第四十三話・帰還
「全く君達はどういうつもりだ! 三日間も街を放ったらかしにして私に業務を押しつけ、のこのこ帰ってくるとは! 無責任にも程がある!」
ベルゼブブが手配してくれたドラゴンタクシーなるものでウォフ・マナフへと帰還した。
陽は沈み、夜の闇が街を包み、多くの家々の灯りが点々と光る時分、五人を待っていたのは見るからに怒っているダンタリオンだった。
彼女の気迫に圧されるまま場所を変えたダンタリオン図書館の応接室でかなり長く続いている説教。
視界に入るのはガラス棚にあるいくつもの表彰盾、本棚、横一線に並んだ五人を叱責するダンタリオン。
室内に入る時に壁掛け時計があるのは確認できたが、背後にあるため時間がわからない。
閉館までしばらくあるそうだが部屋の構造の関係なのか外部からの音は一切聞こえない。
そんな中、普段のアンニュイな雰囲気の彼女からは想像つかない程の怒号が響く。
その度に棚の本が震えたり、床に落ちたりと、まるで館長であるダンタリオンに恐れているようであった。
「三日間! 三日間だぞ! 敵が襲ってこなかったのは偶々だ! 私が死んだら参謀や監視役がいなくなって、困るのは君達だ!」
大和の右隣にいるアミーは説教開始五分で瞳を潤ませ、涙を拭わず直立不動で泣きじゃくっている。
左隣、主犯のグレモリーといえば両手をコートに突っ込み、ゆらゆらと前後に揺れて反省の色が窺えない。
アミーを挟んで並ぶマルバスとサミジナは時折、相槌を打ち、説教を真面目に受け止めている。
「マルバス! サミジナ! 君達は何をやっているんだ! 上位勢として同僚として友として臨機応変な対応はできなかったのか!」
「言い訳するつもりはない。すまなかった」
「全部私達の責任よ。ごめんなさい」
マルバスが謝罪し頭を下げる。サミジナもそれに続く。
ダンタリオンは二人には何も言葉をかけず、アミーに視線を移した。
目が合ったアミーはビクリと体を強張らせ、「あぅ……」と小さく呻き、唇を震わせる。
「アミー! 君もだ! 私はグレモリー達を迎えに行ってくれと言ったんだ! グレモリーの言う事を聞けとは誰も言ってない! 彼女を尊敬しているのはわかるが、時と場合というものを考えて行動してくれ!」
「はいぃ……。わ、わかり、ましたぁ……」
俯いて一際大きく嘔吐きながらボロボロと大粒の涙を溢す。
ダンタリオンはアミーにも容赦はなかった。良く言えば分け隔てなく、同じ声量で叱る。彼女なりの優しさなのか。
そして最後、大和とグレモリーの二人に鋭い視線を送るダンタリオン。
グレモリーの方により強く睨みつけている。だからといって気を緩める訳にはいかなかった。
戦いの疲労と立ち続けの疲労が足に溜まり、今すぐにでも座りたくなる。
だが、些細な行動がダンタリオンの癇に障ってしまうと考え、その思いを顔に出さずバレないように姿勢を正す。
その時だった。
「ふぁ~あ。ふぅ~」
全員の目がグレモリーに集中する。
どうかすぐに謝ってくれ。
精一杯目で訴える四人。
ダンタリオンの怒りが爆発する前にどうか。
しかしこの身勝手の権化はそれしきの事で場を弁えるものではない。
欠伸で浮かんだ涙を指先で拭く。
この蛮行に黙っていられないのはダンタリオン。即座に怒声を響かせる。
「君は反省しているのかグレモリー! アミーを言いくるめて大和君達を率いてどこかへ行った一番の原因は君だろう! 許可するしないにしても私に一声かけるのが筋だと思うけどね!」
正論。まごうことなき正論。
散々怒鳴りつけたダンタリオンは息が荒い。怒りによるものではなく、普段の運動不足が祟って絶望的な体力のなさによるものだ。
グレモリーは対照的で、極めて冷静に軽く顔を緩ませながら言う。
「別にいいじゃろ。お主は古株なだけで一番偉い訳でもなかろう。序列制の中で生きるのであればサミジナの判断及び決定に従うべきじゃ。我が叱責される筋合いないわ」
応接室の空気が重く凍りつくのを感じた。
しばしの静寂。グレモリー以外の全員が唖然としていた。
反省のはの字も、責任のせの字も彼女は微塵も感じていない。
果ては制度に従わないダンタリオンが間違っていると言う始末。
どうにかして暴走を止められないものか。大和は必死に頭を回転させる。
そうしている間にもグレモリーとダンタリオンの言い争いは続く。
「誰も制度の話はしていない! 君の問題を指摘しているんだ! 今までも自己判断で勝手に動いていた事は何度もあったけど今回は度が過ぎてる!」
「過ぎた事をくどくどと。毎回、益をもたらしているからよかろうに」
「じゃあ今回の益は何だ! 言ってみたまえ!」
「アガレス派七十二柱五名殺害。一名撃退。未知の敵勢力一名撃退。申し分ないと思うがの」
「ああ大層な成果だね! でも仲間を危険に晒すのは……」
「引きこもりが危険などとほざくな。いつも前に出るのは我々。口を出すならその身一つで戦ってみよ」
「――っ、何で君はいつも、ごほっ!」
「ダンタリオンさん!」
咳払いをしてよろめくダンタリオンをアミーが素早く支える。
彼女の顔は酷く青ざめていて呼吸は絶え絶え。
アミーはまるで老人の介護をするかのようにダンタリオンの体を支え、言葉をかけながらゆっくり椅子に座らせる。
サミジナとマルバスもダンタリオンの傍へ。
サミジナが水を一杯差し出す。「ありがとう」と礼を言い、一息に飲み干す。
「体力がないくせに、無駄に声を張るからじゃ」
突然よろめいた仲間を前にしてもグレモリーは一切動じない。ニヤニヤと嘲笑を浮かべ、見下ろす。
そのグレモリーに軽蔑の念を抱くのは大和。
彼女が他と同じように駆け寄らないのは、歯向かったダンタリオンへの敵対意識のせいか。単にいつもの面倒くさがりを発揮しただけか。
大和にはわからなかったが、すぐに動けなかった自分もグレモリーと同類だ。
仲間なら助け合うべきだ。護衛として守ってくれるなら尚更の事。
今から動いてももう遅い。
「ふむ。あれは無理そうじゃな。帰るぞ大和。我は眠たくて堪らん」
欠伸をもう一つ。応接室を立ち去ろうとする。
「お、おい。グレム」
「ほら、行くぞ」
大和の前を通り過ぎる時、手を握って二人一緒に扉へ向かう。
離そうとしても離れないグレモリーの握力に為す術なく大和は連れていかれる。
「待て! グレモリー!」
叫んだのはダンタリオン。自らの力で上体を起こし、グレモリーの背中を睨んでいる。
意外にもグレモリーは今まさに部屋から出ようとした足を止める。急に停止したせいで大和はグレモリーにぶつかってしまう。
「処分は追って伝える。ごほっ……それまで大人しくしてくれ」
「ダンタリオン。無理をするな」
「もう休みましょ」
グレモリーは振り返らなかった。その代わりに大和のポケットから例の怪文書を取り出し、指先で器用に弾く。
怪文書は宙を舞い、ダンタリオンの膝にパサリと落ちた。
ダンタリオンと本探し組の三人がそれを訝しげに見つめる。
何だ。ただのメモ帳ではないか。これを寄越したからどうと言うのだ。
だが、去り際に言ったグレモリーの一言でその考えは覆る事となった。
「『一成る者』について書かれてるやもしれん。解読を頼む」
ぶっきらぼうにそう言い残してグレモリーと大和は応接室を後にした。
残った四人の視線は穴が空いたぼろぼろのメモ帳に向いていた。
「これが俺たちの求めていた物か」
「微かな魔力……。とても古いわ」
「でもこれ穴が空いちゃってますよ」
ダンタリオンが適当にページを開く。
直線ばかりで書かれた意味不明な文字列。唯一読めるのは数字だけ。
「この字は私も知らないな。……全く、面倒な仕事を増やしてくれるよ」
名前だけしか知らなかった『一成る者』。
焚書が行われてこの世には存在しないとまで言われた文献が今、自分の手に。
仮にこの変哲ないメモ帳にその事が書かれていなかったとしても、奇々怪々な文字を解読するのは今後、古代の文献を読み漁っていく上で、無意味ではない。
苛立ちと疲労の奥底に小さく宿った好奇心の火をダンタリオンは感じていた。
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