三月廿日の日記

示紫元陽

三月廿日の日記

『三月廿日、快晴


 月なんて嫌いだ。特に今日のような満月はなおのこと嫌い。

 夜の空を我が物顔で悠々と浮かび、黄金の光を四方に注ぐ。なんてわがままなんだろうか。数多の星を覆い隠してしまうなんて。

 なにより、満月を見る度に時が巡ってきたことが分かってしまう。季節の移り変わりよりも判然としていて、でも人の創り出したものに比べて漠然としていて。だからこそ絶対的に突き付けられているようにも感じられて。

 どうしてこんなことになっているのか、今でも納得がいかない。毎月毎月、黒い空に開いた輝く円を見ては、指折り数えて虚空を見る。幸い今宵も無事過ぎたが、あぁ、また次がやってくる。今度こそその時を迎えるかもしれない。いったいいつまでこの苦しみは続くのだろうか。

 帰結は既に決まっている。その終点に辿り着くために歩いている。しかし、どうして終えるために始めないといけないのか。やはりどこかで何かが間違っているのではないだろうか。

 出会いは私にとっての呪い。決して抜け出せない呪縛。

 彼女に最初に会ったのはいつだっただろうか。もう詳しくは覚えていないけど、気が付いたときには歯車が回りだしていた。どうしたって止められない狂った歯車が。でも、その心地よさに目を向けて悲愴を理解していなかったのは私だ。どうせなら、永遠に何も知らなければよかったのにとさえ今は思う。

 いずれ失うことはとうの昔に認識している。しかし、私の心はその末路に耐えるためにはやはり不十分すぎる。別に自惚れているのではない。自分が捨て駒と同等であることくらい、説法など聞かずとも分かっている。運命とはそういうものだと、毎夜月が嘲笑っているのだから。

 彼女は何を思うだろうか。きっと、そんなことは今すぐ止めろと言うに違いない。彼女は優しい。そう、あんな性格だが、彼女は立派な人間だ。だが止める術はどこにもない。

 すべて先祖が悪いのか。元凶を作った祖先を恨めばいいのか。そんなことに意味はない。しかし、そう言い聞かせたところでやるせなさは消えるはずもない。どれだけ願おうとも歯車は回り続ける。

 会者定離、か。そんな言葉で表現したところで納得などいくものか。真理は真理でしかない。それが心を救うことなんて、ありえない。

 あぁ、いっそのこと、東雲しののめ家そのものが消えてしまえばいいのに。不謹慎かもしれないが、すべてが終わるとすれば、幾分心は軽いかな』

 

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三月廿日の日記 示紫元陽 @Shallea

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