第五十二話・喧嘩上等
グレモリーが買ってきたのは棒の先に飴を球状に固めた小さな菓子だった。
三層構造になっているようで一番外側は蜂蜜味、次に
当たり外れがあるらしく、そのギャンブル性が人気なんだとか。
何故それを選んだのか。グレモリーのセンスを疑う。
二人でのんびり買ったものを食べながら歩く。
途中で議事堂までの道を尋ねた。
最後の一本となった串焼きを貪るグレモリーを目にした、初老の悪魔民は少し話し辛そうにしていた。
議事堂は街の中央にある、とだけ言うとそそくさと去っていった。
グレモリーが何か言ったが、口一杯に含んだ肉のせいでもごもご言うばかりで解読できなかった。
串焼きを完食すると、すぐに飴を口に放り込んだ。
その状態で飴を舌で転がし、棒がくるくる回る。
首都の悪魔民たちはそれを白い目で見るが、グレモリーが睨み返すとさっと視線を外した。
「威嚇するなよ」
「ウォフ・マナフでは普通じゃ。こんな些細な事にも反応されては、さぞ生きにくいじゃろうな」
主観で物事をぺらぺら喋るのは彼女の悪い癖だ。
しかも声を抑えないため、周囲に丸聞こえで怒りに満ちた表情に変わる。
誰も喧嘩を売るような血の気の多い者はいない。
そもそもグレモリーを前にして喧嘩を売るのは自殺行為と言える。
「そうえいば、首都ではチヤホヤされないな」
「当たり前じゃろ。誰しも地元の英雄を優先して讃える。我を知っておる輩は皆無ではないじゃろうが、限りなく少ない」
なるほど、と納得する大和。
串焼き屋の店主がグレモリーを思い出せない理由がそれだ。
いくら七十二柱屈指の実力者と言えど担当区域から遠く離れれば薄ぼんやりとした印象しか持たれない。
だがグレモリーは気にも留めていなかった。
他の評価などどうでもいい。
生きて生き抜いて強者と殺し合い、自らのやりたい事をやるのみ。
グレモリーの心の深層は冷静だった。
「で、まだ着かんのか」
「馬車乗ったら十分で着くらしい」
「ならばそうしようか」
やはり首都には何でもある。
住民に聞けば、金を払って目的地まで送り届けてくれる便利なシステムがある。
もっと早く知っていれば、と短気なグレモリーが口にする。
乗り場を見つけ、金を払い、行き先を告げて馬車に揺られること十分。
ついに目的地であるアフラ・マズダ議事堂に到着した。
下車してすぐに議事堂に入り、受付に詰め寄る。
「バアルはどこじゃ」
脅迫じみた言い方に受付の男はあからさまに怯えていた。
鬼気迫る勢いに唇が震え、言葉が紡げない受付に苛立ったグレモリーが胸ぐらに掴みかかろうとしたところで止めに入った。
「お前はいつも暴力なんだよ」
「議事堂に能無しを雇うのが悪い。シャキッとせんか」
「ちょっと黙ってろ」
グレモリーを押し退けて、受付に名前と用件を伝える。
すると、事前に連絡されていたようで頷きながら手元の書類を確認している。
「案内します」そう言った受付の手は震えていた。「こちらへどうぞ」
受付の後をついて行き、一階から二階、二階から三階へと上がっていくと、いかにも序列一位の悪魔がそこにいそうな扉があった。
「バアル様。お客様がいらしています」
「ああ。入っていいぞ」
ノックをして受付が言うと中から男の声。
受付が扉を開けるより早く、グレモリーが前へ割って入り扉を開けた。
ずかずかと礼節を知らない足取りのグレモリーの後に続く。
やたらに広い部屋に置かれた机には黒の短髪に顎髭を蓄えたがっしりとした体格の男。
ソロモン七十二柱序列一位バアルだ。
「遠路遥々、よく来たな。ようこそ、アフラ・マズダへ」
「バアル、久しぶり」
「ああ。裁判以来だな」
「戯言はいい。さっさと用を済まして帰る」
そう言ってグレモリーはコートの内ポケットから折り畳まれた一枚の紙を取り出し、バアルに投げる。
受け取ったバアルは紙を広げ、そこに書かれている内容に目を通す。
先の禁書探しにて死亡した七十二柱のリストだ。
「全員、優秀なやつだったが……。敵対する者の宿命か……」
悲しそうに言葉を零す。
だがバアルは序列一位らしく割り切ったように紙を畳み、引き出しに直した。
殉職はこれまでに一度しかない稀有な事例である。
任務中に起きたならまだしも、仲間同士の殺し合いによって起きたとなれば非常に後味が悪い。
これからもっと多くの仲間の死亡リストを見らねばならないと思うと気が滅入ってしまうが、それが序列一位の責務だ。
「じゃ、我らは帰るぞ」
「待てグレモリー」
言葉通り、足早に帰ろうとしていたグレモリーを呼び止める。
バアルにとって、グレモリーが首都へやって来たのはタイミングがよかった。
彼女に是非とも会わせたい者がいたのだ。
「なんじゃ。小言なら聞かんぞ」
「いや違う。もう少し待ってくれ。そろそろ……」
話を遮るノック音。
「バアルさん? 入ってもよろしくて?」
続いて透き通った女性の声。
大和とグレモリーは胸のざわつきを感じていた。
扉の向こう。やや声が籠っているとはいえ、聞き覚えがある声だったからだ。
舐めていた飴は全部なくなってしまっていた。何味だったのか思い出せない。
「もちろんだ」
「では失礼いたしますわ」
バアルの声が死亡者リストを見た時よりも嬉しげなものに変わった。
まるで旧友に再会したような。
扉が開かれる。
スリットの入った黒の修道服、白い肌は窓からの陽光を反射して輝く。
頭巾は被ってないが、記憶に新しい艶のある黒髪は肩まで伸びている。
間違いない。首都に向かう道中で出会った修道女だ。
修道女はグレモリーと大和を見ると、「まぁ」と驚いた。
「大和さんにグレモリーさん! どうしてこちらにいらっしゃるのですか?」
「お? 知り合いだったか? 一体どこで?」
どの道、大和たちが冒険者であるという嘘は修道女にバレてしまう。
グレモリーが七十二柱なのも、大和が転生者なのも。
諦めて事の経緯を話した。
「では互いの素性は知らないと。なら紹介しよう。彼女はソロモン七十二柱序列六十八位ベリアル」
修道女もといベリアルがぺこりと一礼した。
「彼女が同じく七十二柱序列五十六位のグレモリー。彼が例の転生者だ」
「そうだったのですね! どうりで二人ともお強いなとおもってましたの!」
「そして、グレモリーはこの間連絡した……あれだ」
ベリアルの表情が瞬時に変わった。
にこやかな笑みからぎょろりと目を見開き、真一文字に口を結んでグレモリーを見つめる。
嘘を吐いた事を咎められるかと思いきや、また笑顔に戻る。
「バアルさん、グレモリーさんの用は終わりましたの?」
「君が来る前に終わってる」
「なら、中庭をお借りしてもよろしいですか?」
バアルは少し言葉に詰まった。
何かを懸念するように腕を組んで悩み、だがすぐに答えた。
「くれぐれも無茶しないようにな」
「もちろんですわ! ではグレモリーさん、大和さん。参りましょうか」
面倒そうな顔をしながらも無言でグレモリーはベリアルについて行く。
大和はすぐには動けなかった。
久しぶりに会ったバアルが自分に伝える事があるのかと思ったからだ。
バアルを見ると一度だけ頷き、書類仕事に戻った。
あっさりした対応に戸惑いつつも、先を行く二人の後を追う。
「失礼いたしましたわ」
ゆっくり扉を閉めたベリアルはそのまま歩を進める。
「嘘を、吐いていましたのね」
「だからどうした? 不都合な事は語らぬが吉じゃろ」
罪悪感を感じて押し黙る大和とは対照的にグレモリーは当然の如く一歩も退かない。
ベリアルは変わらず寛容な態度でそれを受け止める。
一切の反論をせず、ただ靴音が響く。
「お主こそ、七十二柱ならばさっさと言えば良かろうに何故言わぬ」
「あの時、語った事が事実だからです。悪魔王様の僕、名乗るほどの者ではない。これだけです」
二階に降りて、右に曲がると両開きの扉。
開けると、眩しい陽光。左右に別れる回廊。中央は噴水が鎮座し、色とりどりの花が周りを囲んでいる。
中庭にしては広いが、誰もいない。
ベリアルは青い花が咲いている場所で屈み、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
「七十二柱の仲間割れ。バアルからそう言われて帰ってきました。それよりも私の心を躍らせた事がありましたの」
立ち上がると中段の回し蹴り。遅れて風が吹く。花びらが散る。
真っ直ぐグレモリーに目を合わせ、指差した。
「私と同じく格闘術を主とする絶対強者が加入した事です。名前は聞いていませんでしたが、まさかあなただとは……」
グレモリーが近づく。
大和は咄嗟に腕を掴んで、行かせまいとする。
これから起こる事が容易に予想できた。
ベリアルを修道院に送った時、別れ際の会話を覚えている。
また会った時、その腕っぷしと闘ってみたい。
こんなに早く実現するとは、この場にいる全員予想だにしなかった。
そして、実力が未知のベリアルに本能的に恐怖を抱いたのが大和だったのだ。
だがグレモリーは既にやる気らしく、前を向いたまま小声で「心配するな」と呟いた。
「是非とも、一手のご指南を」
「よかろう」
両者が見合う。
鏡のように腕をだらんと下げ、構えようとしない。瞬きもしない。
そよ風が花を揺らし、噴水が水の流れを奏でる。
ベリアルの蹴りで舞い上がった花びらが二人の間をひらひら舞う。
その花びらが地面に着いた瞬間、ベリアルが飛び上がり大降りの右の拳。
それを片手で掴んで止めるグレモリー。
そのまま回廊へ放り投げる。
柱に激突する寸前、体を回転させて受け身を取る。
体勢を立て直す前に距離を詰めたグレモリーが左のストレート。
右に回り込むベリアル。グレモリーの拳は柱を破壊した。
続け様に放った回し蹴りを後退して避ける。
が、足の長さを見誤ったのか脹ら脛に命中してしまう。
「うっ……」
隙を見逃さず追撃の左を打ち下ろした。
顎にクリーンヒットするもベリアルは倒れず、拳を返した。
顔に一発貰い、そこで火が付いた。
互いに拳を振り、打ち合いになる。
上下に打ち分けるベリアルと執拗に顔面を打つグレモリー。
体格、威力ともに上回るグレモリーが優勢で被弾を恐れずに前へ出る。
一方、後退しながらも打ち続けるベリアルは徐々に押され、手数が少なくなっていく。
そこにグレモリーの拳がこめかみに直撃し、堪らず崩れ落ちる。
すぐさま、馬乗りになり首根っこを掴んで動けなくしたグレモリーは拳を振りかぶる。
「歯ぁ食いしばれ!」
グレモリーの下段突きが顔面にめり込むのとほぼ同時、苦し紛れに振ったベリアルの拳が命中する。
「グレム!」
駆け寄ろうとすると、グレモリーはすっくと立ち上がった。
ベリアルの振り上げた拳が力なく地面に垂れる。
「終わりじゃ。帰るぞ」
「大丈夫か?」
「……最後のは効いた」
右頬を撫でながら言うグレモリーの顔には困惑の色が浮かんでいる。
踏ん張りが利かないあの状態からの打撃が意外にも重かったのだ。
何故そんな力が出せたのか見ていた大和も受けたグレモリーもわからなかった。
ともあれ、首都での用事は全て済んだ二人は帰るべく、議事堂を後にした。
中庭に残されたベリアルは久方ぶりの強者との戦いの余韻に浸っていた。
「素晴らしい……ですわ」
誰にも届かない言葉は儚く、そよ風に流される。
自分と渡り合える者は『焦炎』の魔法を使う女帝だけだと思っていたが、グレモリーの強さは彼女と同等かそれ以上。
千年間、骨のない戦いをしてきた。
だが今、殴られたところに走る痛み、じんじんと熱を帯び、血の味をしかと感じる。
そして何より、痛みに伴う圧倒的快感。
体がびくんと跳ね、局部がじんわりと湿り気を持つ。
弄ろうと無意識に伸ばした手を理性で止めた。
「グレモリーさんなら……もしかして……私を……絶頂に……」
上体を起こしたベリアルはその場で跪き、両手を合わせて祈りを捧げる。
「どうか、私と再び出会うまでグレモリーさんに悪魔王様のご加護があらんことを……」
早く、一日でも早く、もう一度戦いたい。次は今よりも力を出そう。使わなかった巨神器も使おう。
決意を固め、ベリアルは局部へ手を伸ばした。
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