第6話 経緯
前回までのあらすじ。
「――幻蛇のアンガーを返り討ちで、モンスターの生餌に」
マリエは執務室にこもっていたが、書類などはデジタル化できるので、この世界ではポーズばかりのものとなる。……硬派な雰囲気は大切だ。
人間の意識や感性は、環境によって左右される。
「どうして見抜けなかったのかしらね、うちも。
アスカくん、いつかあなたに言われたこと、あまりに改善できていないわね、当方。本当に――カレンを守ってくれて、ありがとう。本来、私が負うべき責任だった」
「今回は、損切りが早いうちに済んでますでしょ。
そろそろカレンを、ギルドに戻したらどうですか。
調律士としての技量は稀少だし、ここでも引く手あまたのはずだ。そうすれば、あなたの身近に彼女を置ける」
「また貴重なご意見いただいてしまったわね。
彼女を贔屓するわけではないけど、全力で守るつもりよ。
カレンの意向を私自らが、たった今訊いてみる。
選ぶのは、彼女自身だから」
「わかりました」
アスカは一礼をして、退室した。
*
待ち時間、三人はヘリオポリスのラウンジにいた。
「ここも増築で、随分と広くなったな」
「お二人は、よくここに来られてたんですか?」
ネーネリアに尋ねられ、アスカは首を横に振る。
説明はミユキがした。
「ヘリオポリスさんには、冒険の初期にお世話になってたから」
「お世話っつぅより、ご迷惑のかけ通し」
アスカは冷ややかに言う。
「ここの人ら、俺みたいのがいると、緊張のし通しだからな。長居はしない」
というか、一部の女性プレイヤーに至っては、露骨に彼を警戒する剣呑な視線が、刺さる。
アスカは無視しているらしかった。
「……ま、元凶さえいなくなればな」
「アスカさん、なにか気まずいことでも?」
「――、ここで話すのは野暮だ。
後にしてくれ」
マリエの執務室から、やがてカレンが出てきた。
表情は沈んでいる、またなにか芳しくないことでもあったか?
そのままアスカのところへやってくる。
「話があるの、ふたりで」
アスカを連れて、彼女がネストの外へ出ると、ラウンジは少しずつ喧噪を取り戻す。
始末屋などという物騒なプレイヤーキラーはいない、これが常態である。
普通のプレイヤーギルドというやつは。
「……アスカさんがいるのといないので、皆さん空気違い過ぎません?」
ネーネリアはミユキへ耳打ちした。
「別に、珍しがってるだけだよ。
ここには彼、何回か来てるけど、そのたび案件が立て込んでたから」
「それと」
ほかにも懸念があった。使ってから、アスカの体調がみるみる悪化した機械鴉の技。
「ヤドリギ、って、あの技はいったい何ですか」
「そうか、あなた見てたんだっけ。
アスカさん、結局岩龍にあれ使ったわけか、急にカレンのとこに行ったから、なにかあったなとは思ってたけど――また止められなかった」
「そういう叙述端折っていただいても?」
「……、あぁ、ごめん」
時々、オルタナの感覚が読めなくてミユキは困る。
「
「まとめて話さないと気が済まないの、説明下手です?」
「――っ」
ネーネリアは辛辣だった。ミユキは静かに小さく肩を揺らす。
「ステータスの上限を引き上げるってことは、これまでよりもっと成長できる。
そういうことですか」
「え、えぇ……でもこれにはデメリット、リスクがある。
対象に弾体が着弾すると、使用者の方に、その記憶や認識が流れ込む」
「ミユキさん、やっぱり説明下手です?
ニンシキって、なんです。記憶って」
「単に、思い出を見てるのとは違う。
生き物の脳、頭にはね、思い出を溜めるだけじゃない。
いつも自分たちが見て、聞いて、嗅いでしたものを、無意識に選んでいるの。
人と話しているとき、その人とどこで話していたかなんて、のちのち曖昧になって、こぼれ落ちていく」
「はぁ」
「そうしてほかの人や、生き物が感じた記憶や、場合によってはそれに紐づいて思った強い感情も、アスカさんは奪い取って、自分が追体験してしまう。
それを自分で抑制できない、そんなこと続けていたら、どうなる?」
「さぁ……どうなるんです」
それが不穏な結論を導こうことは、おおよそ察しがつくのだが。
「場合によったら、アスカさんはアスカさんのままでいられず、廃人になる。
生きたまま、死ぬってこと」
「生きたまま、死ぬ?」
ミユキなりにかみ砕いた言葉の意図は、彼女にも徐々に染みわたっていく。
「あのひとは、そんなことを」
……これまで何度、繰り返したというのか。
*
ギルドネストから出て、裏道に入った。
「ずっと話してなかったことがあって」
「なんだよ。また湿っぽいな」
「……アスカのリアルネームがプレイヤーに知れたのは、私のせいなんだ」
「は?」
彼女が言っていることに対する理解が、一瞬遅れる。
*
ミユキは言った。
「この世界では、人が人を侍らせることができる。
それが上位調教。……あなたが生意気な口を利くようなら、いい加減に契約紋で黙らせるぐらいは私だってやるからね」
「す、すいません」
ネーネリアはそろそろキレかかっている彼女に恐縮して、茶を貰う。
「おいしいですね、ここのお茶」
「ギルマスと、凝ってる店員がいるから」
「へぇ」
わりに彼女はそわそわして、落ち着きがないようだ。
ミユキはまた、この子は何かやらかすんじゃないかと、気が気でなくて、怪訝な顔をする。
*
「どうして、それを今になって言うんだよ」
アスカの声は震えていた。
「俺にはアバターとしての逃げ場も、用意されないのか。
大体どうしてカレンが、俺のリアルネームなんて知ってたって――」
……いいや、考えてみたら。
過去には思い当たる節がある。
ギルドからマリエの持つ山荘を借りた頃、自分たち“四人”は、パーティを組んでいた。あの頃一度だけ、俺が寝落ちて起こそうとしたとき、彼女は……フルネームで俺を呼んだことがある。
「どうしてきみは、現実の俺なんて知ってる。
きみはいったい、誰だったって言うんだ?」
「否定はしないよ。マリエさんや副団長に、話してしまったのも私。ただ」
「言うな」
アスカは静かに一歩ずつ退く。
本当は問いただしたいところじゃある、詰め寄るべきかもしれない。
だがそれでは――アンガーが彼女に迫ったのと、同じことだ。
彼女を見ればわかる、彼女自身が、そうしてしまったことに打ちひしがれているのを。
自分はカレンに対して、加害者でありたくない。
……今でも、そう願っていた。
「悪意があって、したことじゃないかもな。
でも俺には……今それを受け止められる、覚悟がない」
「――、ごめん、なさい」
アスカはしばし黙っていたが、やがてぽつりと言う。
「いいや。きみは正しいことをしたんじゃないの。
そうすれば、『
「違う、アスカのことを邪魔したり、苦しめたくなんてなかったのに」
「だからなんだよ?」
彼はきっぱりと言った。
「俺よりギルドの人たちが大事だった、それだけだろう」
「私は!」
「――何してるんです?」
ひょっこり、痺れを切らしたのだろうネーネリアがやってきた。
ミユキの方は、またしても勝手に動く彼女を引き留められなかったらしい。
「この子、また勝手に動く」
ぜいぜいと追いついて、彼女の肩に手をかける。
「見てわからないか」
「アスカさん、カレンさんのこといじめてるんです?」
「――、かもな」
話が下手に激化するよりはマシだ、これ以上酷いことを言ってしまう前に。
カレンもアスカも、彼女に救われたかもしれない。
「アスカさん。頭冷やしてきてください。
そっちは私とミユキさんで、任されますから」
「きみ、随分しっかりしてるんだな。
……ほんとにオルタナか?」
「いーから、行ってください」
人間の
*
「あの――カレンさんて」
意気消沈どころか、やや憔悴している。
ネーネリアに対し、虚ろな半眼でのっそりと首をもたげる。
「はい」
「アスカさんに、ひどいことされたんですか?」
「違う、あれは私が……責任は私にあって」
「誰の責任なんて聞いてない、何があったんです」
「ネーネリア」
ミユキが彼女の肩に何度目か手をかけて、制止する。
「あなたが、アスカの何を知っているの」
「それは――そうですけど」
「あなた、アスカのことになると、途端に冷静じゃなくなる」
そう語るミユキとて、いつの間にか彼を呼び捨てになっていた。
十分取り乱しているじゃないのか。
「逆に仲間なのに、なんでミユキさんはそんなに冷たいんですか!」
ミユキは言われると一瞬見開いてから、すぐにポーカーフェイスへ戻った。
「アスカは、私のこと嫌いだから」
「なんですそれ」
この人は、なにを諦めている。
なにがアスカに対する遠慮を生んでいる?
だがネーネリアも、それ以上しつこくするのをやめた。
「キューリ君がいた頃には、戻れない。
私も、ミユキも――」
もう一人、プレイヤーがいたらしい。
ミユキの主武装となっている双剣によるバトルスタイルは、消失した故人から継いだものだ。
キューリこと、佐藤九里。
この仮想世界において、蘇生はない。
すべての生物、プレイヤーが基本的にノーコンティニューで活動している。
カレンは言った。
「どのみち聡いあなたなら、すぐに行き着くことでしょう。
アスカの目的を、先に種明かしておこうか。
あの人はね、死人を蘇えらせようとしているの」
「そんなこと、いったい誰を――まさか」
会話の繋がりからすれば、あからさまであった。
「失ったもの、それですべてを取り戻せるんですか」
「わからない」
ミユキもカレンも、首を横に振る。
ミユキが次いで言う。
「犠牲にしてきたひと、それにキューリさんを取り戻せる確証なんてどこにもない。でもそんな約束に私があの人を、縛り付けてしまった」
「あのときは、そうするしかなかった。そうでもなければ、アスカは何もできなくなりかねなかったし。
だからミユキは間違っていない――とにかく彼の行動を、不可解だとすこしでも感じたら、ネーネリアちゃん。
あなたは彼についていくか、いずれ選ばざるをえなくなる。
それだけは……覚悟していて」
唐突に浮上した、恩人を突き動かす動機は、ネーネリアからすればあまりに突拍子もないゆえに、漠然としたものだった。到底軽く流せるものでもない。
彼女は息を呑むしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます