僕の心は言い出せない

寝癖のたー

KAC2022 7回目『出会いと別れ』

致命的な『僕』の点数

 ――この話は作者の実話ノンフィクションである。


  僕は中学校のテストで100点満点中32点という衝撃的な点数をとった。


勿論もちろん、母は憤慨ふんがいし、僕を塾に入れた。

この32点という点数が、僕の塾に入るキッカケになったのだ。


 僕にとって塾とは13年の人生において初めてのものであった。


他の生徒よりも少し早めに塾に到着した僕は、ホワイトボードの方向を向いている椅子が5つと長机が1つ置いてある置いてある5畳くらいの思っていたよりも小さい部屋に案内され、端の方の席に着席した。


絶対に遅刻しないようにと10分前に来たが、早すぎたのだろうか。


しばらく部屋を観察していると同い年くらいの美が部屋に入ってきた。


「あ、こんにちは……」


「え、誰ぇ?」


健康的な笑みを浮かべて彼、いやは問いかけた。

声を聴くまでわからないほどショートヘアの彼女は『女の子』というより『美少年』といった感じなのだ。


「あ、今日から入ってきた人です。」

僕は腰に左手を当て、右手を空に掲げるという、奇怪きっかいなポーズをとりながら言った。


「なにそれ、おもしろいね」

彼女はアイドルのようなえくぼを作って微笑ほほえんでくれた。


「あぁ、どうも……」

唐突な出来事と先程からの緊張で挙動不審になり、まぁまぁよくわからない自己紹介の仕方をしてしまった。

彼女の僕の第一印象ファーストインプレッションはきっと変な人になってしまっただろう。


「隣、座るね」

彼女の友好的な一言に、一呼吸おいて落ち着くことができた。

そして、授業が始まるまでの5分は彼女と会話して過ごした。

その時間は、ほんの一瞬にも思えるほど早く過ぎ去ってしまった。

彼女もテストで僕と似たような点数を取って僕より先に、この塾に入ってきたそうだ。

バレーが好きで明るい活発な子だと話の中で分かった。


授業自体も、授業の大半が、それぞれの自己紹介タイムという、いたってシンプルな内容だったため、とても楽しむことができた。



塾の日々はとても充実していた。

クラスの仲はよく、5人と少数なだけあって授業中の仲もよく、みんなでふざけ合ったりしていた。

イベントも盛りだくさんだった。


 中学2年生の終わり頃、僕はバレンタインデーに初めてチョコをもらった。

相手は、初日に話した美少年のような少女だった。


「授業終わったら、駅まで付いてきて」

そんなことを授業前に言われ、その日は授業どころではなかった。


夜の都会の駅には、色とりどりのイルミネーションが僕と彼女を包み込んでいた。


駅の前で立ち止まり、くるりと僕の方に向き直った少女は

「チョコをもらえなかったかわいそうな君に、はい、私からのお情けチョコ。」

そう言っていたずらっぽく笑った彼女は僕にチョコを差し出した。


「それ、僕がもらってない前提で言ってるよな……」


「え、もらってるの?」

彼女はで上目遣いで、捨てられた猫のように言った。

――この時、ぼくは強く彼女を『女の子』として意識した。


「いいや、これが人生最初の、バレンタインチョコですよ。」

そう言って僕は、人生初の女の子からのチョコレートをもらった。


受け取るときに触れた彼女の指は、しなやかで、とても柔らかくて、暖かかった。


ふと、彼女の後ろの茂みから、塾のクラスメート3人が手でハートを作って、『ラブラブだね』と、僕を揶揄からかっているのが見えたが、僕はまっすぐ彼女の目を見て。


「ありがとう」

そう伝えると、自然と僕は笑みがこぼれた。


「ぅ……うん」

彼女は顔が赤くなっていた。


僕は彼女のことが好きになっていた。

彼女も僕のことが好きだと、塾の友人から聞いて知った。


――相思相愛、それはもうお互い分かっていたことだった。だが、互いに口には出さなかった。


友達とも恋人とも言えないこの距離感が、とてつもなく心地よかった。

それはきっと彼女もそうだろう。


こんな距離感がずっと続くんだろうな――――


 だが、3年生に昇級したころには、そうもいかなくなった。


 僕の成績は問題なく伸び、テストでは100点中70点後半までは取れるようになっていた。

 それは僕が、彼女の前で恥ずかしい点を取らないようにと必死に勉強した成果であった。

母には、もう塾ではなく家庭で勉強していてもいいのっではないかと言われた。

だけど僕は、この塾に居続けた。

学校が違う彼女と会えるのはここだけだったからだ。


だが……。

 

 ――7月になった頃、彼女がこの塾をやめることが分かった。


「あと2回しか来れないけど……仲良くしてね」

今にも泣き出しそうな顔で彼女は無理やり笑顔を作っていた。


「当たり前だって」

彼女の事情を聞く勇気もなく、ただそれだけしか言うことができなかった。


普段、僕は、駅まで彼女を送ってから自転車で帰る。

その間いつも2人きりで談笑していたが、今日は彼女が先に返ってしまった。

なんだが胸に空いた穴に冷たい風が吹き込んでくるような、乾いた、冷たい気分で僕は自転車に乗ってその日は家に帰った。


最後の日、彼女はほとんど普段と変わらずに振舞っていた。


皆も、普段と変わらず接していた。


僕もできるだけ普段と変わらないように授業を受けた。


今日はいつもより、彼女の顔を見てしまった。


――今日も彼女は奇麗きれいだったから。


帰り道、手押しの信号機で僕は、ボタンを押さず、彼女と会話を始めた。


少しでも彼女と長く話すために。


最後の会話を楽しむために。


「3年間ありがと」


「え?」

きょとんと、子犬のような、純真無垢じゅんしんむくな目を輝かせてこっちを向いた。

彼女の頬は化粧をしたみたいに桃色だった。


――思いを伝えよう。

僕は覚悟を決めて、ゆっくり呼吸を整えた。

「あのさ――」

僕がそう言いかけたところで

「私もさぁ!」

そう大きな声で僕の声を遮って話し始めた。

「すごく、楽しかったよ。」

彼女はそう冷たいコンクリートに目を向けて話した。

「…………そっか。よかった。」


――きっと言わないでほしいんだろう

そう僕は自分に都合のいいように解釈した。


 数秒の沈黙の後、手押し信号機を彼女は無言で押した。

自動車用の信号が1秒も待たずに黄色に変わる。


この時、彼女から連絡先を聞いておけば――

この時、彼女にやめる理由を聞く勇気があれば――

この時、彼女に『好きだ』と伝えられれば――

全ては後から後悔したことだった。


いつの間にか歩行者用の信号は青になった。

歩行者用の信号を見て歩き出す彼女に僕は1歩遅れてついていく。


駅に着いた。

その間はただひたすらに無言だった。


僕と彼女がいつも別れる場所――

「じゃ、また」


癖なのか、それとも何かに期待しているのか、僕はまた会えるかのように言った。

「じゃぁね」

そう言って彼女は駅の奥へと歩いていった。


いつも通りの別れの挨拶だ。


僕は彼女の後ろ姿うしろすがたを、いつもより長く眺めていた。


彼女が歩き出してから20秒ほどで、僕は伝えるべきだった言葉を口にした。


「君が好きだ……」


僕は1人で、かすれた小さな声でつぶやいた。


そんな遅い告白は彼女に届くわけもなく。

彼女は駅の奥へと消えていく――


7月の夜の駅は、僕の周りは暗く、彼女の居る駅の中がとても明るかった。

不意に、暖かい涙が、僕の頬を撫でた。

振り返った彼女に、涙を見せないように彼女に背を向けて、僕は駐輪場へと歩いた。


――そうだ、これが正しい

当時の僕はひたすらそう考えた。願った。懇願した。

ただ今思い返してみると、それは間違いのように思えた。

きっと僕は深く後悔しているんだ。もう取り返しがつかないのに、ずっと……ずっっと長い間。後悔することをやめない。

後悔することをやめることができない。


このことは、後悔することをやめることを、僕はきっと拒んでいるんだろう。

ずるずると未練みれんたらしく悔み続けている。

       

 こんな僕は0点だ。

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