第33話 泣きたいのは、こっちだろ
昨日の今日で、伊色と依代に会うのは正直に言えば気まずかった。
だから、せめて朝早くに来て心の準備を済ませて緋由のことを謝ろう―そう考えていた。
しかし、その結果、俺は依代と二人で部室に居る。
「……」
まだ朝も早く、授業が始まることはない。
教室から呼び出された同時に連れて来られた俺は、椅子に座ったまま黙っている依代を見ていることしかできなかった。
とはいえ、いくらなんでも朝の時間は短い。このまま二人で居れば遅刻は確定だ。
内定に多少響くのは問題ないが、それよりも問題なのは周囲からの視線だ。
(……男女二人で遅刻して……しかも、それが同じ部活ってんだから噂にならないわけないよな)
そんなことになれば、こいつの夢どころの騒ぎじゃない。
「なあ―」
俺はこいつの夢をぶち壊す為に部活に入ったわけでもなければ、こいつの学校生活を悪くさせる為に協力したわけでもない。
そんなの、俺の方から願い下げだ。
「―昨日のこと……緋由の奴が迷惑掛けて悪かったな」
「え……?」
謝罪を受けるとは思ってなかったのか、依代は慌てて両手を振ってそれを否定してきた。
「う、ううん! 迷惑なんて……本当のことだし……さ。多分、緋由さんは知ってるんだよね、私達のこと……」
「……すまん。かなり昔に……その、まあ、なんだ……詳しくは話してないが、付き合ってたことを話したことがある」
昔の俺、何やってんだ……これじゃ、ただのシスコンだ。格好悪ぃ……てか、もはやキモい、普通に。
今すぐに冷たい水の中に顔を突っ込みたくなる俺だが、そんな俺に依代は顔を上げると自虐的な笑みを浮かべてみせた。
「……やっぱり、スドは私達のこと恨んでる?」
やめろ、俺はそんな顔をさせる為にお前達の部活に入部したんじゃない。
「……なんで?」
「なんでって……私、結局勝手にスドに告白して、勝手に振ったんじゃん……。お姉さんも言ってたでしょ? 今のスドがこんなになったのは私達が原因だ、って……」
こんな寂しい言葉を聞く為に、俺は元カノと一緒に居ることを認めたわけじゃないんだよ。
「……気にすんな。人間、生きてりゃ色々あるだろ」
「……そういう風な感じの……そうなったのって全部私達の所為じゃん」
「あんなの緋由の戯言だ。俺はこの世に生を受けた瞬間からこんなだよ。赤ちゃんの時も泣かずに世の中のことを考えてた」
「あはは、そんなわけないじゃん。……うん、そういうとこは変わってないのにね」
今にも泣きそうになる依代を見ながら俺は拳を握りしめる。
俺が……俺が見たかったのはそんなつらそうな顔じゃないんだよ。
「……お前はどうなんだよ?」
「え……?」
「俺のこと……恨んでるか?」
「なんで……恨むわけないじゃん……。騙したのは私の方なんだから……」
「だったら―」
許せるわけがない。
どれだけ時間が経とうが、どれだけ大勢の人間と関わろうが許せないんだよ。
目の前で好きになった女が泣いてるのに抱いてやることも出来ない駄目な俺が―堪らなく許せなかった。
「―もう、それで良いだろ」
「どういう……こと……?」
依代が動揺するのが分かる。
どういう受け取り方をされたのかは分からないが、良い受け取り方をされていないのは間違いない。
そんな依代の肩を抱いてやる資格も、権利もない。
だから俺に出来ることはたった一つだ。
「……互いに恨んでもいないんだ。今さら何を気にしてんだよ」
「でも……私の所為でスドは―」
「それ。勝手に勘違いすんなっての」
必死に自分を傷付けようとしている元カノの姿が見ていられず、俺はため息をつくと自分に向かって親指を突き立てる。
その仕草の意味が分からず、キョトンとした顔を見せる依代に、俺ははっきりと断言してやった。
「誰も今の性格が嫌いだなんて言ってないだろ?」
「嫌いとか……そういうのじゃないでしょ」
「良いんだよ。食べ物を選ぶ時も大体好きか嫌いかで選ぶだろ? それくらいの話だ」
「なんで……私、嫌われてもおかしくないのに……。本当は怖かった……久しぶりにスドに会ったら嫌な顔されるんじゃないかって……」
「どんだけ心が狭いんだよ、俺。過去のことをいちいち掘り起こしてる暇がないくらい毎日忙しいんだからそんなこと気にしてねぇし。……それと、勘違いすんな」
「え……?」
それを口にするのは簡単じゃない。
自分が弱いことを認めることが簡単なわけがない。
ただ、時として事実を口にしないといけないこともある。
「仮にも元カノだった奴を恨んでる? ハッ、冗談じゃない―」
俺はその事実を口にすることが恥ずかしく、また歯がゆく思いながらもため息を吐くと、なるべく依代の方を見ないようにしながら手だけを差し伸べる。
そして、罪悪感を抱く依代を安心させる為に俺は自分を落とすように『それ』を口にするのだ。
「―男って生き物はな……大体、女に未練タラタラなんだよ」
「スド……」
俺の手と顔を交互に見ていた依代はその目に涙を貯めていく。
泣き虫で、騒がしくて……でも、無駄にコミュ力の高い元カノ、依代。
女優になるなんてデカい夢を持って、友達の伊色と仲良くやってるムードメーカー。
「……覚えてる? この前、私が言ったこと」
「何を?」
「スドのこと、嫌いになるわけないって……あれ、本当だから」
「……無理すんな。同情されても嬉しかねぇよ」
「嘘じゃない!」
「うおっ」
「わっ……」
依代が俺の伸ばしていた手を掴んで勢い良く立ち上がり、二人の顔が接近し合ってしまう。
「……事務所」
「は? 事務所?」
「そう……。スドと別れた理由……将来、女優になる条件だったんだ」
「あぁ……そういう」
「他にも……理由はあるけど……い、一番の理由はそれだから!」
「お、おう……」
あまりにも唐突にそう口にされ、反応に困る俺。
まあ、確かに芸能人ってなかなか付き合えないイメージはあるけどさ……。
(―ん? ってことは事務所さえ良ければ付き合ったままで良かったってことか? ……っていうか、今の告白とほとんど変わらんくね?)
ふとそう考えて依代の方に視線を向ける。すると、依代もそれに気付いたのか、顔を真っ赤にして横にそむけてしまった。
「いや、まあ……なんだ……」
「……うん」
なんだこれ、滅茶苦茶気まずいんですけど?
ついさっきまで色々なことを不信感とか抱いてたけど、なんかこれは……そういうのが全部吹き飛んじまうっていうか……。
何か返事が期待されている感じの視線を依代から向けられ、俺はわざとらしく咳払いをするとこの場を乗り切る為の言葉を口にした。
「……ともかく、そろそろ教室に戻ろないと教師が来るからな。戻るか」
「……バカ」
依代から背を向けると、後ろから小さくそう告げられる。無茶言うんじゃねぇよ……。
「ま、いっか……スドってそういう感じだし」
そう言うと、依代は俺の後ろで立ち上がり、部室の扉へと一直線に駆けていく。
どこか気まずい俺はその姿を眺めていると、廊下へと続く扉に手を掛けながら依代が立ち止まってしまう。
「……どうかしたのか?」
「……あの、ね―ううん、なんでもない! じゃあ、先に教師行ってるね!」
そう言って振り返った依代の目はまだ涙に濡れていた。
俺が声を掛ける間もなく去っていく依代の背中を見ながら、緊張が解けた俺はまるで糸が切れた人形のように部室の椅子にガタっと音を立てて座り込んでしまう。
(ったく―)
泣きたいのは、こっちだろ。
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