第19話 責任

 街中をピシカらを連れて歩く、こんなにも穏やかなアスカの顔を、カレンは久々に見た。


「私が傍にいても、平気なの」

「なにを今さら」

「でも、私は」


 大方この前の、リアルネームをばら撒いたという話か。

 アスカは首を横に振る。


「これまでのきみを、信じるだけだ」

「私のせいで、アスカは引き返せなくなったのに」

「まぁ今さらどうだっていいよ。

 名前がどうあろうと、結局俺は俺だったんだろう」

「どうでもよくなんて、ない。

 どうして君は自分の傷を、いつも見て見ぬふりができるの」

「俺は自分を支えてくれるものを、これ以上失いたくない。

 そのためなら自分のなんだって支払える――引き返せなくしたのは、君らだろう」


 カレンはアスカの言葉を批難とは感じないでいた。

 みなが最善を尽くそうとして、アスカばかりがあまりに多くを喪う。それを止められない無力な自分が――彼の隣にいても、説得力はない。


「アスカ、ミユキのことはよかったの」

「あの子も誰かを背負う、そういう人間になるってことだから。

 心配するようなことはない」

「どうしてそこまで、あの子を邪険にするの」

「……そう見える?」


 ミユキの兄捜しに密林の墓所へ向かい、固有契約紋の収集に関する特殊なシステムを発見したらしいのだが、彼曰く、そこで出会ったミユキの兄は『人間性が屑のド変態』とのこと。

 あわよくば彼女の兄に、妹のことを押し付けてしまおう、くらいには考えている人間が言うほどだから、まぁ真実なんだろう。


「本気であの子を手放そうっての?」


 アスカは屋台周りで尻尾を振ってはしゃぐピシカを見送って、その場に立ち止まる。


「かわいそう、とか言わないでくれよ。

 ずっと――いつかは必ずそうするつもりだった。

 あの子が自立できないのは、望ましくない」

「本当に、ずっと契約を捨てたかったんだ」


 未だに彼が彼女を契約に縛り付けているのは、彼女の側に原因がある。アスカはミユキの義理立てのためだけに、自分には『なんらメリットと呼べるもののない』契約を続行していた。


「ねぇアスカ。本気でキューリくんを取り戻せるから、あの子との契約を続けてるの」

「――」


 彼はしばらく黙りこくっていたが、やがて言う。


「なにがしたいんだろうね、俺は。

 俺もあの子も、あの時お互いがやけにならないためだけの契約を続けたんだとしたら、……俺はキノ君を完全に騙したことになるな」


 キューリを喪ったあの洞窟、洞穴から出る時、一度は彼女との契約を切ろうとしたが、『キューリの命を諦められない、二度と会えないなど認められない』自分は、それを見切った目ざといばかりの彼女の申し出を、断れない。


 ――私がアスカさんの剣になります。アスカさんがキューリさんを諦めるなんて、そんなの間違ってる!


 そしてキューリの形見になってしまった双剣を、その胸に携えて、彼女はアスカに強くなることを誓った。


「あの子の望みに関わらず、もうこんなくだらないことを、俺たちは終わらせなきゃならない。あの子を果たせない誓いに縛り付けたのは俺だ。……話し合うよ、そうしなければ、あの子をこの縛りから解くことができない」

「そっか。

 アスカ、もうひとつだけ、聞いても。

 アスカはあの子との契約を、後悔してる?」


 彼は右腕を正面へ、まっすぐに伸ばす。


「キューリの悪ふざけに乗らなければ、こんな遠回りはなかった。――でもあいつが、あの子を俺に守らせようとしたことも、わかってる。

 ……そろそろ文句のひとつも、つけてやろうかな」

「?」


 アスカは寂しげに笑う。


「俺は、頑張れたのかな。

 本当はまだ何も足りてないんじゃないかって、不安になる。最良を尽くせたって、言えるのか。

 誰かのかけがえのないものに、なれたのか――ごめん、変なこと言った」


 カレンが答える前に、ふたりの目の前にグリフォンが現れる。

 アスカは騎乗する相手に、覚えのあって見開く。


「あんたは!」

「久しぶりだな。始末屋のプレイヤー」


 プラチナチックな鎧を纏う青年は、宮仕えの騎士でありオルタナだ。

 その右手には手甲越しに契約紋が光っていた。

 オルタナの固有契約紋、プレイヤーに劣るものの、騎乗といった眷属の扱いには多少なり有効であり、当人らの移動手段には多用されているらしい。


「アスカ、この人って『グリフォンナイト』でしょ?

 宮仕えの」

「あぁ……そうだな」

「さしずめ、わが子を見守る夫婦めおとのようだな」


 グリフォンナイトの青年は、アスカらとピシカのさまを見て、そのような感想を口にした。

 アスカの顔は引き攣る。


「冗談を言いに来たはずはないだろう」

「アスカ殿、あなたを捜していた。

 プレイヤーの中で、最も信任が置ける。

 緊急の討伐依頼を願いたい、無論報酬は相応のものを用意しよう」

「レイド対象のモンスターか」

「“ソロモン級”の二柱が現れた」

「「!」」


 アスカとカレンの顔は、その意味を理解すると、徐々に白くなる。

 二つ返事とは行かない。


「以前会ったときから、妙だと想ってた。

 悪魔級との別名もあるけど、ソロモン級には謎が多い。

 二つの“柱”が顕現する以前の問題だ。

 柱の形をせずとも、現世に干渉できる。

 ソロモン級は、人間の社会に隠れて活動しているものも多い。

 ――よもや悪魔が、白騎士のなりを取るとはな。

 見かけにまで騙されてやれないんだ」

「ほう……プレイヤーに看破されたのは初めてだ、なぜ?」


 アスカは煩わしげに嘆息する。


「ソロモン級には契約紋を偽装する技術があると聞いたけど、疑惑はあったよ。

 グリフォンは元からムルムルの眷属になりえて、改まって使役する必要がない。

 そしてそれだけでなく、騎士団が単独で動くなんてのは不自然だ。

 取り巻きの白兵はどうした?

 そして君は、なにより剣を携えず、いま異国の長刀のみを背負っている、奇天烈なこった。

 騎士の位を与えられたものが、位を示すはずの真鍮剣を携えられない理由はなんだ。

 きみが本物の騎士だったところで、プレイヤーに公然と接触するのは、リスクが高すぎる。それらを呑んで、なおも僕らに接触しよう理由はなんだ」


 甲冑を脱いだ青髪の青年は微笑んだ。

 その肌は白く、瞳は金色に怪しげに光っている。


「金色の瞳――すると憑依か」


 この世界で金色に光る瞳というのは、霊魂や意識――無論そういう『設定』のもと――に働きかける術が、なんらかの形で作用している証拠であった。


「本物の騎士だよ、私は。人の身体を、同意のもとに借り受けている。

 ごもっとも、彼は宮から与えられた真鍮剣を、祭祀以外では私のために扱えない、私が嫌っているからな。

 ひとまず実務に支障はきたさない。

 彼の契約紋を、私の権能で多少上書きもした。

 だからこの契約紋もまた、“本物”だ。グリフォンナイトという称号を宮廷で得られたのは、これが他者の追随など許さぬ、私自身の最優な権能であるからだ」

「随分あっさり、秘密を喋るものだ」

「アスカ殿、あなたの目は確かなようだ」

「おだててもなにもないぞ。

 それに――俺のもとへやってきた理由は、おおよそ見当がついてる。

 使徒を使えと言うんだろう、柱ども相手に」


 青年は頷く。


「そうだ。

 あなたがたは既に、世界に柱が顕現することの意味を知っている」

「なぜ同族の柱を、お前は駆逐させようとする」

「世界の均衡を保つためだ。……てのは騎士としての建前。

 柱の出現は、星辰の契約紋によらない支配の過程にある。

 私は悪魔なんでね――足の引っ張り合いが、好きなのさ」

「どっからが欺瞞だ」

「信じてもらいたいんだがねぇ。柱が現れたマップを、共有しよう。

 加えて私の正体を看破したことへの敬意も込めて、彼らの進行予測図だ」


 そこには移動するふたつの柱の名称も表示される。

 ――【ソロモン柱:アガレス】、そして【ソロモン柱:プルソン】とあった。


「……ありがとう、今はそう言わせてもらうよ」


 立ち去るグリフォンの背が見えなくなったころ、彼は毒づく。


「ふざけやがって。

 見て見ぬふりさせないってか、俺に」

「アスカ?」

「カレン、わかっているな。

 モンスターのレベルに応じたクエストやミッションの依頼は、プレイヤーの強化具合で、ランダムに発生する。

 そして俺が使徒級なんて持っているから、奴らはやってきた。

 ……全部、俺のせいだ。

 周辺のプレイヤーギルドにも、対応を頼みたいが」

「そっちは私がやっておくから。大丈夫、アスカのせいじゃないよ。

 だってアスカは、頑張ってるもの。

 アスカのやってきたこと、間違いじゃない」

「――」


 アスカが絶対支配の手法について、ながらくプレイヤー側に開示できなかった理由でもある。プレイヤーが強化されれば強化されるだけ、個人では対応しきれない、レイド級の強力なバケモノが現れ、プレイヤーミッションが発生する。

 問題は、アスカが使徒級を侍らせて強化が進んだ頃から、黄道級とこれの対存在であるソロモン級の活動が徐々に活性し、柱の発生頻度が増していることだ。

 既にプレイヤーにもソロモン級の対応で被害が出ており、状況の改善しない場合、アスカ個人の抹殺による災鴉の処分も検討されている。

 アスカ個人が災鴉を手放した場合、災鴉は元のステータスを維持して野生化してしまう。

 殺すなら、主人であるアスカの契約紋に繋いだまま、殺す必要があった。

 残念ながら、トッププレイヤーでも、アスカ個人の同意ありきで彼を殺すのは、既に至難となっている。それと彼は、同じくプレイヤーであるミユキと結んでいるため、彼をそのままに処分すると、ミユキも連鎖的に死にかねない。

 結果、大きすぎる力を抑制し使役するために、アスカは未だ生かされていた。

 強さゆえに、プレイヤーの治安を守る義務もあり、彼自らもその道を拒まない。

 ――優しさ故に、拒めなかったともいう。

 そんな彼の苦悩を、カレンはよく知っていた。

 そっと背中に手をかざす。

 それから彼を抱き寄せると、片腕は彼の腕をとって、指を絡め合う。


「私たちにできる最善があるなら、尽くさなきゃね。

 大丈夫だよアスカ……アスカが死ぬなら、私も一緒に死んであげる」


 彼は首を横に振った。


「魅力的な提案だけど。

 いまカレンと死ぬなんて、まっぴらだよ」

「え?」

「きみといる時間を、愉しいものにしたい。

 哀しいのなんて、ごめんだから。

 ……そもそも俺が死ぬとして、死ぬのは独りじゃないんだよ。

 生きるのだって、独りでできない。

 なんだかんだ、いろんなものに支えられてる。

 それだけのことだ」

「――」


 アスカは振り返り、哀しく穏やかに微笑んだ。


「あの子らを、侍らせてきた責任がある。

 こんな情けない俺のことを信じたあいつらから、逃げるわけにもいかない。

 こんな俺で、よかったのかな。

 こんな俺が、きみを好きになりたくて」


 かすかに彼の目の端が潤んでいる。

 カレンはそれに気付くと、その長い睫毛の目元に接吻した。


「だったら、もう泣いちゃダメ。

 きみの弱いとこは、私だけのものにして。

 ミユキにあげるのは、惜しい」

「なんてこと言うのさ。

 ……興奮した」

「道のど真ん中で、何やってんすか」


 ピシカは完全に呆れている。

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