理の外 シアとレン7

楸 茉夕

理の外

 シアとレン 7


 裏通りの一角、廃材のようなものが折り重なって、道を殆ど塞いでいる。邪魔に思った誰かがどかしても、翌日には元に戻っているので、故意にそうしている誰かがいるのだ。

 その、一見、続いているようには思えない道を通り抜けて進んでいくと、突然植物が茂り出す。昼なお暗いほど鬱蒼うっそうと、北国の樹木や南国の花など様々な草木が、この地域ではあり得ない植生を形成している。

 明らかに人工的なそれらを掻き分けて進んでいくと、小さな扉が現れる。大部分が蔦に覆われているので、注意深く見ないと扉だとはわからないだろう。

 扉だと気付いた者だけがそこをおとなう権利を得る。―――家主が在宅であるか、在宅であっても対応してくれるかどうかはまた別だが。

「すみませーん。ごめんくださーい」

 彼女は声をかけながら扉を叩いた。少し待つが返事はない。

「ごめんくださーい。こんにちはー」

 根気よく叩き続けることしばし、勢いよく扉が開く。

「うるせえな! 居留守使ってるんだから帰れ!」

 顔を出したのは、若いと言うよりは幼い少年だった。想像していた相手と違い、彼女は目を瞬く。

「あの、あなたが 魔女ラフレシアですか?」

「違う。帰れ」

「待ってください! ここだって聞いて……」

「魔女って自分で言ってるだろうが。俺のどこが魔女に見える? 帰れ」

「待ってください! 話を聞いて!」

 扉を閉めようとする少年と、扉の引っ張り合いになる。力比べは単純に体格で勝る彼女の方が勝ち、少年は顔をしかめたが諦めたように息をついた。

「……ここまでたどり着けたってことは、一応『資格』はあるってことだからな。話くらいは聞いてやる」

 負け惜しみのように言い、少年はきびすを返した。彼女は彼の気が変わらないうちにと急いで後に続く。

 中は思ったよりも広く、普通の民家のようだった。外は植物が生い茂っているはずなのに、窓からは普通に陽光が差し込んでいる。

 少年は迷いのない足取りで廊下を進み、一つの部屋に入った。壁には本や資料がぎっしり詰まった背の高い書架、大きく取られた窓には綱が張られて薬草と思しき束がいくつも干してある。食器棚に何やら不思議な色の液体が入った瓶が並べられ、窓辺には本が乱雑に積み上がった机。少年は机の前にある椅子に腰掛けた。そして、オットマンらしき背もたれのない椅子を顎でしゃくる。

 座れという意味だろうと、彼女はオットマンに腰を下ろした。

「ラフレシアさん」

「ラフレシアじゃない、シアだ。一体どんなふうに話がひん曲がって、俺が『魔女ラフレシア』なんてことになったんだ」

 少年―――シアは迷惑そうに顔を顰めた。噂が伝わるうちに尾鰭おひれが付いたり膨らんだりして、シアが「魔女ラフレシア」になってしまったのだろう。

「わたしはリーラと言います」

「おまえの名前には興味がない。あと、俺は魔女でも魔法使いでもなく、薬屋だ」

「薬屋さんでもいいんです。どうか、わたしに反魂香はんごんこうを譲ってください」

「―――…」

 シアは肺の中が空になるような、深い溜息をついた。

「なんでここにくる客の九割はそれが目当てなんだろうなあ……」

「あるんですね? 譲ってください! 勿論、無料でとは言いませんから!」

「ねえよ。反魂したいってことは誰か死んだんだろ。死人は生き返らねえよ。受け入れろ」

「お願いです。わたしには、あの子がいないと……」

「だから、死人は生き返らねえって」

「人じゃありません、猫です!」

 人間などと一緒にするなと、リーラは声を荒げた。

「あの子は……ミミは、わたしの唯一の友達で、家族なんです。いなくなってしまうなんて、耐えられない……」

 ミミは美しい黒猫だ。言葉は話さないが、リーラの言うことはすべて理解してくれる。物心ついたときからいつも一緒で、いつも傍にいてくれた。そんな存在がいなくなってしまうなんて、考えられないし、耐えられない。

 リーラの話を聞いたシアは、もう一度溜息をついた。

「そういうのはだいたい時間が解決してくれるんだよ。生き返らそうとすんな。ちゃんと悲しめ。悲しめるうちに悲しんでおかないと、いつまでたっても」

「死んでません! 帰ってきます! だから悲しくありません!」

「……無茶苦茶だ」

 溜息交じりに言い、シアは腕組みをした。

「その猫は、あんたが物心ついたときから一緒だったんだろ? ってことは、十年以上は生きたんだろ」

「……十五歳です」

「猫の寿命は七年くらいだ。長くても十年。十五年生きたなら、十分寿命だ。天寿ってやつだ」

「そんな……」

 たとえ十年が猫の生き物としての寿命だとしても、ミミだけは違う。あんなに優しいミミが、リーラを置いていってしまうはずがないのだ。あるいは何かの間違いだろう。間違いなのだとしたらたださなければならない。ミミも困っているに違いない。

 繰り返し訴えても、シアは首を縦には振らなかった。一つ息をつき、諭すように言う。

「あんたは、ミミがいなくなって寂しくて悲しくて、今はちょっと冷静じゃないんだ。だから、一旦落ち着いて」

「わたしは落ち着いてますし冷静です。ミミがいなくなるなんておかしい。そんな世界の方がおかしい」

 シアは応えずに無言で天井を仰ぎ、何か考えているようだった。やがてリーラへ視線を戻すと、言葉選ぶようにしながら口を開く。

「……あんたの悲しみが大きいのは、その分幸せとか喜びとか、そういうのも大きかったってことだろ。寂しさは相手の存在の大きさの裏返しだ。その分、猫も幸せだったんじゃないのか。傍にいたんだから」

「なんでそう言い切れるんですか、ミミのこと何も知らないのに!」

「動物ってのは人間と違って打算がない。あんたのことが嫌いなら、とっくにどっかに行ってるよ。寿命を超えてまで一緒にいたのは、あんたのことが好きで、心配だったからだろ。もう大丈夫だって、あんたが一人でやっていけるって思ったから、満足して行ったんじゃないか」

 シアのこと場にリーラは思わず息を呑む。

「魂は四百年くらい生きるらしいぞ。それを考えたら人間の一生なんてすぐだろ。何十年か後の再会を楽しみにしてろよ」

「―――…」

 ミミの死は受け入れられない。今後もそうだと思う。けれどリーラは、ミミがいなくなってから初めて涙を流した。

「また……会えるでしょうか」

「会えるさ。あんたが天寿を全うすればな」



      *     *     *




「珍しいね、シアがああいう話をするなんて」

 声が振ってきて、シアは顔をしかめた。見上げれば、はりに一羽の梟がとまっている。

「……どの口が、って思ってるんだろ」

「そんなこと思わないよ。いつもなら叩き出すのに、珍しいなって」

「レン」

 名を呼んで梟の口を閉じさせ、シアは自室の扉を開けた。

「日暮れまでには下りておけよ。また怪我すんぞ」

「はーい」

 笑みを含んだ返事に、ますます渋面になりながら自室に籠もる。夕飯までは出て行かないつもりだ。

(……受け入れられていないのは、おれの方なのに)

 昼間、訪ねてきた客に説教じみた話をしたのは、己と重なるところがあったからだ。

 去年の冬、シアはレンを失った。

 相棒、片翼、家族、友人、恋人―――どの呼び方もしっくりこない相手。自分以外で、最も長い時を共に過ごしていることは間違いない。

 ゆえに、喪失に耐えられず、受け入れられなかったシアは、肉体を離れたレンの魂を捉まえて使い魔の中に入れた。

 無論、禁呪だ。いつかシアはむくいを受ける。しかし、諦めることが出来なかった。地獄に落ちるだけでは済まないだろう。シアの魂は呪われて、きっともうレンと同じ場所には行けない。

 使い魔の梟は、日のある内は本来の姿で言葉も話さないが、日が落ちかかると喋りだし、レンの姿になる。一つの身体に二つの魂が入っている弊害へいがいだ。シアは、己の身勝手で一人と一羽の存在を歪めてしまった。

(でも……それでも、おれは……)

 日が落ちる。夜がくる。

「痛ったい!」

 部屋の外から、何かが落ちる音とレンの声が聞こえた。時間を見誤って、梁の上で人間の姿になってしまったのだろう。

 放っておくことは出来ず、シアは深呼吸をしてから扉を開けた。

「……何やってんだよ」



 了

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