ホモ・キュブリスト

ホモ・キュブリスト1

 キューブ。

 宇宙に漂う箱庭は、人の手により作られた世界だ。ヒトが星々の海を渡るための船であり、故に多くのヒトがその中で暮らしていた。

 だが、キューブは破損した。二十万年前にヒトがもたらした事故によって。

 宇宙空間に放り出されたキューブの機能を回復させようと、ヒトは様々な努力を行った。その努力について語れば、一つの物語が出来上がる。尤も、結論を述べると試みは全て失敗し、キューブは船から箱庭へと変わった訳だが。

 失敗の結果、二十万年の月日を経てキューブは人工物でありながら、自然の環境を取り戻した。生物は新たな環境に適応し、新しい姿になって命を繋いでいる。その様々な在り方は、これまで紹介してきた通り。

 そこにヒト文明の形跡がないとは言わないが、ヒトが住むのに適したものでもない。

 では、もうヒトはこの人工の世界にはいないのだろうか?

 その通り。キューブ内には現在、ヒトは一体も生息していない。生物種としてのヒトは、キューブの事故が起きてから七万年後……この時代から見れば十三万年前に絶滅している。ヒトが作り上げた世界であったが、変わり果てた環境にヒトの居場所はなかった。

 されどヒトは消えても、ヒトの血が絶えたとは限らない。

 は、未だこの箱庭の中で生きているのだ。

 その末裔が暮らしているのは、かつて工業地区と呼ばれていた区画。巨大な岩……倒壊した建物の瓦礫が積み上がって出来た、岩場のような環境だ。

 岩の隙間から様々な植物が顔を覗かせており、細いながらも樹木が生えている姿も見える。観賞用としてキューブに持ち込まれた植物達の末裔で、荒廃した環境でも逞しく生きる生命力の持ち主だ。とはいえ景色を緑色に染めるほどの数もない。巨大植物により密林と化した公園区画や、草原に覆われた居住区画とは、また違った景色になっていた。

 そして彼女達が暮らしているのは、瓦礫の下に広がる空洞だ。

 瓦礫の山には隙間があり、天井から降り注ぐ明かりが差し込むものの、非常に薄暗い。足元には大小様々な瓦礫が落ちており、油断すれば頑丈なそれらを力いっぱい蹴飛ばす羽目になるだろう。『ヒト』でも進めない事はないが、慎重な歩みにならざるを得ない。

 だが、彼女は平然と歩んでいた。


「……………フゥゥ」


 小さな吐息を吐き、その暗闇の中で潜む生物の姿がある。

 体長百四十四センチ。全身に生えている毛は非常に細い上に短く、地肌が露出していた。直立二足歩行をしており、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。身体付きはやや筋肉質、顔立ちは凛としたものであるが、ヒトであれば即座にこの個体が『雌』だと分かるだろう。

 やや毛深いものの、姿形はヒトにそっくりだ。『植物』を編んで作った(袖もない簡単な構造をした)原始的なものとはいえ、服もその身に纏っている。一見してヒトとの区別は付かない。

 しかしよくよく観察すれば、違いは幾つも見付かる。

 例えば口の中。半開きの口から見える歯はヒトよりも鋭く、肉を切り裂くのに適した形となっている。奥歯は丸みを帯びているが一応尖った形で、磨り潰すよりも切り裂くのに適した構造をしていた。

 指にもヒトとの違いがある。身体の大きさや性別の割に手の指が太く、ガッチリとした構造をしているのだ。また足の指を見れば、ヒトには存在していた小指が欠損している。四本指で大地を踏み締めていた。四肢の爪も厚く、丈夫になっている。

 他にも髪質が湿り気のない乾いたものになっている事、肌の油脂が少なく乾燥した肌になっている事、目が小さめで耳が大きい……様々な違いが観察出来る。そしてこれらは個体としての個性ではなく、種族全体で見られる特徴である事は、彼女の周りにいる他の『同種個体』を見れば明らかだ。

 そう、彼女達はヒトとは異なる肉体の変化――――進化を遂げた。一つ一つは小さなものでも、ヒトと異なる形質を得た。これまで観察してきた生物達同様に、新たな環境に適応するために。

 全ては生き残るため。

 かつての栄光の残骸の中で、逞しく生きるヒトの末裔。その生き様を観察してみる事にしよう。






 真核生物ドメイン


 脊索動物門


 哺乳綱


 霊長目


 ヒト科


 ヒト属


 ホモ・キュブリスト

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