第二十九話・暴君と姦染者
二人共、「なんの事?」と言わんばかりに固まっていた。
無自覚か。それとも悟られまいとする演技か。
ストラスが奴と体の関係なのは有名な話だが、ベリスまでも餌食にしているとは、見境ないのだろう。
ハッと気付く。
果たして犠牲者はベリスだけなのか、という事だ。
グレモリーは知っていた。奴の苛立った気の収め方を。
先の作戦において奴と交戦し、押し勝った事は少なからず苛立つ原因にはなる。
ベリスがどのような理由で餌食になったのかは想像つかないが粗相をしたか奴が理不尽だったかのどちらかだ。
となれば負けて苛立っているところに追い討ちをかけるような出来事が重なれば、自ずとして犠牲者は増える。
それは誰か。
あの時の面子で一番標的になり得るのは大和の技を受け、瀕死状態のレラジェに白羽の矢が立つだろう。
もし姦染しているならば、大和の元に向かうだろう。
避難住民襲撃作戦失敗組のバルバドスとベリスがいるのだからレラジェが来ている可能性は高い。
二対一は不利だと、善意で大和を一階から離れさせたのは失策となった。
「考え事、ですか?」
思案を巡らせていると、ストラスとベリスが既に距離を詰めておりそれぞれグレモリーに襲い掛かる。
ストラスは毒の手刀、ベリスは二本の短剣で向かってくるがグレモリーが思案を止めることはなかった。
深紅の双眸は彼女らが放つ攻撃の軌道と速さを完全に読み、反撃はせずにひたすら躱す。
「ああ、我の連れを一人でも良いのかとな。仮にもあやつは保護対象。どうにかせねばならぬ」
くぐって躱す。少し跳んで躱す。
二人の険しい顔付きにさらに険しさが増す。
こちらは殺す気でいるのに、相手は躱すばかり。
的は大きいはずなのに、相手に掠りもしない。
「なぜ当たらない」という疑問が「遊ばれている」という屈辱に変わる。
「お主らを無視して大和の元に身を運ぶか、今すぐお主らを八つ裂きにするのか。どっちかで迷っている」
緊張感のないグレモリーの態度は懸命に一撃を当てようとする二人にさらなる屈辱を与えていた。
屈辱を自らの四肢に込め、力に変える。
二人の連撃は鋭さを増してグレモリーを追い詰める。
「しかし大和の成長のためにも邪魔が入らない一騎討ちの機会は設けてやらねばな。うむ、そうしよう」
わざとらしく頷くとグレモリーは攻勢に転じた。
ベリスの手首を蹴り上げて、ひとまず短剣を一つ遠くにやる。がら空きの横腹に腰の捻りを利かせた左フック。
迫るストラスの手刀を『支配』で一旦停止させ、首にラリアットを食らわせる。
ストラスの肌に触れた瞬間、ジューッという音と共に煙が立ち上る。分厚いコートの生地が少し溶けていた。
『猛毒』は強酸性の毒。素肌に一滴でも触れると燃えるような痛みが走り、細胞を破壊する。毒液が体内に入るとすぐに手足から痺れが出だし、痙攣し、その他諸々を伴って呼吸器不全になり死ぬ。
また毒息も即効性はないものの、同じ症状でじわじわと対象を殺す。
「くっ!」
踏ん張って転倒を防いだが、直後に目眩と耳鳴りがした。
体重を乗せたグレモリーのラリアットは軽いながらも、ストラスの体に異常をもたらしていた。
インパクトに合わせて倒れれば良かったと後悔する。
視界が揺らいで敵の膝が折れたのを、グレモリーは見逃さない。
もう一度同じ所に今度は踵を落とす。
ゴキンとグレモリーにとっては小気味の良い音がする。
肩を外したのだ。
「はっは! 良い音が鳴ったのう」
ストラスに注意が向いている隙に背後に回ったベリスに羽交い締めにされる。
身長差があるためベリスの足は浮いていた。
体重は軽く大した障害ではないものの、二対一では若干不利だ。
振り払おうとするがその細腕に反して発揮する力は強い。
それが無理なら引き剥がせばいい。
そう判断したグレモリーはベリスの細腕を掴む。そのまま力ずくで拘束を解こうとする。
ベリスも抵抗するが、自称七十二柱最強のパワーには敵わない。
片腕を剥がすと服を掴み、体を翻して体落としの要領で打ち当てる。
拳を振りかぶり、顔面へ容赦のない下段突き。
噴き出した鼻血がグレモリーの手を汚す。歯が折れ、その痛みで悶絶する。
「うわぁ、汚い汚い」
鼻血をコートで雑に拭い去る。
「さぁお主ら。我の前に立ちはだかるということは命は惜しくないのじゃろ。これで終わりではなかろうな。ほら」
見上げれば女とは思えない巨躯。赤銅色の髪が風に揺れる。
グレモリーの鋭い犬歯が覗く笑顔。余裕さと楽しさが感じとれる。
低い声で言う。
「立て」
倒れている二人は決して油断していたのではない。
七十二柱最凶とも呼ばれるグレモリーの強さは知ろうとせずとも勝手に入る。
どんな相手にも臆する事のない強靭な精神力。
鋼鉄にも手形足形を残す膂力。
防御不可避の固有魔法『支配』。
十三個しかない巨神器の所有者。
なにより驚愕するのはこれが序列五十六位な事だ。
無論、序列下位でも強い悪魔はいる。
それらとグレモリーの決定的な違いは、彼女がなぜか巨神器持っているという事実。
巨神器を手に入れる経緯は様々。
なんらかの功績を残した褒美であるのがほとんどで、大体の出自は明らかになっている。
所有者は序列二十位以上に限るという暗黙の了解がある。
ところがグレモリーの鋭爪シアチはどうやって入手したのか誰も知らないし、グレモリー自身も語ろうともしない。
性格の悪さもあって巨神器を手放そうとせず、序列上位は特例で所有を認めた。
その結果、素体の強さに加え巨神器の加護を受けた彼女の身体能力は群を抜いている。
巨神器がなくても勝てる望みは薄いが。
「ベリス、立て、ますか?」
「……」
無言で頷いた。ストラスもまた、頷き返す。
「いいぞ。その意気じゃ。あやつに代わって我を楽しませておくれ」
二人の脳裏に黒剣を携えた短い赤髪の『例の人』が浮かんだ。
『例の人』を失望させては見放されてしまう。
目の前のグレモリーより『例の人』の方が怖かったのだ。
二人は下腹部に手を当てる。痛みと屈辱に波立つ心を凪いで、集中する。
興味深くその様子を観察するグレモリー。なにをしているのか見当つかないが、本気を出そうとしているのは理解できた。
「淫紋開放」
服を透けて二人の下腹部に円の紋章が現れた。
それはソロモン七十二柱一人一人に宛がわれた悪魔紋章であり、現れたそれは『例の人』の物であった。
紋章からいくつもの線が伸びて身体中に張り巡らされていく。
蝕んでいるとした方が正しいかもしれない。
線が少し進むごとに苦しく喘ぎ、体を激しく震わせる。
姦染すると『例の人』の言いなりになってしまう。
グレモリーが知っているのはそこまでだった。
姦染者の能力変化については知識の範囲外だったのである。
線が全身に広がりきると二人の髪は赤く染まり、目は完全に紫色になる。
「どうか。私達に力を」
声色がおかしい。
ストラスが外れた肩を元に戻す。
舌打ちをして間合いを取る。
そんなグレモリーを追う二人は先程とは速さが段違いだった。
獲物を狙う獰猛な獣のようにカウンターをされるのを省みず突っ込んでくる。
「ふむ。これは予想外じゃ」
教室へ手を伸ばし空間を掴む。
見えない巨大な網で机と椅子を捕らえ、全てを二人にぶつけるイメージで、一気に引く。
突風が吹いたかのように机と椅子が暴れ、教室を飛び出して直撃する。
かと思いきやストラスが発生させた毒液の壁が一切を飲み込み、融解して得体の知れない液体を生み出した。
「出陣!」
初めて喋ったベリスの一声で、背後から悪魔兵が三人、前に出る。
「
三人を巻き込む回し蹴り。窓を突き破って外へ消える。
腹に冷たい感触。
見るとベリスの左手が当たっている。
片足を支点に回し蹴りを放った後のため体を動かせない。
――『支配』で腕をへし折るか。
最善の判断だったが、早かったのはベリスだった。
「魔力収縮砲全開出力!」
左腕が唸りを上げる。
直後、赤い光を放ち爆発を起こした。
グレモリーの巨躯が吹き飛んだ。
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