第16話 洞窟

 ピシカという、アスカがかつて使役していた猫亜人。

 契約者であった彼でさえ死んだと想ってたら、まさかの生きていた。


 今回の一件で判明したこと。

 契約紋の有効範囲を逸脱した従契約対象は昏睡し、その場合契約は膠着、おまけに当該するスロットは機能不全に陥って、契約の解除すらできなくなってしまう。

 極端な事故でも起きない限りは、気にしなくてもいいが、実際その「極端な事故」が、天空へのショートカット作戦時、アスカらの間では起こってしまった。

 ピシカを喪失した彼はそれに前後して、結果、あの作戦で使徒級『太陽機真鴉ラー・マキナ・クロウ』を侍らせている。

 プレイヤーが調教できる、現状最難関のレアリティとスケールの対象とされていた。

 ところでアスカは、ミユキとの契約についてこの有効範囲を気にすることがない。上位調教は、純粋な人族の行動距離範囲を制限しないらしい。

 契約紋には種族ごとの固有なサポート例が複数あるので、そのたびそういうものが実装されているのかと、逐次ステータスやヘルプの確認、攻略に関する事項の記録を取っていくしかない。なるべく自分たちの手で、それを確かめる。

 ガセネタやデマで、ひとの足を引っ張るやつだっているということだ。


 彼女に面識のないネーネリアは多少やきもきしていたのだが、ミユキとカレンは、彼女が生きていたことを素直に喜んでいた。

 そして工房へ戻ってから数日――


「アスカ、猥褻な意図がないなら、ピシカちゃんの毛繕い手伝うのはほどほどにしなよ。……変態にしか見えない」


 なまじ彼女は獣耳が生えただけの、典型的に人寄りな異形であり、彼女が望んで後頭部を委ねるからとて、その絵面は一般的にいかがわしいなにかとしか取られないだろう。

 カレンに言われると、彼もようやく自分の現状を承知したらしく、肩を小刻みに振るわせて顔の蒼白くなる。


「ごめん――でもなんでもしてあげたくてさ」

「しっかりしてやりな、ご主人?

 それがその子にも、一番の薬になるんだから」

「私はご主人に触られてうれしいんですけど」

「あんた、ほんとにアスカをダメにする気?

 ……せめて人前はやめなよ」

「はーい」


 こいつ頭の中に糖分しか詰まってないんじゃないかというぐらい、甘ったるく媚び売った声がカレン的にはやや鼻につくが、話は素直に聞いたのでそれ以上言わない。


「で、ミユキたちは行かせてよかったの?」

「どのみち、個別に動けるように、鍛えなきゃならない。

 俺では経験値が頭打ちだが、ミユキなら経験値分配ワケマエの効果で、多少なりはパーティメンバーに与えられる。

 俺が同行したら、あの子たちが成長できない」


 傷心のミユキとネーネリア。

 とりわけミユキは、この前からろくでもない兄との再会で意気消沈の激しい。

 今日はキノ少年たちとパーティを仮組し、彼らの経験値稼ぎに同行している。


「でもいい顔しないなら、ついていってあげればよかったんじゃない? それに今日行くのって――」

「ミユキはわかってて、止めなかった。

 三人を連れて、対処できると考えたんだろう」



 カレンやアスカは因縁もあって、その場所を避けている。

 ミユキとてそうではあるが、最も確度の高い経験値の稼ぎ場として見込んでもいた。


「不測の事態があれば、すぐに逃げる。

 洞窟に入ってもいいけど、フロアのほうにはなるべくいかないで」

「フロアボス、ですか」


 キノの言葉に、彼女は頷く。


「ここにはグルジオ・コニグリオってフロアボスがいる。

 それ単体なら、なんとか逃げ切れるのだけど――」

「この洞穴の周辺、無生物エネミー多いですよね。

 スノードール、でしたっけ」


 言ったのは、カリンだった。


「キノくん。スノードール、調教してみる?」

「できるんですか、無生物の調教行動なんて」

「今の君は、アスカさんに届く資質を持ってる」

「届く、資質――」

「契約紋、はんと言うのは、無生物の使役できる契約紋だよ。絶対支配は、それが解放されることで初めて完成する」

「それって、強化を重ねれば、あの人と同じようなものを使えるってことです?

 でもなんだか『絶対』というわりに、大したことないというか、肩透かし喰らったような」

「絶対支配って、アスカさん曰く、“契約紋の基礎機能のコンプリート”をもって、それをはじめて『絶対』と呼んでいるんじゃないかって話だけど、詳しいことは誰にもわからない」

「……気に入らないな。

 あの人はこんなものを、オウリの命より優先したって言うんですか」


 キノはミユキの前では平静だったが、オウリの蘇生に失敗した時のことは、アスカに半ば騙されたようなものだし、憤るのが当然であった。


「アスカさんは――ああいう性格だけど。

 この世界でひとが生き延びるための、最善を尽くしてる。

 許せとは言わないし、あのひともそんなこと望まないでしょうけど……私はきみたちに、あのひとを憎んでほしくない」

「じゃあミユキさんはどうして、あの人の肩を持てるんです」

「キノ、感じ悪いからやめようよ」


 カリンに袖を引かれて、彼は押し黙った。


「グルジオ・コニグリオは単なる兎じゃない。……いや“兎”って、十二支族亜人のような固有契約紋こそないけど、単純なステータスなら『星座級』の性能を具えている」

「それって――めっちゃ強くないですか?

 無生物の『使徒級』とは、どっちが強いんです」

「この世界でプレイヤーがテイムできるとされる、実質最上位にして難関のモンスターが『黄道級』、十二星座をモチーフとしているの。世界でそれが生きている限り、各種一体ずつのみしか存在できない。

 それに次いでの『星座級』はそれなり種類が多いし、同時に複数が跋扈しているけど、遭遇率は限られる。レアリティの向上やスキル強化、集中的な世代交代・交配によって調整した特化もかければ、最終的には匹敵する性能を引き出すことができる。

 敵としても、それだけ油断ならない。

 ……そして無生物で『黄道級』の対存在にあたるとされるのが、アスカさんの使役する『使徒級』。

 これまであの人だけが、使役に成功した。

 あの人だけの力だったのよ――それを彼は、いま君に見出している」

「――え」

「まぁ、絶対支配のレシピは近々、ギルド連合が発行する攻略誌面に載るんでしょう。元から『貴重』ってほどじゃない」

「レシピ――あの解放条件」


 ――解放条件:無生物・死者に対する計十三回の自身のHPを代償とした回復付与+同対象への調教行動を試行


 キノは思い出して、身震いした。

 再現性の低いが、やろうと思えばできなくない。

 アスカはこの前、代償と呼んでいた。支払った代償、そういうシステム、死者というカテゴライズは、それまで生者だったものの尊厳をあまりに軽率に弄んでいる。

 どういう経緯で手にしたにしても、はなからろくなものではない、傍から見ればなおのこと。


「いずれにせよあれはもう、アスカさんの絶対、唯一無二ではなくなってしまう。あの人はプレイヤーに次なる力の使い方をいま、改めて問うている」

「自分の優位を手放してまで、いったいあの人は何を考えているんですか?」

「自分一人じゃ足らないって、知っているから。

 星辰の契約紋にたどり着き、攻略を完遂する。

 そのためなら、個人の優位性なんてどうだっていい。

 持てる心血、リソースのすべてを注いでいる。

 ――この世界に閉じ込められるって、そういうこと」


 ミユキは、自身を言葉足らずな女だと自認している。

 それでも、アスカが取りこぼしてしまう、見切りをつけてしまいがちなものをいま、彼の従者である自身が、ひとつひとつそうならないよう、くみ取っていく。拾い上げていく、努力をしていた。

 そんな彼女の背後につくネーネリアは、今日はずっと黙っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る