第10話 恋と幸せのシフォンケーキ

家に着いた頃には、すっかり日は暮れ、辺りは暗くなっていた。そして、家の灯りはまだ付いていなかった。両親は朝僕らの前に出かけたまま、まだ帰っていないのだろう。


 そこで、預かっていた鍵で家の施錠を開ける。そこで、繋いでいた右手が引っ張られる。


「怜翔、こっちに来て!」

「お、おい! どうした急に!」


 千代は僕より先に家に入り、その後ろで引っ張られる形で僕も家に入る。

 千代は電気をつけながら、


「怜翔はそこで待っててね!」


 そう言い、繋がれた手は離し、キッチンへと向かっていき、僕は呆然として立ち尽くす。

 しばらくすると、キッチンの方から、千代が帰ってくる。手を後ろに回しているので、何か隠してるのだろうか。


「ねぇねぇ、怜翔。今日って何の日かわかる?」

「そ、そりゃあ、お前との別れになるかもしれない日じゃねぇか。」


 また、悲しくなりながら答える。


「うん。そうだね。でも、そうじゃない」


 千代が待ってる解答じゃないらしい。

 考えを巡らせてみる。


「…………」


 沈黙が僕に冷静な思考を許してくれる。

 あ、千代が帰ってきたことで、頭からすっかり抜けていたことが一つあった。


「そうだ!一番大事なことを忘れてた!今日2月14日は千代の、『入江 千代』のめ、命日だ」


 『命日』のところで少し言葉が詰まってしまう。


「そうだね。それも大事だよね。でも、私の求める答えじゃない。」


 え?絶対にそうだと思っていた答えも違っていたらしい。

 間の抜けた顔をしているのが、自覚できた。


「はいっ、時間切れー! 怜翔、これ、何だと思う?」


 袋に入った手作りであろうお菓子を僕の手に渡してきた。


「シフォンケーキ?」


 チョコレート色のシフォンケーキが袋の中に入っていた。


「そう!私が求めていた解答は、今日2月14日は〜バレンタインデーでした!」


 バレンタインデー。

 千代のことで頭がいっぱいで、そんなことは完全に僕の頭から排除されていた。

 そうか、確かに2月14日はバレンタインデーである。

 それを思い出すのと同時に、火曜日以降千代がキッチンを頻繁に借りていたこと、そして、食事を必要としないらしい霊体の千代が、僕にチョコレートをせびってきてたことを思い出した。せびられたときは、「たしか甘いの好きだったっけ?」と、あまり深く考えてはいなかったが、どうやら食べていたわけではないらしい。


「ねぇ、怜翔。そのケーキに書いてる字わかる?」


 顔を真っ赤に赤らめて言うので、シフォンケーキの方に目を向けると、


[すきだよ]


 とチョコペンで書かれていた。それを見て、反応しようともう一度、千代の方を向くと、


「好きだよ。私も、好きだったよ。そしてこれからも。友達としてじゃなく、異性として。好きだよ。ねぇ、好き!すきぃ。」


 千代は涙を流しながら、告白してきた。

 後半の方は声が震えるくらいにまで感情を昂らせて。

 そんな状況に耐えられず、僕は千代を抱きしめる。


「千代! ぼ、ぼくも! 僕も好きだった。今も好きだ、そしてこれからーー」


 言葉の続きを言おうとすると、千代に指で止められる。


「嬉しい。でも、それ以上はダメだよ。戻れなくなる。ねぇ、私、そろそろ時間みたい」


 涙を堪えながら千代は言う。千代も取り乱していたようだが、それ以上に取り乱す僕を見て、冷静さを取り戻したのだろう。

 千代の身体が光出す。


「千代?」

「ごめんね。わかってたけど、終わりの時間が来たみたい」


 少しずつ、千代の身体から光の粒子のようなものが出てき始める。

 涙が頬を伝う。伝っても伝っても止まってくれない。

 笑顔で送り出そうと思っていた。

 覚悟はできてるつもりだった。

 そんな決意は虚しく崩れ去っていく。


「千代! 待ってくれ! 僕も好きだ! ずっと好きだった! 後出しの形になるけど! だから、だから! こんな形で終わりたくない! せっかく、せっかく両思いになれたのに」


 涙で見えなくなるたびに腕で涙を拭い続けて言う。


「怜翔……。私も嫌だよ! でも時間は待ってくれないみたい。それに、ごめんね。正直、怜翔の気持ち、うすうす気付いてたから、本当の後出しはこっちなの」


 どうやら僕の想いは想い人にもバレてたらしい。だが、そんなところに突っ込んでいる場合でもない。


「じ、じゃあ、せめてこれだけは言わせてくれ! 千代、これからもーー」

「れいと!! だからそれ以降はダメなんだって!私は、怜翔のことを好きなの。それに好きでいて欲しい。でも、ダメなの。このままじゃ怜翔を縛る事になっちゃう……」


 千代も涙を堪えきれずに僕に告げる。

 そして、その頃には既に千代の向こうが見えるほど、千代の身体は透けていた。


「それでも! それでも僕は!」

「怜翔。私は、怜翔の私に対する愛よりも、怜翔が幸せになってくれた方が嬉しいよ。それにさ、怜翔には、普通の人の2倍幸せになってもらわなきゃ。そう! 私の分もね! だから、こんな時になんだけど、ちゃんと私以外の良い人見つけて、人一倍には恋をして、ちゃんとした幸せを、人の2倍の幸せを築くんだよ?」

「ち、ちよ」


 反論することも、返事をすることも、声をかけることも出来なかった。

 千代が今まで最も綺麗な笑顔を見せているからだ。

 だから、名前を呼ぶことしかできなかった。


「私はちゃんと怜翔の幸せを願い、見守ってるからね。怜翔。好きだよ。ありがとう……」


 目の前から千代は完全に姿を消した。


「千代! ちよぉ!!!!」  


 近隣のことも考えず、大声上げて、大泣きする。堪えようとしていた分の涙が、決壊したように流れ出る。

 声泣き声を上げながら、全力で泣き続けた。

 そんなときでも、右手に潰さないように優しく握ったシフォンケーキは僕の心を温めてくれてるような気がした。

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