朝霧先輩は悔しがる顔が見たい

犬鳴つかさ

朝霧先輩は悔しがる顔が見たい

「──やぁ、よく来たね」


 卒業式が終わった直後の空き教室。桜が花びらを散らすおあつらえ向きの景色が切り取られた窓を背に、朝霧先輩だけはいつものように僕を出迎えた。


 腰のあたりまで伸びた長髪がふわりと舞って、可愛いというよりもミステリアスな雰囲気の黒目がちな瞳が僕を捉える。


「でも、本当にやるのかい? 記憶違いじゃなければ、少年は私にただの一度も勝ったことがないだろう? こんな日にまで勝負を持ち出すのは、ただ遺恨いこんを残すだけだと思うけどね」


 先輩は、思ってもないだろうことを言った。本当は自分だって、やりたいくせに。


「やると言ったら、やります。今のうちに覚悟しといてください」


「あらかじめ言っておくが、花を持たせてなんてやらないぞ」


「それはこっちのセリフです」


 そう……やらないという選択肢があるはずもない。先輩は東京の大学に行ってしまう。もう、会えないかもしれない。


 ただ一度でも勝てるチャンスがあるのなら、逃す手はない。


 僕は学校指定の鞄から『あるケース』を取り出した。しっかりと握ったまま先輩に向かって突きつける。僕なりの宣戦布告だ。


「今日こそ打ち負かしてやります」


 僕たちが専らやっていた、その勝負というのは──。


「僕のこの……魂のデッキで」


 カードゲームだ。




 僕が初めてこの教室に入って来た時も先輩の挨拶は「やぁ、よく来たね」だった。


 少なくとも僕にとっては肉眼で拝めるカードゲームプレイヤーなんて珍しい存在で、それも女性となると絶滅危惧種どころか伝説上の生き物を発見したような気分だった。


『こ、こういうカードデザインが好きで……』


『うんうん。いい動きするよね』


 他の人からは宇宙人を見るような目を向けられた話をしても、打って響くように応えてくれる。緊張で優しく頷いて返してくれる。それがカードゲームオタクの僕には、とにかく嬉しくて。浮かれた僕は、そのまま一戦申し込んだ。


 結論から言おう。僕は完膚なきまでに叩き潰された。


 僕が打った策はことごとく封殺され、その度に痛烈なカウンターパンチをくらい続けた。


 小学生の時には友達から『最強』と呼ばれたり、中学時代には町内大会で優勝したりと、ことカードゲームにおいてはおよそ良い思い出しか無かった僕にとってこの出来事は天変地異にも等しい。ゲーム中盤の時点ですでに茫然自失の状態になってしまったのも無理からぬことだった。


 敗北が決まった時には、初めの浮かれた気持ちなどどこかに行ってしまって悔しさだけが残っていた。


『もっかいやるかい?』


 朝霧先輩は悔しがる僕の顔を見て、どこか意地悪な雰囲気を携えた笑みを浮かべていた。


 結局、一戦、もう一戦と負け惜しみを繰り返しては黒星ばかりが積み重なった。


 十連敗ほどしてクタクタになってきたころ、薄っすらと夕闇が迫る外の景色に目を向けながら僕は聞いた。


『そう言えば、他の人たちは今日休みなんですか?』


 普通なら他の部員が来ていてもおかしくない時間のはずだった。


『……いないよ』


『えっ』


『籍を置いている者は十人ほどいるが、部員は実質私一人だけだ』


 顧問も幽霊みたいなものだしな、と先輩は寂しそうに笑った。


『キミが二人目になってくれると、嬉しいんだが』




 二人だけの部活が始まって、それからもずいぶんと負かされた。


 先輩はおよそどんなプレイヤーも……下手をしたら開発者でさえ見つけていないんじゃないかと思われるほど独特のルートで様々なコンボを決めてくる。


 大人げなくイカサマを疑ったこともあるが、僕が無作為に引いた初手から展開ルートを説明してもらうということを何度もしてもらっているうちに何も言えなくなってしまった。


 単純にデッキの完成度が異常なのだ。冷静に考えれば敵うはずがない。


 それでも僕は性懲りもなく挑み続け、そのたびにやっぱり楽しそうに笑われた。


『僕を負かすのって、そんなに面白いですか?』


 一度、拗ねた調子でそんなことを尋ねたことがある。


『ああ、面白いよ。キミの悔しがる顔、可愛いからね』


 可愛い、と言われて心臓が跳ねた。こういうことを平気で言う人だけど、結局この手の言葉には最後まで慣れなかった。


『……からかってます?』


『からかってはいるけど、一応キミの実力を買ってもいるんだよ。力の差がありすぎる相手に勝ち続けるのは、さすがの私も心が痛むからね。実力は結構近いんだよ、私たち。キミと戦ってちゃんと楽しいのが何よりの証拠だ』


 ただの気休めでしょう? 僕が思わずこぼすと、先輩は目を細めた。


『キミはきっと、私とも渡り合えるようになるよ。だから──頑張れ』


 そんな一言で、もてあそばれるように焚きつけられてきた。そういったことの繰り返しが、僕にとっての青春だった。




「ふうん……この展開ルート、もしかして自分で考えた?」


 ゲーム終盤。先輩が顎に手を当てて、穴が開くほどに盤面を見つめている。こんな姿は今まで見たことがない。


「はい。先輩を倒すために」


 僕は確信していた。いける。このままなら押し切れる。勝てる。そしたら僕は──。


「感心、感心。でもね──」


 先輩が場に伏せてあったカードをめくる。その一手から、どんどんまくり返されていく。今まで自分が築き上げてきた盤面がハリボテだったかのように。


 新たなルートだ。僕はその踊るようなカードの動きに息を飲んだ。


 あまりにも鮮やかな逆転劇。またしても完敗だった。


「く……くッ……」


 ……これ一回きりと決めてきた最後の勝負。文句のつけようが無いほどにボコボコにされた。それでも僕の中に残ったのは清々しさではなく不甲斐ない自分に対する怒りだ。膝に置いた拳を血が出るんじゃないかと思うほど強く握りしめる。


 これは先輩を送り出すための馴れ合いの儀式なんかじゃない。僕は本気で、勝ちたかった。


「──ここで終わらせたくないなら、私と同じ大学に来なよ」


 うつむいた僕の頭に、水をかぶせるように先輩の声が降ってくる。


「……僕の偏差値、知ってます?」


「関係ないよ。本当に私に勝ちたいなら、できるはずだ」


 ──ここまで上がって来いよ、少年。


 先輩は口元を歪める。今まで何度も目にしてきた挑発的な笑み。相変わらず先輩は、僕が悔しがる顔を楽しそうに見ている。僕だって──。


 朝霧先輩『の』悔しがる顔が見たい。




 入学式が終わってすぐに、僕はサークル棟に向かって駆け出した。あの日と同じく、都会でも桜は意外と綺麗に咲いていて……走る僕が起こした風の中で花びらが舞う。


 すでに新歓用のビラは受け取っていたので、場所はわかっている。僕は迷うことなくカードゲームサークルの扉の前に立ち、一つ深呼吸してから開けた。


「──やぁ、よく来たね」


 やっとの再会なのに先輩は……いつものようにそう言った。

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朝霧先輩は悔しがる顔が見たい 犬鳴つかさ @wanwano_shiba

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