首に腕を回して、ちょっとチョーダイ?とジュースをねだっている。


「ん。」

 とアリサがジュースを差し出し、肩越しにキョウカがジュースを飲んだ。

「あ、マジいけるわ、これ。」

「でしょ。」

「──な、なんだ?」


「やだ、地震!?」

「デカいぞ!」

「机の下に隠れろ!!」

 その時、急に地震がおきた。悲鳴があがり、みんな次々に机の下に隠れた。そして地震がおさまったと思ったら、机の下に隠れていた筈の僕らは、見知らぬ白い空間の中に立っていたのだった。


[[[お前たちに使命を伝える。]]]

 突然頭の中に響く声。僕がそう思っただけで、ホントはどこかから響いていたのかも知れない。

 男性の声と、女性の声と、子どもの声が重なり合って混ざったような、奇妙な不協和音のような声が、どこからともなく聞こえてくる。


「なんだよ使命って……。[[[お前たちにはこれから別世界に転移して貰う。]]]──大体ここはどこなんだよ?」

「ナオキ、うるさい、黙って、全然聞こえないじゃん!」

 声に重ねて大きな声で話し続けるナオキに、サヤカが苛ついたように叫ぶ。


 ナオキは舌打ちしながらも、何人かに睨まれて黙った。ここがどこかも分からないのだから、少しでも情報が欲しい。これが異常事態であることを、飲み込めている者と飲み込めていない者で反応が違うようだ。

 こちらの質問には答えず、一方的に話を続ける声に、僕たちは耳をすませた。


[[[お前たちにはそれぞれ力を与えた。

 どのように役に立てるかはお前たち次第。特別な能力に目覚める者もいよう。

 だが、転移出来るのは限られた一握りのものたちだけだ。まずはここから生き延びて、次の場所を目指すのだ。]]]


「え?それってどういう……。」

「次の場所ってどこなのよ?」

 みんながザワつく中、

 ドン!ドン!バリン!!

 突如として何かがぶつかり壊れるような音がして、全員が音のした方を振り返る。

「な……、なんだよ、あれ!」


 ここがドーム状の透明な壁で、その外側から覗き込むように、大量の異形の化け物たちが、びっしりと周囲を覆っていることに気付く。

 今までこんな風じゃなかったのは、近くにいなかったからなのか?

 どうして急に現れたんだ?


[[[──さあ、選ばれし者たちよ、まずは生き延びて見せよ。]]]

 ビシビシバキィッ!!!!!

 ドーム状の壁が割れて、中に異形の化け物たちが入り込んで来る。

「は……、よく出来てんなこれ。」

「え?どうなってんだ?」

「ヤバ、上がるんだけど!」


 既に反対側に走って逃げ出すクラスメートも多い中、逆にヘラヘラと笑いながら近付いて行く2人の男子生徒と女子生徒。

「──へ?」

 巨大な口をあけた異形の化け物が、男子生徒たちの目の前で、素早くバクッと1人の男子生徒の上半身を──食べた。


「な、なに……?」

 まだ事態が飲み込めていない男子生徒。遠くで震えていた女子生徒が、けたたましい悲鳴をあげた。

 崩れ落ちて膝をつく男子生徒の下半身から吹き出す血を見ても、近くにいた男子生徒と女子生徒はまだ呆然としていた。


「た、助けなきゃ……!」

 僕は奴らから目を離さないよう、振り返りながら逃げていたけれど、慌てて彼らの方に走り寄ろうとして、二の腕をガッシリと誰かに掴まれて、無理矢理後ろに引っ張られた。

「お前が行ったところで、何が出来るってんだ。お前も早く逃げろ!!」


「リュウセイ君……!けど、けど……!」

「ぐあっ!?」

「リュウセイ君!?」

 いきなりリュウセイ君がふっ飛ばされ、肩をおさえながら上半身をおこして僕を睨んでいる。──いや、正確には、僕の後ろを。


「エイキチ!頭を下げろ!!!

 ──ペンを拾え!!」

 僕の足元を指差すリュウセイ君の言葉に足元を見ると、目の前にペンが転がっていて、僕は思わずそれを拾おうと前屈になった──のと同時に、僕の背中に突風が当たる。


 違う。僕を食べようとした異形の化け物から、僕はすんでのところでよけたのだ。リュウセイ君の判断によって。

 半分溶けたみたいな巨大な顔に、ギョロついた目。カタツムリの目のように、ウニョウニョと体から伸びる首。


「走れ!エイキチ!あそこが出口だ!」

「リュウセイ君!一緒に!」

 僕は僕を助けてくれたリュウセイ君を引っ張り上げて、一緒に出口に向かって走った。

「た、助けて……。」


 腰を抜かしたらしい女生徒が、僕たちに手を伸ばして来る。だけどその体には、既に小さな異形の化け物が近寄って、すぐに全身を覆ってしまった。

 涙を浮かべてこっちを見てくる女生徒に、僕は思わず足を止める。


「そいつはもう諦めろ!」

 リュウセイ君が僕を引っ張った。

「お前たちが最後だ!」

「ここを閉めるぞ!」

 外に扉を閉めるボタンがあったらしく、僕らの後ろで自動ドアが閉まっていく。


 閉まる扉の向こうで、僕らの元クラスメートたちが食べられていくのが見えた。

「ここから少しでも離れるんだ!」

「安全な場所を探そう!」

「もう、もう走れない……!」

「馬鹿!死にてえのか!」


 僕らはわけも分からず走った。ようやく明るくて開けていて、緑のある場所まで逃げてこれて、ここで休もうということになった。

 なんでこんなことになってしまったんだろう。みんなぐったりしていた。だけど、本当に苦しいのは、これからだったんだ。

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