第17話 過去に戻る者

 アレキサンダーがロバートの看病に慣れた頃だった。

「アレキサンダー様、明日一日お願いします」

ハロルドは理由を言わなかった。

「わかった」


 アレキサンダーも、無理に理由を言わせようとはしなかった。心当たりはある。隣室の寝台からは、ロバートの寝息が聞こえる。ロバートは、先日の無理の後、高熱が続いた。少し改善したが、今も熱は下がっていない。


 医者もハロルドもアレキサンダーも無理をするなというが、ロバートは無理をする。


 カイラー伯爵を首謀者とした王太子未遂事件に関して、ロバートの記憶は、テラスから飛び降り、アレキサンダーと茂みに移動してから途切れている。どうしても思い出せないロバートに、査察官達は何度も同じ質問をする。査察官達の態度が、ロバートを焦らせ、無理に拍車をかけさせていると、医者は判断した。とうとう昨日、査察官達が出入り禁止となった。


「明日からは当面静かなはずだ」

アレキサンダーの言葉に、ハロルドも頷いた。

「何かあれば、師匠に相談なさってください」

「わかった」


 アレキサンダーは、ロバートの真似をして仕掛けた“ちょっとしたまじない”が、上手くいくことを願った


 翌日もロバートは、うつらうつらと現実と夢の間を彷徨っていた。ハロルドが居ないことにも気づいていないだろう。熱が下がれば治るだろうというのが、医者の診立てだ。ロバートの記憶は、目覚めてからの事に関しても、曖昧だ。医者は、ロバートにいくつかの質問をしたあと、渋い顔をしていた。


「あまり無理に思い出せないほうがよいでしょう。責任感が強い方です。思い出せないことに、自責の念を感じて、無理をしかねません」

医者の言葉に、アルフレッドもアレキサンダーも従うことにした。


 熱に浮かされたロバートは、時折、今と昔を混同したまま、他愛無いことを言った。それにアレキサンダーは、適当に応じてやった。沢山の故人の名を、今でもそこにいるかのように言うロバートに、アレキサンダーの胸は痛んだ。


 ハロルドにとっては、知らない人々の名だ。ロバートが親しげに呼ぶ者達の大半が故人だと知った医者とハロルドは、涙を流した。


 熱が下がっているときのロバートは、動けない以外は、普段と何も変わらない。その差に、アレキサンダーは困惑した。どちらが本当のロバートなのか、わからなくなりそうだった。


 寝台に身を横たえていたロバートと、目があった。ロバートが微笑む。

「アレキサンダー様、そろそろお昼寝をなさる頃合いですよ」

ロバートの目に映るアレキサンダーは、何歳なのだろうか。一緒に昼寝をしていたのは、何歳までだったか、アレキサンダーには思い出せない。

「わかった」

ここに寝ろというように寝台を叩くロバートの隣に、アレキサンダーは身を横たえた。


「今日はいい子ですね」

ロバートは可笑しそうに笑う。

「私はいつもいい子だ」

「はい」

ロバートの手は、ゆっくりとアレキサンダーの頭を撫でる。アレキサンダーは、ロバートに好きにさせてやることにした。そのうちにロバートの手が止まり、また寝息が聞こえてくる。


 眠ったロバートの顔は、あどけなく、子供の頃を思い出させた。貴族達に、鉄仮面と言わしめる、あの怜悧な気配は微塵もない。


 アレキサンダーは唇を噛んだ。胸の内が焼けるような焦燥感に駆られた。


 アレキサンダーは、ロバートに、元に戻ってほしかった。だが、それがロバートにとって良いことなのか、わからなかった。


 熱に浮かされ、過去に戻っているとき、ロバートは穏やかに微笑む。もう何年も見ていない、アリアそっくりの優しい笑顔だ。


 このまま、過去に囚われ、今を忘れて生きたほうが、ロバートは幸せなのではないだろうか。そんな気がした。


「ロバート、お前はどちらがいい」


 眠るロバートは答えない。アレキサンダーは、そっと額の布を取り替えてやった。


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