この想いが君に届いたらいいのに

さち

第1話 春が来た

私は「春」という季節が好きではなかった。

いつも静かな公園がお花見でごった返すし、飛び交う花粉は容赦なく私を襲ってくるし、今年入学したであろう小学生たちのキンキンに響き渡る笑い声が私の思考を妨げてくるのだった。

極普通な住宅街に突然現れる、河川敷沿いの華やかな桜並木を「今履いている靴のつまさき、いつの間にか泥で汚れてるな、、。」なんてどうでもいいことを考えながら首を直角に曲げて歩いているのはきっと私だけだろう。


今日から私は「高校2年生」として、「もう何も言わなくてもわかるよね?」という社会の圧を背中に感じながら生きていかねばならない。

たかが高2だというのに、なんと過酷な世の中か。

できるのであれば「私は1年目です。」という顔をして歩いていたいが、これといってやる気も技術も特技も取り柄もない私には縁のない話だった。


「おうっ、笹塚!めでたい日なのになにそんなにうつむいてんだ!今日午後から新入生の歓迎会だからなー、準備頼むぞ!!」

相変わらずつま先を眺めながら校舎の前を歩いていると、急に聞き慣れたどでかい声が私の頭をかち割ってきて、おもわず教師をにらみつけてしまうところだった。

シャツのボタンが張り裂けんばかりの筋肉(バカ)教師が、じゃあなっ!!と言いたいことだけ言ってさっさと私の前から姿を消した。


新入生歓迎会というのは、その名の通り今日入学してくる新入生を「ようこそ、このいけ好かない学校にいらっしゃってくださいました」とお出迎えする会である。

大事なテストがつい明日に迫っているというのに歓迎会なんて出ている場合ではない、というかそもそもなんで歓迎会なんてわざわざするんだ、てかそれより歓迎会に全員出席する必要ある?

なんて今更考えてもしょうがないことをつらつらと頭の中で訴えながら、何事もなかったかのような顔で私は教室の中に入っていった。


笹塚みな。高校2年生。7月に誕生日を迎える。水泳部所属。趣味、特になし。彼氏、なにそれ?という状況。いやうそ、彼氏という単語は知っているけど(もちろん)、2週間前に別れたばかりである。なんとなく付き合ったけど、なんとなくうまくいかなくてなぜか私が振られた。私が振られるのは悔しいけど、まあ時間の問題だったし口火を切ってくれたのだから多めに見てやろう。


お昼を食べながら窓の外を見ていると、徐々に新入生であろう生徒の姿がちらほらと見え始めた。新しいパキパキの制服を着てカチコチの足で懸命に歩いている女の子、同じ中学からあがったのであろう、仲良さそうにはしゃいでいる4人組の男子、、。

私も1年前はこんなだったのかなあ、なんて思っていると後頭部に何かが飛んできた。

「いっった、、、。」

何かがあたった感触の残る後頭部を押さえながら下を見るとどうやら飛ぶはずもない消しゴムが飛んできたようであった。

「わりい笹塚~~それとって~」

そののんきな声は見なくても分かる、同じ部活の成原だ。いつ見てもおちゃらけているこいつに私はいつでもペースを乱される。でもクラスの男子からも女子からも人気なのがまた気に食わないところだ。

「あんたもっと反省しなさいよ」そう言いながら消しゴムを思い切り投げ返してやるとその消しゴムが今度は成原の頭上を追い越していった。

それはないだろお、センスないかよーと笑いながら、行きがけに下をペロッと出して「ごめんなっ」と言って消しゴムを取りに教室の後ろの方へ走っていく。

「まあた、成原なんかしたの?」

呆れた顔で私のもとにやってきたのは同じクラスの天馬祐実である。祐実とは中学が同じで高校でも行動を共にしている。明るくほんわかしている祐実の雰囲気は私とは真逆であるが、逆にだからこそお互いに無いものを求めてこうして一緒にいても何の違和感も感じないのかもしれない。祐実には本当に感謝している。

「なんか消しゴム投げてきたから思いっきり投げ返してやった」とこたえると、祐実は、さすがみなちゃんと相変わらずの笑顔を見せてくれた。


午後になって歓迎会が始まった。これでもかと言わんばかりにぞろぞろ入ってくる新入生の大群の中に、私はある人物を探していた。

松木拓斗。

この地域で水泳に携わっている人間であれば一度は耳にしたことのある名前なのではないだろうか。全国出場も期待されているまさに超新星なのであるが、我が水泳部になんとか引き込もうと、私の所属する水泳部の他のメンバーもいま血眼で彼を探しているはずである。

「んんん、松木ってどれだよ全員同じ顔じゃんかよ、、、」

とつぶやきながら群衆を凝視するけど、まったくそれらしき人物は見当たらないまま歓迎会は終わった。


じゃあ、また明日ね。祐実がそう言って手を振りながら教室を出ていく。私も精一杯の笑顔で手を振りながら、祐実とは逆の方に歩き出した。

廊下をずんずん突き進み、古びたドアを力いっぱい引っ張ると鼻につく塩素の匂い。そう、水泳部の部室である。いい匂いとは言い難いこれが、私の心を落ち着けると同時に高揚させる、唯一のやすらぎである。

今日感じた春のもやもやをすべてリセットさせるように、私は大きく空気を吸い込み、そしてじっくり時間をかけて吐き出した。…と、私が息を吐ききる前に「え、なにしてんのきもちわる」と背後から冷たい声が聞こえた。

中澤咲。私の水泳部の同期。咲は祐実とは打って変わって、私と似てなんでもびしばし言うタイプの人間である。きもちわる、なんて言われるのももう慣れたもんだ。

「塩素の匂いの芳香剤とかあったら絶対買うんだけどな」「そんなもん使いたい変人アンタしかいないよ」とどうでもいい会話をしながら、着替えとかんたんな準備をすませ、パーカーを羽織って近くの昇降口から外へ出た。

じゃあなんの匂いの芳香剤ならみんな買うのさ。やっぱりデキる男の匂いとか。デキる男の匂いってなに?え、知らないお金の匂い?とかいうどうでもいい会話をしながら二人でプールに向かって歩いていると、プールのある校舎の方から長身の男の子が歩いてくるのが見えた。制服のきちっとした感じからして、新入生だろうなあとなんとなく思いながらすれちがいかけたとき、咲が急に声をあげた。

「えっ、松木君じゃん!!」

なんで気づかなかったんだろう。咲が言う通り血眼で探した松木くんがすぐそこを通り過ぎるところだった。あんなに注視していたのに、危うく通り過ぎてしまうところだった。もう他の部員は声をかけているのだろうか。

「、、はい…、松木ですけど…。」ちょっと無愛想な、でも立場のなさそうな顔で松木くんはぼそっと答えた。こちらのことは何も情報が開示されていないわけで、そりゃ不審に思うのが普通だ。

「あたしら水泳部!私が中澤でこっちが笹塚!」

こっちがのところで咲が私のことを指差す。その指の動きに合わせて松木君がちらっと私に視線を向けるので、長身に少々萎縮しつつ、どもっ。と小さく頭を下げた。

「松木くんの数々の栄光はもう入学前から耳にしてまして!声かけようと思ってたんだよねー!え、もちろん水泳部入るんだよね?うちの学校、水泳部ここしかないんだけど!」と咲がまくしたてるように話している、と途端に松木くんが無表情のままつぶやいた。

「…悪いっすけど、俺、もう水泳やめたんで。」

小さくでも重く、放たれたその言葉に私も咲も理解が追いつかず一瞬停止した。え、あの松木君が?違う松木くんじゃないよね?今の事実をいろいろと疑ってみるけれど、松木くんの顔を見る限りなにかの間違いでもなさそうだ。

さすがの咲もあっけに取られている。その時間はたった数秒だっただろうが私には数分にも感じられた。

「…え、今なんて?」やっとのことでしぼりだした咲の声に松木くんが今度は容赦なく低音ボイスをかぶせていく。

「俺もう水泳やめたんで。泳ぐのやめたんで。悪いですけど、別の奴あたってください。俺と同中学で競ってた別中の奴はここ入部すると思うんで、そっちでお願いします。」

そっちでお願いします、なんてべつに願ってもないことを私たちにお願いし、松木くんは返事も待たずにそのまま教室棟の方へ歩いていった。

私達はしばらくその後姿を眺めたあと、お互い顔をあわせた。

さっき水泳部入らないって言ってたよね、、?あれ松木くんで合ってるよね、、、?

咲の表情からはその気持がありありと伝わってきた。

春が来た。でも水泳部の空気はまだもう少し、冷たいままかもしれなかった。

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