完全防備な彼女。~彼女が俺に触れない理由~

或木あんた

第1話 別れに向けて、出会う



 彼女ができた。

 

 相手は、同じクラスの守川もりかわさん。小柄な身体に、黒髪ミディアム、大きな眼鏡。

 コロナ禍ということもあり、常時マスクはそれほど目立たないけど、彼女はそれに留まらない。夏でも常に長袖と黒タイツ、あげくは手袋まで。彼女が素肌を見せることはほとんどない。


完全防備かんぜんぼうび女』


 クラスでも、水面下ではそんな風に呼ばれている。正直完全にイロモノ扱いだけど、俺だけは違う。例えば、話しかけた時は意外と普通に話せるとか、意外と声は鼻にかかった甘めだとか。


 なにより、眼鏡もマスクも外した彼女は、どうしようもないほど、美少女だった。


 俺だって偶然に見かけただけなのに、誰にも知られたくないと思った。誰かに知れてしまうのが怖くて、焦ってもいた。だから俺は、イチかバチかの賭けに出ることにしたんだ。




「……好きです、俺と付き合ってください」



 呼び出して告白した時、守川さんは、心底驚いた顔をして、


「……わた、し、……ですか?」


 それから、すごく恥ずかしそうに、俯いてしまった。その姿があまりにも可愛くて、俺は自分が本格的に恋に落ちたのを自覚した。


「……あ、……あの、急に変だと思うかもだけど……条件があるの」


「……条件?」


「うん。……でも、『こいつ何勘違いしてるんだ』って思うよね。……だから、イヤだったら、遠慮なく……」


「――イヤじゃない。……そんなこと、俺はこれっぽっちも思わない。……それくらい、その……」


「……」


 真剣な眼差しで見つめると、守川さんは視線を逸らして、


「……じゃあ、……その条件を守ってくれるなら、……いいよ」


「いい、って、つまり?」


「……その、……付き合う……ってこと」


「……ま、マジで!」


「……う、うん。でも、ちゃんと、条件を聞いてから」


「もちろん! 何でも教え……」


「あの、これ」


 彼女が手袋の指先で触れたのは、顔半分を覆ったままの不織布マスク。



「……ずっと、外さなくてもいい?」



 素肌で触れない。


 それが、守川さんと付き合うための、条件だった。







「んー、肌荒れがひどいとか? もしくは、何か傷跡があって見られたくない。……あとは、タトゥー?」


「なわけないだろ」


「……でも、付き合ってもう1か月経つのに、未だに完全防備のままだろ? 地味にきついよなー、それって。思春期の男子を何だと思ってんだろうな。俺だったら、問答無用でそっこー手ぇ出してるわ」


「おい。いくらお前でも、守川さんで卑猥なこと言うな」


「あ、はは、冗談だってー」


 おどける友人に俺は、ため息をつき、 


「……こないだ、本人に言ったんだ。『俺は何があっても気にしないから』って。事実、なにがあっても受け入れるつもりだし。でも、そう言っても、ぜんぜん聞き入れてもらえなかった。むしろ、『だからこそ、だよ』だって。……どういう、意味だろうな」


「…………」


「意外とただ、奥手なだけかもしれないぜ? ……正直傍から見た感じ、どう見てもお前に惚れてるみたいだし」


「……そ、そうか?」


「ああ。マスク越しにみててもわかる。ありゃ、完全に女の顔だよ、おめでとう、『志賀しがくん』?」


「…………」







「……どうしたの、志賀くん? 具合でも悪い?」


「……っ」


 その日の帰り道、俺は決心をして守川さんの肩に手をやる。眼鏡の奥で、守川さんの瞳が大きく揺れ動いた。


「……な、何……?」


「……俺、守川さんが好きだ」


「……、急に、どうしたの?」


「……好き、だから、……心がぐちゃぐちゃになるくらい、だから」


「…………」



 自然と苦しくなる呼吸をやり直し、



「……だから今、どうしても、顔が見たい。……ダメ、かな?」


「…………それは」


「見るだけ、……でも?」


「……」


 守川さんの瞳が迷って、そして、少しだけ躊躇してからマスクを外した。


「――」


「……これで、いい?」


「うん……」


「……志賀くん。わたしも、……好き」



「――ッ」


 その瞬間。俺の中の募る思いが爆発して、何かが飛んだ。


 気が付くと俺は、抗えないほど強力な引力のままに、顔を近づける。行き先なんて、見なくてもわかる。ああ、そうか。俺はやっぱり、ずっとこうしたかったんだ。そう思った瞬間、



「……イヤっ!」



 俺と彼女の間を手袋が遮った。明確な拒否だった。守川さんの手に押し返された俺は、謝るよりも先にその事実に気が動転した。守川さんもはっと我に返ったような顔をして、


「……あ、ちが……」


「……守川さん……」


「……違うの、今のは……」


「……守川さんは、……俺のこと、嫌い?」


「……っ!」


 マスクがないから、よく見えた。


 守川さんを傷つけた。泣かせるほどに。そして、走り去る彼女を、俺は追うことすらできなかった。






 その日の夜、守川さんが、俺の家に来た。


 戸惑う俺に、


「あのね。……本当のこと、話すね。聞いてくれる?」


「え?」



「――わたしね、人に触れると、の」




 それは、突拍子もなく、本当かどうかも分からない話。



「……幼いころから、わたしはその能力と一緒に生きてきた。だから、気付かなかった。だって幼い時には、周りにいる人は家族とかばかりで、出会った時には物心がついていなかったから。……でも、小学、中学と進級して、新しい友達ができた時に、気付いたの……」


「……一瞬だけど、まるで記憶を思い出してるみたいに、脳裏によぎるの。転校でいなくなった友達。病気で亡くなった知り合いの子ども。……全部、別れだけ先に分かっちゃうの。分かっちゃうから、ずっと、寂しくなるの。……それで気が付くと、わたし……人と触れるのを、いつの間にか避けるようになってた」


「どんなに一緒いたくても、どんなに、楽しい瞬間でも。別れが見えてしまえば、逃げられないから。誰にも出会いたくない。誰にも、触れたくない。触れられたくない。……そう思って、ずっと……、ずっと生きてきたの。……でも」


 彼女が顔を上げる。その目には、もう一度涙が浮かんでいた。



「わたし、どうしても、……志賀くん、とだけは……ッ」



「……別れたく、ない……」



「――――」



 ……俺は、バカだ。



「……志賀くんと、別れる未来を見るのが、イヤで、怖くて……」



 何もわかっていなかった。わかろうともしてなかった。


「けど、告白されて、舞い上がっちゃって、あげくには自分に都合のいい条件なんか付けて……」


 これほどまで想ってくれてることに気づかずに、自分のことばかり考えて、


「でも、結局それは志賀くんを苦しめて、……そんなの、もっとイヤ。わたし、志賀くんを傷つけてまで、逃げたくなんかない。……だから」


 守川さんは、涙ながらに俯き、


「勝手で、ごめん、ね。……やっぱり、別れた方がいい、よね?」


「――ッ」


 あっけなく、俺は耐えきれなくなった。


 彼女を手袋ごと引き寄せ、



「――」



 衣服越しに、俺は彼女を抱きしめる。

 

 勝手に傷ついて『嫌い』だなんて、一瞬でも思った自分を許せなかった。だから、俺は決めた。



「あのさ、守川さん、――好きだよ」



 一生、触れられなくてもいい。


 ずっと何かを介していたって構わない。


 それでも、


「……君のことだけを、俺は好きでいつづける。愛し続ける。別れなんて、考えなくてもいいくらいに」


 ずっと。これからも、……ずっと。


 そう、強く思った。誓った。







 それから、過ぎ去る時間と共に、俺たちは愛を重ねる。


 ある日、向き合った俺に、守川さんは彼女の方からマスクを外して、




「……いい、のか?」


「ううん。……まだ、怖い……」


「なら――」


「けど……、触れたいの」



「……触れて、……ほしい」



 その時。

 唇を重ねた彼女が、何を見たのか。



「……何か、見えた?」

「…………うん」


「…………」

「…………」



「……どんな?」

「……」


「……言わない」


「……」


「でも、ひとつだけ」


「?」


「……よかった」


「え?」


「……許せるかも、しれない。あの終わり方なら」



「……だからわたし、後悔してない、触れてよかった。志賀くんに会えて、……よかった」



 涙を流しながら笑顔を浮かべて、彼女が何を見たのか、俺はまだ知らない。


 多分、知らなくていい。

 

 だって。変わらないから。


 別れたって、また出会えばいい。何度でも、俺は守川さんに会いたいと思う。そのことは、何がどうなったって変わらない。俺自身が、変わらせなんてしないから。






「おはよう」



 そして今日も、俺たちは出会う。



「……おはよう、志賀くん」



 彼女が『許せる』と言った、その別れに向けて。ゆっくりと歩き続ける。


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