名探偵を夢に見る
SEN
第1話 容疑者はよく知る彼
私、
そんな事は置いておいて、今日、土曜日の昼過ぎに私は信じ難い状況に追い込まれていた。
「なんであんたがここにいるのよ」
「僕が一番聞きたいよ……」
薄暗い取調室の中。目の前にはヨレヨレの茶色いコートを着ており、寝癖がついたままの頼りなさそうな男が弱音を吐いている。
彼の名前は
今私が行なっている取り調べは、殺人事件のものだ。そして、彼はその事件の容疑者だ。最初に名前を聞いたときは同姓同名の誰かである事を祈ったが、会ってみれば十年前と全く変わっていないあいつがいた。
「あんた、本当に殺したの?」
「やってないよ!」
「……でしょうね。あんたにそんな度胸があるとは思えないわ」
こいつは昔から、虫も殺せないような人畜無害な人間だ。それは私が一番よく知っている。しかし、この事件の証拠品の全てがこいつの犯行である事を指している。
「でもねぇ、凶器のナイフからはあなたの指紋、アリバイもない。ほぼ犯人よ、あんた」
「ハメられたんだよぉ」
「私もそう思うけど……正直、私にどうにかできる事じゃないわよ。証拠が揃いすぎてる」
「そこをなんとか!」
机に頭を擦り付け、手を合わせて情けない声で頼み込んできた。なんというか、こいつのこんな声も久しぶりに聞いた。
寝癖は直さない、寝坊はする、運動もからっきし、ドジで間抜けで女々しい。昔からこんな奴で、それが今でも全く変わっていない。
「仕方ないわね、やれるだけやってみるわ」
「ありがとうございます!!」
私の言葉に全力でお礼を言ってきた。こうやって会話をする度に思うのだが、こいつは本当に男なのだろうか。プライドの欠片もないこんな姿を見せておいて平気なんて、男としてどうなのだろう。
しかし、私がいくらそう考えてもこいつは変わらないだろうと思い直し、取調室を後にしようとした時、あいつが後ろからこう言ってきた。
「何かわかったら僕にも教えてね」
「別にいいわよ」
ほんの少しは気休めになるだろうと私はそれを了解した。取調室を出ると、綺麗な黒いスーツを着崩し、立派な髭を蓄えた長身の男が声をかけてきた。
「あの男は知り合いか?」
「幼馴染みです。それがどうかしたんですか」
「いや……身内となったら捜査への参加はだなぁ」
「いいじゃないですか。わたしはあいつが犯人なら即刻逮捕しますよ」
「逆にすごいなお前。まぁ、ならいいか」
その男は私の言葉を聞いて適当に頷くと、タバコを吸おうとした。外でやれと促すと、頭をかきながらトボトボ歩いて立ち去った。
あの男の名前は
これからのことを考えて頭を痛めながら、廊下を少し歩いて自分のデスクに向かった。手書きでwelcomeと書かれた掛札のかかった扉を開けて中に入ると、書類の山と格闘している人間が三人いた。
この部屋が私の主な仕事場所。人の出入りが少なく、ここを管理する課長も結構ゆるい人なので、この場所を轟先輩は気に入っている。人数の都合で、刑事課の人間が集まっている部屋とはまた別に用意された部屋で、今は五人がここで仕事をしている。
自分のデスクの前まで来て荷物を整理していると、横から後輩の一人に声をかけられた。
「これから出るんですか?」
「えぇ、現場を見に行くのよ」
「昼の事件ですか。でも、犯人はほぼ確定してるって聞きましたよ?」
「一応よ。それじゃあ行ってくるわね、響子ちゃん」
カバンを持ち、手を振ってから立ち去ると、響子ちゃんは可愛らしく笑って見送ってくれた。
彼女の名前は
新人なので当たり前だが、階級は巡査。少し抜けてるところがあるが、任された仕事は責任を持ってやり遂げる胆力はしっかりと持ち合わせている。
外に出ると、強い日差しがさしてきた。やはり、中と比べてかなり暑く、耳が痛いくらい大きな蝉の声がそれをさらに増進している。
駐車場に停めてある車の鍵を開けて中に入り、これから出ようとしたところで、後ろから轟先輩が手を振りながら走ってきたので一旦車を止めると、体力の限界がきたのか、途中からヨロヨロと変な走り方をしてこっちまで来た。そして、窓を開けて用件を聞いた。
「なんです」
「はぁ……はぁ……いや、現場に行くんだろ?なら俺も一緒に行くぜ」
「そうですか、なら後ろに乗ってください。隣に座られると加齢臭がきついですから」
「ハイハイ、どうせ俺はおっさんですよーだ」
思ったより加齢臭のワードが効いたらしく、珍しく少し落ち込みながら後ろに乗った。車を出すと、さっきの続きの話を始めた。
「実際、加齢臭ってどうすりゃいいんだ」
「娘になんか言われたんですか」
「そうだよ。はぁ、まだ小学三年生なのに反抗期なんだぜ。早すぎないか?」
「あなたみたいなのが親なら仕方ないですよ」
「なにおう!家では真面目に父親やってるよ!」
「なら仕事も真面目にやってください」
愚痴を聞くのも面倒なので適当に追い討ちをかけてやると、少しかわいそうになるくらい先輩はしょぼくれてうなだれた。そして、話を事件の方に戻した。
「ジョージ先輩は今朝の事件についてどこまで知ってます?」
「今わかっている事は大体わかる。二階建てのアパートの一階、107号室で発生。第一発見者は二階の205号室在住の金田始で、十時ちょうどに発見した。被害者は
「他の容疑者は?」
「被害者の死亡推定時刻は八時から九時。アパートに住んでいるのは七名。そいつらが容疑者だ。まずは金田始、八時から九時は眠っていたと証言。普段は同居人がいるが、その日は友人の家に泊まっており、不在だった。死体発見の経緯は、起床して一階に降りた時に107号室の扉が全開だったので覗いてみると背中を刺された被害者を発見したようだ」
「……え?同居人?」
「二年前に引き取った孤児らしい。十四歳で今は夏休みを謳歌している。名前は
「どう言う経緯で引き取ったの?」
「小林少年は両親がある男に殺されて孤児になったが、親戚も頼れず、施設にいた。そんなところを金田が引き取ったようだ」
「……へぇ」
「なんだ、気になるのか?」
「別に、なんでもありません」
ジョージ先輩は私をチラリとみて何故かクスリと笑い、再び手帳に目を通して容疑者の情報に目を通し始めた。
「次は、204号室に住んでいる
「ジムまではどれくらいかかるんです?」
「全速力で行っても一時間はかかる」
「少なくとも事件発生後に公亮は外出してますけど、その時に被害者の部屋は見なかったんですか?」
「見なかったようだ。被害者は嫌われ者だったが、その中でも公亮が特に嫌っていたようだ。彼は真面目だから不真面目な被害者が鼻についたってことらしい。そんな奴からしたら、被害者の部屋なんて見たくも無いだろう」
なるほど、事件が起きている時間は夫婦がお互いにアリバイを証明している。だが、それは夫婦が共犯だった場合は意味をなさない。
公亮には動機らしきものもあるし、この夫婦が犯人の可能性は無いとは言い切れない。
「次は101号室に住んでる
「マックに滞在してたのは何時から何時まで?」
「七時十五分頃からから八時過ぎぐらいまでだ」
なるほど、これはさっきと違って、時間的に木山を殺す余裕がないように見える。第三者からの目撃情報も多い。この人はシロの可能性が高いだろう。
「次は大家の
この人のアリバイも固そうだ。だが、常に監視されていたわけでは無いだろう。
それに、大家なら合鍵みたいなものを持っているだろうし、家賃の話とか被害者と話す口実を作って被害者の部屋に侵入することは容易いはず。
それなら犯行自体は理論上可能かもしれない。
「んで、次は……その前に現場につきそうだな」
それなりに長話をしていたせいか、いつの間にか現場が見えてきた。警察はまだ引き上げていないようで、keep outと書かれた黄色いテープの近くに見張りの警官が立っていた。
事件発生からそれなりに経っているのにも関わらず、野次馬がまだアパートの表門でたむろしていた。近くに車を停め、野次馬をかき分けて現場に入った。
中に入ると、事件の関係者がいると言われ、アパートの一室に案内された。そこには、少しシワがでている女性と、作業服を着た白髪まじりの男性が話しかけて来た。
「はじめまして、この事件を担当する木虎真白です」
「轟上次郎だ」
警察手帳を見せて自己紹介すると、二人とも会釈をした。男性の方は堂々としているが、女性の方はこの状況にまだ混乱しているようで、忙しなくあたりをキョロキョロと見回していた。
「おれは北地浩一郎。んで、こっちが大家の青子さんだ。……大丈夫か、青子さん?」
「え、えぇ、多分……」
「では、お話を聞かせてください」
彼らが話したのは、事前情報と大して変わらない内容だった。もっと詳しい事を聞こうと、質問を始めた。
「まず、証言の時刻についてはどれくらい正確ですか」
「大体合ってると思う。いつも朝飯は朝マックってのは習慣になってるからな。そこまで大きな差はないと思うぞ」
「私は腕時計で見たので合ってると思います」
時間については正確。北地の方も、マックの店員の証言があるので問題ないだろう。軽くメモをとって、次の質問をした。
「では、住人同士の人間関係について知ってる事を話してください」
そう聞くと二人は少し悩んでから、北地が首を横に振ってこう言った。
「俺は詳しくは知らん。あんまし他のやつと関わってこなかったからな。あるとしても、青子さんと少し話すくらいだ。木山についてもそうだ、俺は一言も話したことがない」
「そうですね。北地さんはいつも仕事で忙しいから、他の皆さんとあまり関わる機会がないんです」
なるほど、北地は他の住人とは関わってこなかったという事か。動機の面、アリバイの面から考えると彼はシロに近いだろう。
「私は皆さんとそれなりに仲良くさせて貰ってます。ただ、木山さんとは家賃を受け取るとき以外は話さないですね」
「木山はちゃんと家賃を払ってたんですか」
「えぇ、たまに少し遅れる時もありますがちゃんと払ってくれてましたよ。それで、他の方同士の関わりといえば、やっぱり金田さん周りですね。吉山夫妻と大学生二人と仲良くしてましたよ」
(ジョージ先輩、大学生二人ってなんです)
(多分、まだ話してない住人二人だ)
小声でジョージ先輩に事情を聞いた後、再び彼女の話に耳を傾けた。
「それで、大学生二人……
大家さんは住人のことをよく見てるから、この証言は信頼できるだろう。あらかた話を聞き終えたので、別れの挨拶をしてから部屋を出た。
次に、現場の107号室の前まで来て中に入った。玄関のすぐそこに白い紐で人型が作られていた。ここで殺されたようだ。話によると背後から一突。扉の鍵はこじ開けられた訳ではなく、ちゃんと鍵を使って開かれていた事から顔見知りの犯行だとされている。
さらに奥に進み、リビングまで来たがひどい有様だった。無造作に投げ捨てられたシワシワの衣服、大量に積まれたゴミ袋、満タンになっているのにも関わらず放っておかれて役割を果たせていないゴミ箱。ニオイもきつく、思わず鼻をつまんだ。絵に描いたような汚部屋だ。
キッチンのほうに目をやったが、なんかもう見たくないほど酷かったのでサッと目を逸らした。
「こりゃひでぇ、よくこんな部屋に住めたもんだ。俺だったら息ができなくて死んじまう」
「珍しく同じ考えですね。じゃあ、さっさと出ましょう」
悪臭に耐えられず足早に外に出た。外に出て新鮮な空気を吸うと、とても心地よかった。普段吸っている綺麗な空気に感謝しつつ、新しい情報はないか聞いて回っていたら後ろから少年から声をかけられた。
振り向くと、少年のあとを二人の男女がついてきていた。保護者だろうか。
「ここは一般人立ち入り禁止なんだけど」
「ここの住人です!それより僕の話を聞いてください!」
少年はかなり焦っているようで、耳が痛くなるほどの大声を出しながら慌ただしく足踏みをしている。子供特有の高い声で少し耳がキーンとなった。
何か新しいことがわかるのを少し期待し、かがんで少年に顔を合わせて話に耳を傾けた。
「僕、小林優弥っていいます。205号室に始さんと一緒に住んでるんです」
「あぁ、あなたがあいつの同居人なのね」
「そうです!だからわかるんです!始さんが犯人なんてあり得ません!始さんは少しドジだけど、優しくて、他人を思いやれる人です!殺しなんて絶対にしません!」
小林少年は純粋な瞳を潤ませて訴えた。この少年はあいつを相当信頼しているようだ。無論、私もあいつが殺しをできるはずはないと思っている。
しかし、現実には証拠全てがあいつを指している。もし、容疑者になったのがあいつ以外だったら私も犯人だと考えるだろう。現実はすべて、証拠がモノを言う。
「……気持ちはわかるけど、そんなこと私に言われたって仕方ないわよ」
「お願いです!始さんを助けてください!」
「えっと……」
「任せときな、この姉ちゃんはそのために動いてんだからよ」
「え!本当ですか!」
「数年ぶりに再会した幼馴染みを救うために……クーッ!泣かせるねぇ!」
「茶化さないでくださいジョージ先輩。……私もやれることはやってみるわ。だから心配しないで」
そう言って私は少年の頭を撫でてあげた。すると、安心したように笑顔になった。十四歳と聞いていたが、精神年齢はもう少し幼そうだ。
何も糸口が掴めていない中、こんな大口を叩いて大丈夫だろうかと迷っていたが、不本意ながらジョージ先輩に背中を押されてしまった。まぁ、本人は何も考えて無いだろうが、少しは感謝しておこう。
「そういえば、貴方たちは?」
「私は吉山真弓です。えっと、多分知ってますよね」
「まぁ、はい。ってことは、そちらの方は吉山公亮さんですか?」
私がそう聞くと、ガタイの良い男は首を縦に振った。気弱そうな奥さんとは対照的に、見事に鍛え上げられた肉体からは威圧感を感じるほどの気迫があった。
「それより、警察は本当に始さんが犯人だと考えているんですか」
「今のところ一番怪しいというだけです。まだ捜査も始まったばかりなので、新しい証拠が出てくるかもしれません」
「うーん……あなた、私やっぱり始さんが犯人だなんて信じられないわ。だって、始さんはそこまで木山さんを嫌っていなかったし、それこそ、殺す理由ができるほどの関わりもないわ」
「あぁ、俺もそう思う。始さんみたいな人が殺しなんてできるわけがない。そういう事で刑事さん、捜査で俺たちに手伝えることがあったらなんでも言ってくれ」
ここに来て新情報だ。あいつには動機がない。そして、やはりというべきか、あいつの人柄を知っている人間からは殺しなどできるはずがないと思われているようだ。
そしてもう一つ、真弓さんも始と同じタイプの人間だ。第一印象で決めつけるのは危険かもしれないが、人を殺せるような人ではない。もし、公亮さんに共犯を持ちかけられたなら、それに耐えきれず自首してくるくらい心が弱そうだ。
「じゃあ、その事で確認したい事があるんです。アリバイを聞いた時に証言した時間は正確ですか?」
「はい。私が壁にかかってる時計を見たので、間違いないです」
真弓さんが答えた事を手帳にメモを取る。すると、次は小林少年が質問をして来た。
「そういえば刑事さん、この辺りで黒猫を見ませんでしたか?少し太ってて赤い首輪をつけてるんですけど」
「見てないけど、どうかしたの?」
「うちで飼ってるんですよ。名前はワトスン」
「へぇ、なかなか良いネーミングじゃないか」
案の定、推理小説オタクのジョージ先輩が食いついてきた。ワトスン……あいつがつけそうな名前だけど。
「事件のドサクサにいつの間にかいなくなってたんです。ワトスンはわんぱくだから現場を荒らさないから心配で探しにきたんです」
「ハッハッハ!わんぱくなワトスンか、新しいな!」
「私たちは見てないわ。一応現場の奴らには伝えとくから、見つけたら連絡するわ」
近くを通りかかった捜査官にこのことを伝えた後、私はさっきから気になっていたことを吉山夫妻に聞いた。
「お二人はなんで小林君といるんです?」
「あぁ、そのことですか。始さんに頼まれたんですよ。僕が帰ってくるまで預かってほしいって」
「大変ですね」
「そうでもないですよ、いい子なので。それに、もうすぐ子供ができるのでその予行練習ってかんじに思ってます」
「え?そうなんですか」
「妊娠したのは最近です。これから大変になりますよ」
公亮さんが頭をかきながら幸せそうに笑うと、真弓さんは恥ずかしそうに頰を赤く染めた。
幸せそうな夫婦を見て、なんだかこっちも嬉しくなってきたのと同時に羨ましくなった。私ももう二十八歳か、そろそろやばいかも。
「いやー、子育てってのは大変ですよ。お金もかかりますし、それ以上に心労が半端じゃない」
経験者は語る、といったところか。ジョージ先輩は普段はこんなんでも、家族に対しては真剣なのでこういうことに対しては頼りになる。
ジョージ先輩が吉山夫妻に子育てのアドバイスをしている間に、私は先に車に戻って再び事件の詳細に目を通していた。三十分くらい経ってからジョージ先輩が戻ってきた。
「いやー、あの夫婦はいい夫婦だよ。お互いのことをちゃんと考えてる」
「そうですか。それよりジョージ先輩、次に行くところが決まりましたよ。木山の人間関係と人柄を調べに行きます」
「ほぉ、どこに?」
「ここから十キロメートル先にある歓楽街です」
車のアクセルを踏み込み、次の目的地に向けて走り出した。
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