第三十話・半ギレ
なにが起きたのか。
数々の戦いを生き抜いてきたグレモリーがそれを理解する時間は然程必要なかった。
――状況を瞬時に理解し次の行動に繋げろ。
憎き蠅の王はいつもそう言っていた。
最強の助言に適当に相槌を打っていたのが遠い昔のようだ。悪魔の寿命は長いので「昔」の基準は曖昧だが。
しかしまさかベリスに巨躯を浮かせられるとは思いもよらなかった。
不意打ちの大技という訳だ。
勢いが止まらない。
どうにかして失速させる策を考えたが見つからない。
固有魔法『支配』は物体は動かす事が出来ても、空間は動かす事は出来ない。
打つ手はなく、グレモリーは諦めた。
廊下端の教室の扉を破って壁に激突する。掛けられていた絵画が降る。
室内に目を配ると石膏で出来た彫刻やキャンパス、床には激突した衝撃で落ちたであろう絵の具。
これが美術室とやらか、ぼんやりとそう思う。
「雑魚共が」
体は動く。腹部は痛むが大したダメージではない。
ベリスが使った『魔法収縮砲』とは文字通り、魔法を一点に集め、収縮し、一時に開放する事により少ない魔力量でもかなりの破壊力を発揮できる凡庸兵器。
ベリスの固有魔法は『使役』のはず。なぜ左手で撃てる?
なんとなく想像は出来た。
また『例の人』にやられたのだろう。姦染しただけけでなく体を改造されてしまうとは、さすがに同情する。
同情はするが殺す。所詮は敵。
二人はほぼ同時にグレモリーがいる教室に入るとすぐさま左右に別れた。
あの速度で来られるとグレモリーと言えども少々厄介である。意図せずストラスの毒に触れれば、途端に不利になる。
ストラスが毒液を飛ばす。
単調なものだが避ければその先にベリスが回り込むだろう。
敵の思惑の外を突くしかない。
グレモリーは毒液を避けつつあえてストラスへと駆ける。
「なんで……?」
呟くストラスの目が見開いた。
右手を振りかぶる。だがそれはフェイントで、あと数センチで当たる所で止め、鎧に覆われた足で蹴る。
「ごふっ! っ、ベリス!」
腕で防がれたが体内に伝わる衝撃は関係なしに突き抜けていく。
背後からベリスが短剣で刺そうとしている。
背中に手を回して鋭爪シアチを装備する。
支点となる足を入れ替えて体を回転させる。
足はストラスの顔を捉え、鋭爪シアチはベリスの短剣を弾いて、一旦引き離す。
「お主ら、度胸だけは一人前じゃの。七十二柱の端くれだけある。じゃがな、勝てると思うなよ」
もう片方の手を背中へ。左手同様に鋭爪シアチを装備する。
「相手しているのは誰か。今一度よう考えてみぃ」
威嚇するように爪一つ一つをカチカチと鳴らす。
それから腕に力を込める。
誰がこの艶のある肌から馬鹿力が出せると思おうか。
コートの袖が少し下がった手首から
最後に不敵に笑う。
威嚇としては充分で敵の二人はたじろいだ様子を見せる。
「我は七十二柱最強ぞ」
高らかに発するグレモリーの傲慢。
仲間だった頃から聞かされてきたストラスだったが、敵となった今では怒りの火を灯す着火剤となる。
二人は主人である『例の人』こそが七十二柱最強と信じて疑わなかった。
特にストラスは主人がグレモリーに虚仮にされる度、苛々の捌け口として体を重ねていた。
主人を苛立たせる元凶が目の前に。半殺しにして差し出せば喜んでくれるだろうか。今まで以上に激しくしてくれるだろうか。
想像するだけで高揚する。魔力を高めた。出し惜しみはしない。
ストラスの魔力上昇を感じ取り、ベリスも同じ様にする。
グレモリーもまた二人の変化を感じ取り、構える。
「本領発揮か。いいぞ、参れ」
宙空から毒の雨。『支配』で机を二台操り、横向きに積み重ね壁を作って防ぐ。
それをひとっ飛びに越え、鋭爪を振るう。避けられ猛毒手の反撃が来たところを受け流す。
鋭爪と猛毒手。触れる事が憚られるため互いにいなし合う攻防となる。
ベリスの短剣が鬱陶しいが問題ない。
体術に長けたグレモリーは二対一だろうと優勢を保っていた。
眼球、首元などの急所を狙い、二人を防戦一方とする。固有魔法を発動する時間を与えない。
「ははははは! 弱い弱い! 二人してこの程度か!」
煽ると向きになって掠り傷を負ってでも反撃しようとするから面白い。
もう少しからかってやろう。
『支配』で操った椅子を二人の顔面に当てる。
「殺し合いじゃ。恨むなよ」
がむしゃらに繰り出した攻撃を避けつつ痛めつける目的で浅く切り刻む。
前に出すぎたせいで短剣と猛毒手が迫る。
バックステップで躱そうとした時、一瞬だけ体の制御が上手くいかなかった。足がもつれ転びそうになるのを鋭爪シアチで支えてギリギリ躱す。
束の間の膠着。
グレモリーの異変に気づいたストラスが言う。
「あなた体が大きいから毒の巡りが悪い、です。毒耐性でもあるのかと」
「やりおったなお主ら」
グレモリーは粗方の察しがついた。
腹部から体の隅々まで広がる痛み。手足が痺れる。
ストラスは『魔法収縮砲』に自身の毒液を混ぜていたのだ。
グレモリーがベリスの腕の状態を知らないならば、不意打ちは成功しやすい。
食らってはいけない一撃を食らったのがグレモリーの失敗だった。
だが少量の毒ならあと数分は耐えることが出来た。それが早まった訳は、ストラスが毒息を吐いていたからだった。
それでもストラスが予想していた時間を上回って生命活動を維持できたのは長年鍛えた肉体と元から備わっている一定の毒耐性のおかげであった。
「私の毒を受けたあなたの負け、です。せめて苦しまずに……」
たかが毒に侵されただけで負けと決めつけるストラスに静かな怒りが沸く。
不意打ちには不意打ちを。
痺れて上手く動かせない足に踏ん張りを利かせ、毒で動けないと思っているストラスに前蹴りをした。
片膝ついて咳き込む彼女を見下ろす。
「これしきで勝ったと思うなど愚の骨頂。貴様のような者に、勝ち負けを決められとうはない」
「強がり、ごほっ、ですね。すぐに終わらせ、ますよ」
「やってみせよ。我は、まだ勝つ気でおる」
毒が完全に回りきるまで一分弱といったところ。
それまでに秘策を発動しなければ、死が訪れる。
明らかにキレが落ちたグレモリーに対して、ストラスとベリスは素早い動きで翻弄する。
倒れるのは時間の問題とはいえ、グレモリーにはどんな作戦があるのか。
詳細はわからないが発動する前に殺せばいい。
「ベリス。追い込み、ますよ」
小さな頷き。
無言の了解には同じ主人を持つ者として、急拵えながらも強固な連帯感があった。
中央にどっしりと構えるグレモリーに四方八方から襲いかかる。
「っクソが!」
毒々しい色の斑点模様が見る見る内に広がる。
鋭爪が虚しく空を切る。体の操作が先程より鈍い。彼女らの動きが徐々に追えなくなっていく。
それでもベリスの短剣をなんとか避ると、火を押し当てられたような激痛。それも全身に、だ。呼吸のし辛さを覚える。血の気が引く。
毒が全身に行き渡ったのだ。もう時間がない。
苦悶の表情を浮かべるグレモリーに猛毒手を二発命中させるストラス。
「くっ! なんでまだ……」
「ここで死ぬつもりはない。貴様らも生かすつもりもない。勝つのは我じゃよ」
「死んで、ください」
ストラスの手刀が鳩尾に入る。さらにベリスが肌色剥き出しの脇腹に短剣を突き刺す。
二人は何度も何度も刺す。自分達を、なにより主人をバカにしたこの悪魔をここで地に伏せさせる。
斑点はグレモリーの首元まで広がってきている。
終わりが近いのは明確だった。
だがグレモリーの底力は想像以上で、ベリスに強烈な肘打ち。再び鼻血を撒き散らした。
「肉を切らせて、骨を断ぁつ!」
鋭爪をストラスに深く刺す。
ぐりぐりと回して傷口を広げる。
「ああ!」
「これで、充分じゃ!」
肩を突き出して低軌道からのタックル。引き離して間髪入れず詠唱する。
「鋭爪シアチ型式変化『猛毒』!」
グレモリーの巨神器の固有魔法『吸収』。他者の血を付着させることで対処の固有魔法を付与できる。
発動したところでグレモリーが毒に侵されてもうすぐ息絶える未来は変わらない。
ストラスとベリスはそう考え、勝利は揺るぎない物と思っていた。
だが二人の固有魔法『吸収』に関する知識の浅さ。それがグレモリーの狙いだった。
鋭爪シアチには「付着した血の所有者の固有魔法を使用できる」という他にいくつか特殊効果がある。
二つ、「血が複数付着した場合、任意で固有魔法を選択し使用できる」。
一つ目と二つ目は血が一滴でも付いていれば使える効果だ。
三つ、「固有魔法の複数回使用」。
これは付着した血が多ければ多い程、使用回数が増える。
そして四つ、「吸収した固有魔法から受けたダメージの完全回復」。
一定量の血液と自身の魔力を多量に消費する事で発動する秘策中の秘策。
侵された毒をその毒の作り主であるストラスから得た血で解毒する。
まさに毒をもって毒を制す。
「形! 勢! 逆! 転!」
激痛がスーッと引いていく。鼻から肺へ通る空気が爽やかで美味しい。
恍惚の笑みで体を仰け反らせるグレモリーから斑点が移動する。
斑点から豹紋へと模様を変えながら鋭爪シアチに到達すると形状が変わっていく。
長さはそのままに幅が狭くなり、爪の湾曲は真っ直ぐになる。豹紋は爪の一本ごとに纏わりつく。
『結晶』を『吸収』した時とはまた違ったシャープさと取り回しやすさがある。
型式変化完了だ。
「すまんな、ストラス。貴様の魔法貰ったぞ」
ストラスとベリスは茫然自失といった様子で固まっている。
あと数秒で死ぬはずだった。勝てるはずだった。
先程までの苦しそうな顔はどこへやら。グレモリーの肌は元の艶を取り戻し、二人に気持ち悪い笑顔を向ける。
今度は二人の血の気が引く番だった。
唯一の勝ち筋が途絶えた。
脳裏にグレモリーの言葉が響く。
我は七十二柱最強ぞ。
その理由を身を以て知った。
ただの傲慢ではなかったのだ。確固たる自信ありきの言葉。
勝てるはずがなかったのだ。
強く思った。
「
爪に猛毒の霧を纏わせる。
元仲間など関係ない。敵だから殺す。それだけで事足りていた。
「無に帰す毒爪じゃ!」
斬って、裂いて、刺す。
返り血が教室もグレモリーも汚し、血の池を床に作る。
痛々しい爪痕にさらに爪痕を作り、二人の肌色が赤い線で小さく区切られる。
頬が切り開いて歯茎が剥き出しになる。指が飛ぶ。乳房が三枚に下ろされる。
斬撃を止めた。
爪痕だらけの二人は倒れずにその場に直立したまま、虚ろな目でグレモリーを見つめる。なにが二人を現世に繋ぎ止めているのか。
悪魔としての誇り。主人への忠誠心。グレモリーへの憎悪。
事切れたのはすぐだった。
同時に吐血し、よろめく。
苦しみ悶えた後、膝から崩れ落ちた。
喉を押さえながら怪物のような声を出し、激しく痙攣する。
「が、がぼっ! ぎ、ぎゃ、ああ!」
「うがぁ! げっ! ぐっ! ばはぁ!」
「自身の毒にやられる、か。想像したくもないわな」
声はか細く、動きは小さく。
弱っていく二人を汚物を見る目で静かに観察するグレモリーは勝ち誇った清々しい顔だった。
「相手が悪かったな。来世では我に会わんかったらよいの」
黒ずんでいく二つの死体。
佇むは返り血に染まるグレモリー。
ふぅ、と一息。
さて、相方の元へ向かうか。
美術室から出ようとしたグレモリーは上から降りてくる魔力に歩みを止めた。
「なんじゃ?」
天井にヒビが入った。
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