雪に沈む村

くるみ

第1話

 薄く雪が積もってしまいました。窓の外は未だ暗く、びゅーびゅーと吹き付ける風が白い綿を運んできます。全身が痙攣するほどの寒さです。年末から新年にかけて家業は忙しさを増し、年の十三になってより手伝いを任されるようになった私の部屋は、しかしながらしんと静かで、LEDライトの仄かに赤みを帯びた白光が華美に鬱陶しく、同時にむしろ寂しさを呼び起こしてきます。

 フローリングの床は光と冷気を取り入れて沈黙を保ち、街灯の明かりを映す雪と色が同じに見えます。昔の私は雪を真白できれいな、汚れの知らないものだと思っていました。しかしそうではない。外見に過ぎない。最近になってそう分かったのです。私がその汚れに最初から気づいていれば、今のような感傷も抱かなかったのでしょう。年末年始の雪とまみえるたび、口から重い溜息が塊となって出てきます。雨雲のような暗い思い出が私を覆って、ざわざわ胸を騒めかせるような、そうして頭の重たくさせるような、とにかくそんな嫌な気持ちにさせるのです。


 ところが私は、今年の思い出が昨年の思い出から擦り減っていることに対してこそ、どうにも不穏な気配を感じて仕方がないのです。

 記憶とは不思議なもので、昨日は覚えていたことも今日になると忘れてしまうことがあります。日常的な事柄はもちろんのこと、非日常の特質的事柄でさえ、ふとした時に、あれどうであったかと思い出せなくなってしまい、そして最後には事柄そのものをどこか彼方へ放棄してしまうのです。物心つくより以前の幼子の頃の記憶など決して思い出すことがありませんが、その記憶の積み重なったものが今の自分であることは間違いありません。今の自分を構成するのが過去の自分と現在取り入れた記憶の二つだからです。すると記憶は失うというよりも食べるように消費するという方が正しいのかもしれません。食べて、消費して、自らの血肉とする。

 しかしそういった、むしろ失われるべきなのかもしれない記憶の中でも、決して色褪せることなく残り続けるものがあります。それは例えるならば、好きなものを最後に食べるという行為に似ているのでしょう。枯葉の上に艶やかな果実が在るのです。この果実こそを思い出と呼ぶのだと思います。なるほどすなわち、ほかの記憶が消費されればされるほど、その果実をとっておこうという気も強くなってしまうのです。けれども一つ確かなことは、私にとってその果実が鮮烈な色合いこそしているものの、くすんで見えることなのでございます。


 もうすぐ春が来ます。春になれば雪は溶けます。


 明日も朝から手伝いという名の仕事があります。考えるだけで頭が痛くなってきます。そしてこの時期になると決まって脳裏に浮かぶ思い出が、さらに一層、胸に重たく圧し掛かるのです。その色鮮やかな果実が美味い苦みを持っていることを私は知っております。今すぐに食べてしまいたいほどに魅力的で、苦い思い出なのです。

 しかし同時にその思い出が無くなることを、果実を消費してしまうことを恐れてならりません。というよりも現在進行形で消費してしまっていることが怖くてならないのです。去年は思い出せた彼女の言葉が、もう思い出せなくて苦しいのです。

 両親はもうとっくに寝てしまいました。私も寝て明日に備えたいところですが、実際に消費してしまった矢先、対応しなければどれほど目覚めが悪いことでしょう。

 思い立ったが吉日。

 その思い出を覚えている限り記してみようと思います。





 六年前の冬、私は車に乗せられ祖父母の家へ向かっておりました。というのも我が家では毎年、中学に入るまでの子供に限ったことではありますが、冬休みのほとんどの期間をそこで過ごすと決まっておったからです。祖父母の家は足助という名の東西に延びる山間の集落にございました。集落に入るにはその直前で一山越える必要があり、車は木漏れ日を受けて急勾配のうねった道の頂上へ到達しました。その山の頂上には小学校がございました。子供もそう多くいないはずなのに無駄に広い運動場と年季の入った蔓の這う校舎、そしてどう行けばたどり着くのかもわからない錆びついた展望台を裏山の中腹に持ち合わせた小学校です。展望台からぶら下がる顔を模した丸い黄色い板を眺めていると車体は前方に傾き、道を下ってゆきます。小学校は森の茂みに消えてゆきました。坂を下りきると、正面の山に並ぶ杉の示す先に太陽が位置しておりました。車内を満たす鋭い光に、私はぎゅっと目を瞑りました。あくびが漏れたのはそれと同じ時でした。車は右に曲がり、民家と田んぼの間を悠々と進んでいきます。私は目を細めつつ、目的地に着くまでの短い間、水の張っていない田んぼばかりを見つめておりました。

 祖父母の家は我が家よりも十分広い、いかにも古風な瓦屋根の家でした。二段構えの瓦屋根の間には霞硝子が付いておりました。またその隣にはいとこ一家の住む、一階部分が車庫となった三階建ての白壁の家がございました。飼い犬のダックスフンドが来客に気づいてわんわんと鳴き声を上げます。その鳴き声は閑静な村に広く響いておりました。さて、後部座席で眠る二歳年下の弟を起こして車を降りようとしましたが、あまりの寒さに私は一度開いたドアをすぐに閉めました。ちらと車の温度計を見るとマイナス二度を示していました。私はそこで自分がダウンコートを脱いだままでいることに気が付きました。マフラーやら手袋やらもつけて車を出ようとすると、祖母が声をかけてきました。よう来たね。私たちの来る度、祖母の第一声はこのように決まっておりました。母と祖母の話している間、私たちは荷物を運びに家を出入りしておりました。祖母の家の廊下はつんと氷のように冷たく、私の体温を奪ってゆきます。丁度運び終えたころ話も終わったようで、母は私たち二人に別れを告げると車体を反転させ自宅へ帰っていきました。エンジンの音はよく響きました。徐々に小さくなっていくその音は妙な焦りを私の内に生み出しました。私と弟はそれの聞こえなくなるまで屋外の、二つの家を結ぶトタン屋根の下におりましたので、ふと弟を見たとき、はて、自分も同じ表情をしているのかと思った覚えがあります。今に考えてみれば、決して同じとは言わずとも似た表情をきっとしていたのでしょう。毛虫の毛にも満たないほどの小さな恐怖でありました。当時の私はそれを知らずとも、己に対する女々しさを覚えたような気がいたします。そうして、寒さに耐えきれず炬燵に体を突っ込ませたころ、心に刺さった針などとうに消えてなくなっておりましたが、己に対する不信感だけが新芽のように生えてきておったのです。


 冬をそこで過ごすことに特別な理由はありませんでしたので、最初の数日は宿題をして過ごすというのが通例でありました。祖父母の家には年中風鈴が付いておりました。私の勉強の邪魔をするのはその風鈴の音と時たま届く車の音、そして私自身の邪念のみ。前者二つはともかくとして、厄介なのは三つ目でありました。下半身を包み込む暖気と上半身を包み込む冷気は私の意識を徐々に蝕んでゆきました。また、何分弟は私よりも集中の糸の途切れやすい質でしたから、すぐにテレビをつけ始め、それも相まって一向に進む気配がありませんでした。時間の頃は三時手前といったころでしょうか。祖母の無尽蔵に出てくるお菓子の類も、炬燵から半身を出して気持ちよさそうに眠る祖父も、それを増長させていたような気がいたします。これではいけない。私は途端にそう思い、ジャンバーを纏い、ちょっと歩いてきますとだけ祖母に伝え散歩へ出ることとしました。

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