第3話 盗人
「迷宮から生きて戻ったら、ギルドを解雇されてしまって」
ネーネリアの対話者は、アスカが置いていった茶髪の少女だった。
背中に伸びる髪はぼさぼさして、首には赤のマフラー、全体的に軽装である。
「人族のオルタナとまともに契約してくれるほうが少ない、か。
亜人のほうが、まだわかりやすい戦闘力を担っているもの」
黙って頷くほかなかった。
相手は嘆息する。
「それで――ミユキさん、あなたはアスカさんの相棒さんとか、なんですか。
プレイヤーさん、ですよね」
「アスカさんは私のご主人様、年は一個上」
「えと……結婚や恋人とかしてらして?」
ご主人、と言われると、普通はそんなところに落ち着くんだろう。
しかし、彼女は首を横に振る。
「あなたが彼に求めていたのと、同じことだよ」
「どういうことです?
相棒でも、恋人でもないのなら。
私はたしかに、あの人に契約を結んで欲しいですけど」
「アスカさんはあなたに、『上位調教』を使わない。
以前使役していた猫人族の亜人が、いなくなってから」
「猫人族――て、幻の十三番目の支族ですか!?
本当にいたんだ……」
かたやミユキは、お伽噺の存在に心ときめかせる少女に対して、冷ややかだった。
「そのひと、よほど優秀な人だったんですね」
「えぇ。
あの子はずっとそばにいた私なんかより、よっぽど彼の役に立ってた」
どうにもさっきから、ミユキの態度は一貫して重苦しい。
元来から気難しそうな人という印象を覚える。
「それで、あなたは私に、アスカさんの代わりを求めるの。
契約紋のスロットなら空いているけど、どうする?」
「お願い、します」
ネーネリアは躊躇わず頭を下げた。
「なぜ」
「え」
「なぜ私に頭を下げられるの」
「そりゃ、これからお世話になるんですよ」
「プレイヤーの用いる契約、調教システムは、あらゆるものを使役する。
動物でも人でも、アスカさんが扱うように、時としたら無生物さえ。
契約を授かる、なんてのは建前で、強制的に侍らせるなんて、その気になればいくらでもできてしまう。それが契約紋を持つすべての資格者よ。
オルタナのあなたを含めて。
あなたがただ、私に道を選んでもらいたいだけなら、それは甘えだよ。
あなたは自分の資質を、見誤っている。
それならアスカさんでも、私である必要もない」
「――」
契約紋は、異世界からの来訪者であるプレイヤーのみならず、オルタナをはじめとする、霊長に至る知性を備えたものなら、何者もがそれを発現しうるという。その証左が、人外である十二支族らの長と、その縁者らが担う、支族用の固有契約紋である。
プレイヤーほど強力なものではないが、オルタナも限定的な
「私には、会いたい人がいるんです」
「へぇ」
「冒険者になって強くなったら、その人、プレイヤーさんだったんです。
もしかすると……」
「なに?」
「だから私は、ミユキさんのところで強くなりたいんです、お願いします!」
プレイヤーなら契約したもののパラメータは、自分で鍛えればいい。
だけど従属するモンスターの資質と育成の効率には個体差があり、レベルやレアリティの上限をあげて、同じ装備を持たせたところで、素のパラメーターの強さが、そのまま死活に繋がることはままある。
「説得には心もとないね。
私には、あなたでなければならない理由はない」
「――」
「……あなたをどう育てるかは、私次第ね。
アスカさんも、ただ効率だけを求めていたら私と結ばなかった」
「え」
ミユキは自身の右腕を晒した。
「これが私のプレイヤーである証――、さぁ」
たった……ネーネリアの額にその掌を近づけ、互いの同意を取り付けるだけで、この儀式は完結する。
*
「さっきの男、言い寄ってきたのか?」
「よくあるけど、あの人はしつこくて。
この辺徘徊してるみたいで、迂闊に工房の外にも出れない」
「用心棒でも雇ったらどうだ。きみなら、ヘリオポリスあたりの顔見知りをマリエさんに頼めば、俺やミユキづてでもいい」
「ミイラ取りがミイラになるってわかる?」
「……なんか、野暮なこと聞いたね」
「でも心配してくれるんだ」
アスカは嘆息した。
「つまりあの男、きみの護衛に入ったら、きみが綺麗すぎて、仕事がてらやなにかとつけて、言い寄るようになったと」
「わかってること口に出されるとますます嘆かわしくなるね。
おかげで収拾つかなくて、でもギルマスだから、マリエさんも今大事な時期でしょう。こっちに回せる人員なんてないでしょうし、もうどうすればいいかわかんなくて、……怖い」
「俺も時々、ここに来るようにするけど、実際は同性がそばにいてほしいんじゃないか。
次はミユキを連れてくる。俺たちで役に立てるなら、使ってくれ。
今の君に、男を信じろとは言わない。
ただきみが安心できるように最大限はからう、この通り、世話になっているからな」
「――、ありがとう」
契約紋調律用のピンセット、というものがある。
使われないと、普段はただのアイテムとして収容される『枝』だが、これは契約紋の機能を拡張する性質を持つ。モンスターテイムのための一部ステータスの上限を引き上げる。
プレイヤーは契約紋の解放具合に従って、枝の移植を行うが、モンスターとの契約状況とある程度並行して行うものであり、移植には可視化された
「流石、レベルは90台か。トッププレイヤーで、レベル112と聞いているけど」
「100を超えたレベル上限の解放手段、わかれば皆が群がりそうだけど」
「だね。
ところでレベル90にもなって、こんな数の枝の移植が可能って――ヤドリギをまた、使ったの」
「……あぁ。状況的に、
カレンは一旦手を止め、アスカの小指を曲げられない方へと強引に逸らかそうとする。
「待っていたいいたいいたいほんといたいからちょっと!?」
「どうしてあれを使ったの!
あんなものを使い続けたら、きみはきみでいられなくなる!」
「――」
「みゆきちには、そのこと話してないの」
「いや……知ってる。
どのみち、あいつには俺がいなくなったところで、自立してもらわなきゃあだだだだだ小指指指ッ!!!!」
「ばかっ! 大馬鹿!
ここがただのゲームじゃないって知ってて!
自分が傷つくってわかってどうして、ヤドリギなんて使うの!?」
本当に折る気はないのだが、実際、アスカの身をよく案じてくれた。
だからアスカは、契約紋の調律となれば、彼女のもとへ訪れる。
彼女ぐらいしか、心を許せないというのがもっともか。
「あぁ、ほんとに。
その通りだな、でも、こいつのおかげで、なんとか犬死しないで済んでる」
「結果論でしょ!?
進んで死にに行くようなことばっかりするのは、アスカじゃん!」
やがてぼろぼろと泣き始めるのだから、アスカだってやるせなくなる。
空いているほうの左手で、彼女の頬を拭う。
「ごめん、俺――」
「アスカが背負うものなんて、なにもないんだよ?
どうして?
攻略がどうなんて建前のために、アスカは自分を大事にしない」
「最近、考えてた。
どうやったら、ほかの誰も傷つかずに済むのか。
俺自身が強くなるしかない、誰よりも」
「ヤドリギはきみの力なんかじゃない。
なにかを代償にしなきゃ手に入らない力なんて、間違ってる」
「だったら俺は、どうすりゃよかったんだろうね」
「もっと早く……こうなるより前に、私を頼ってよ。
私なら、誰がきみたちをなんと言おうたって、関係ないって言い張ってやれる」
「あぁ……ほんとな。
カレン」
「――」
「今度これを使ったら、最初に浮かんだのが、君の顔だった。
俺はヤドリギなんてこんなものには、まだ飲み込まれてやらないよ」
*
契約を終えたばかりのミユキは語る。
「私がアスカさんから奪ったの。
私はあの人にとって、盗人だった」
彼女の言葉に、ネーネリアは唖然とした。
「……どういう意味、ですか?」
「そのまんま。私を従わせることをしなければ、あの人はもっと楽にやれたはずなのに――私があの人の、自由を奪ってしまったから」
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