第六話・巨神器魔剣フルングニル
「暇なときにでも来るといい。いつでも歓迎だ」
ダンタリオン図書館に滞在してそこそこの時間が経ったと思った頃、ダンタリオンは自分の仕事があると言った。邪魔してはいけないので図書館を出る旨を伝えると「別にいても構わないが」と言われたが、もう少し街を見てみたかったのでまた来る約束を交わし再び街へ繰り出した。
時計などの時間を確認する道具がないため現在時刻がわからないが太陽光とおぼしきものが真上から地上を照らしてくれていることを考えると正午ぐらいになるのだろうか。図書館に入る前より人出が少し多いようだ。
「この一番暑い時刻に! 極悪激辛鍋膳いかがっすかー! あまりの辛さに本当に火を吹く方続出! 数量限定っすよー!」
「暑いからこそ冷たい料理を! 極圏悪寒定食はこちら! 食べたらたちどころに体温十度低下お約束! 早い者勝ちだよ!」
隣り合った店の入り口で男悪魔が大声で客寄せをしている。人間の世界であれば近所迷惑になりそうな声量だ。
売り文句を聞いていると火を吹くとか体温十度低下とかは誇張し過ぎではないかと思ってしまうが、ここは悪魔界。十六年間で培ってきた一般常識はここでは通用しないことはわかっている。
誰が食べるのだろうと遠巻きから見ていると一分もしないうちに長蛇の列ができた。相当な人気店ということが容易に予想できる。それぞれの店に並ぶ客同士でなにやら言い争っている。一言発するごとに同じ列の悪魔に同意を求め、それに賛同している。するともう一つの列の悪魔達がまた同じことを繰り返す。
店に入る気にはならない。昨日今日で自分に向けられる視線、アインの言葉。人間を見下しているのは明らかであり、感じたことのない生きづらさがある。そこに飛び込む勇気がない。
にしても、彼らはなんであんなに呑気なのだろう。ダンタリオンに聞いた七十二柱の分裂。いつ戦いが始まるかもわからないのにだ。民衆の混乱を最小限に抑えるために物事は水面下で動いているのかもしれない。
そんな考え事をしながら目的地もなくフラフラ歩いていたせいか、大通りから外れ路地裏にいた。どことなく嫌な予感がした。これが第六感というものか、はたまた虫の知らせというものか。いずれにしろ大通りに戻った方がよさそうだ。そう思って引き返して、数歩行くとなにかにぶつかった。
「なにこれ、壁?」
目の前にはなにもない。だが自分はなにかにぶつかった。この矛盾を納得させるため、大和は前に手を伸ばした。
手の平に柔らかい感触があった。押すと少し沈み、力を弱めると押し返される。
もしかしてと思い反対へ行くと十数メートルのところでまた同じように見えない壁にぶつかった。
前後に進む以外に道はなく、大和は見えない壁の間に閉じこめられてしまった。
「俺の固有魔法『独壇場』。予め設定した範囲に足を踏み入れた敵を一人だけ閉じ込め、一対一の状況にする魔法」
上から声がした。屋根に屈強で大柄な体つきをした男が大きな剣を背負い、大和を見下ろしていた。
「そしてこの範囲内にいる間、術者の全能力を上昇させる」
男は屋根から飛び降りて大和のすぐ前方に着地した。数歩後退する。
「長谷川大和だな?」
「だ、誰だよお前」
声が震える。倍近くある腕の太さ、ギラリと光る剣。あれで殺されたら、と脅威を目の前にしただけで最悪の結末を想像してしまう。
「ソロモン七十二柱序列五十七位オセー。お前をぶち殺しにきた」
「俺を殺したらどうなるかわかってるのか? 逆に殺されるだけだと思うぞ」
「そんなの知ったこっちゃねぇ。俺は上からの命令に従ってるだけだ」
自分を殺したらきっとグレモリーやマルバスに返り討ちに会うと思って脅しをかけてみたが通用しなかった。
『上からの命令』ってことは彼はアガレス派の悪魔だろうか。
オセーと真正面からぶつかっても負けることは目に見えている。人間と悪魔には根本的な身体能力の差があることは、朝自宅の外でグレモリーがしていた鍛練と大和に殴りかかろうとしたアインを止めたダンタリオンの言葉から察することができる。仮にグレモリーの身体能力がそっくりそのままオセーにも備わっているとしたら勝てる見込みはない。
「ボーッとすんなよ、人間!」
オセーが剣を構え、突進してくる。間合いに入ったところで橫に薙いできた。
咄嗟に抜剣し、オセーの剣を防御する。
ガキィィィィン。
耳をつんざくような音がなったかと思えば、大和の体は宙に浮き、建物の壁に叩きつけられた。
「くぅーーーーー! やっぱり闘いは最高だな! スカッとするぜ!」
苦痛に顔を歪める大和とは対照的に、オセーの表情は非常に満足げだった。長年我慢してきたものがここでようやく解き放たれたかのような気持ちが見てとれる。
壁にぶつかった衝撃で意識が飛びそうになったのをなんとか持ちこたえ、立ち上がろうとしたら壁にできた亀裂からポロリと落ちた拳大の破片が頭に当たりまた意識が飛びそうになる。剣を手放さなかっただけ上等だろう。
「さぁ立てよ。まさか、ここで終わるなんて言わねぇよなぁ? まだたったの一撃だぜ?」
オセーが歩み寄る。大和が動けない状態なのを目にしてもなお見逃してはくれなさそうだ。
「おい! 下等種族!」
髪の毛を掴まれ、無理矢理上を向かされる。
「剣抜いたってことは戦闘の意思はあるってことだよなぁ! 一回も攻撃を仕掛けないで俺に殺されるのか? 情けねぇな!」
腹に膝蹴りを食らう。今朝食べた物が胃から上がってくる嘔吐感をこらえる。攻撃を当てられた部分だけでなくあまりの強さに全身に痛みがほとばしり、うめき声を漏らす。それをオセーが嘲笑う。
バカにされて終われるか。
剣を杖のように使って立ち上がり、柄を両手でしっかり握ってオセーと対峙する。
「それでいい。それでこそ殺しがいがあるってもんだ!」
「うるせぇな、悪魔」
「あ?」
「人間の底力を見せてやるよ」
足は震え、心は恐怖で埋め尽くされているが虚勢を張る。弱いところを見せたらまたバカにされる。その対抗心が大和の体を直立させている理由だった。
「なら見せてみろよ!」
大振りの上段振り下ろし。大きな体に大きな剣、それ故に攻撃速度は目に追えないほどではない。
そう考えた大和だったがそれを瞬時に否定する。オセーの固有魔法『独壇場』の効果を忘れていた。どれほどの値まで全能力を上昇させるのかはわからないが、大きな剣を軽々振り回すほどの力はあると仮定する。
この場合、回避するという行動が最適解だ。
右へ跳び、オセーの攻撃を避ける。
地面がきれいに割れた。あれに当たったらひとたまりもない。
「逃がさねぇぞ!」
オセーは体を回転させながら剣を振る。またしても確実に命中する軌道にあったため、初撃と同じく剣で防ごうとしたが回転力と遠心力が加わった攻撃は大和の剣を弾いた。
体を捻って躱そうとしたが間に合わず、脇腹を数センチ切り裂いた。
後退して距離をとる。
今まで感じたことのない痛みだった。カッターナイフで指先を切ったときのあの痛みとは比にならない。
傷口を手で押さえると、真っ赤な血がベットリとついていた。鉄のような匂いが鼻につく。
「たまんねぇな! その苦痛に歪む表情。それが見れなくて退屈してたんだ俺達は!」
こちらに近づくオセー。
逃げなければ。
脇腹が痛い。
でなければ殺される。
血が止まらない。
逃げろ。痛い。逃げろ。痛い。逃げろ。痛い。逃げろ。痛い。逃げろ。痛い。
痛覚が邪魔して、脳からの命令が体へ伝わらない。
オセーがもう目の前にいた。
「ふん、楽な仕事だぜ」
オセーは大和の太ももの剣を突き刺した。皮膚を、肉を、骨をも貫いた痛みは大和から『逃げる』という選択肢を消し去った。
「ぐあぁぁぁあぁぁ!」
さらに剣を突き刺したままグリグリと縦に横に動かす。さらには剣を手放し、大和の顔を殴る。石で直接殴られているのかと思うほどオセーの拳は硬く、重く、反撃する暇もない。
太ももから流れ出た血が広がる。オセーが殴打して、大和の体が動く度その血が飛び散ってお互いの服に水玉模様を作り出していた。
「弱いな。ま、人間だからしょうがねぇか」
オセーは殴るのをやめたかと思うとまたも大和の顔を狙って豪快な蹴りをお見舞いする。決して離すまい、とずっと握りしめていた剣がついに手から離れてしまった。横倒しになった大和の目と鼻の先にあるが、取る気力もない。
「そんな剣を持ってたって弱いやつは弱いんだ。お前は人間、俺は悪魔。たかが一つの武器でこの戦力差が埋まることはない。わかるか? つまりなにが言いたいかって、お前は俺に勝てずにむざむざと殺されるしか道はないんだ」
粋がって立ち向かうだけ無駄だった。一撃でも当てようとしたがここまでオセーの力になす術なく圧倒されている。
脇腹と太ももからの血がとまる気配はない。太ももにはかなり大きな血管がありそれが損傷したら出血多量で死ぬという話を聞いたことがあるが、まさか自分がそれを体験するとは思わなかった。
「あーあ、つまんねぇの。もっと楽しみたかったが死にかけのやつを痛めつけてもつまんねぇしなぁ」
オセーは退屈そうにあくびをした。
悪魔界に来てからろくなことがない。牢屋に入れられ、民衆から冷たい目で見られ、種族の迫害を受け、そして今二度目の死が間近に迫っている。
その時、大和は気づいた。
他人に自分の運命を委ねすぎだ。
謎の人物に殺された時、牢屋にいる時、裁判の時、街にいる時。自分でそれらを好転させたことは思い返せば一度もない。
あの時こうすれば。そう思ってからでは遅い。ならば変えるのは今。
ここには自分とオセーしかいない。このまま殺されるか、自分を信じて別の道を作るか。その二つなら後者を選ぶ。
大和はグレモリーからもらった剣に手を伸ばす。グレモリーは言っていた、大和がこの剣を持つことに意味があると。それに賭けてみることにした。
心の中で強く念じた。
自分で自分の運命を切り開く力を。この理不尽な世界で生き抜く力を。
柄を握った瞬間、赤い光が剣から放たれた。
「な、なん………だ?」
「お前か? 俺を目覚めさせたのは」
剣が語りかけてきた。なにが起きているのかわからずにいると続けて剣が喋る。
「なんだ。死にかけじゃねぇか。それなのにこの精神力、この俺が目覚めるのも無理はないな」
「お前は、誰だ?」
「俺を知らずに持ち歩いてたのか? はっ、随分間抜けなやつだ。まぁいい、俺の名はフルングニル」
「フ、フルングニルだとぉ?」
オセーが驚いて声をあげる。驚いたのは大和も同じだ。
北欧神話においてヨトゥンと呼ばれる霜の巨人族の中の一体、フルングニル。石の頭に石の心臓を持つ、かの北欧神話最強の神トールと戦ったことのある巨人である。
なぜそんなやつがこの剣に。
「お、おい! フルングニル! そいつは人間だぞ! そんなやつに目覚めさせられていいのか!」
「ん? お前人間なのか?」
大和は頷いた。
「ふーん。ま、俺は気にしないけどな」
「なんでだ! そんな奴より俺だろ! 俺を選べよフルングニル! 名のある巨人の力を宿した強力な武器、巨神器魔剣フルングニル!」
グレモリーはそんな武器を押し入れに入れっぱなしにしていたのか。さすがにそれはフルングニルが可哀想だ。しかも一切の説明なしに渡され、急に巨人の力が目覚めたと言われれば驚くのは当然だ。グレモリーもダンタリオンも不親切すぎる。
「お前は、なんかなぁ。能力が中途半端だ。それならお前に殺されかけてもなお、生きようとするこいつを選ぶ」
「なんでだ!」
「黙れ未熟者!」
フルングニルが一喝するとオセーはその迫力に圧されてなにも言えなくなってしまった。
「おい人間。名前はなんだ」
「大和。長谷川大和だ」
「大和か。なんか弱そうな名前だな」
なら聞かないでいただきたい。
「お前に俺の力を貸そう。なぜ人間が悪魔界にいるのかはさておき、今はお前を痛めつけた悪魔を殺そうじゃないか」
「でも、俺は………」
「ああ、傷のことか。任せろ、俺の全ての力をお前に流す」
赤い光が移動し大和の体を包んだ。すると太ももに刺さったままの剣が勝手に抜けた。流れ出ていた大量の血液がすごい勢いで傷口から体内に戻り、切り傷は塞がれ、オセーに攻撃を受けた箇所の痛みがあっという間に消えた。
「さぁもう大丈夫だろ。立て」
体が異様に軽かった。ズシリと重かった剣がまるで羽毛のようだ。これもフルングニルが力を貸してくれたおかげということか。
「どうだ? 体の調子は?」
「最高だ。なんでもできる気がする」
「譲渡は成功したみたいだな。おっと敵が来るぞ」
オセーがすでに剣を振り下ろしていた。だが先程と違い剣筋がはっきりとそれでいてゆっくりと見える。防ぐのは難しくない。
大和も剣で受けると今度はオセーの方が弾かれた。
いける。反撃のチャンスだ。
オセーを真一文字に斬る。
「がっ! このくそ!」
オセーの連続攻撃をいとも容易く受け流す。大振りの一撃をまた弾き返して斬りつけ、お返しとばかりに顔面に飛び蹴りをする。
オセーの巨体が吹き飛んだ。地面に何回かバウンドして停止する。
「すごいな。これがフルングニルの力か」
「まぁな。そろそろ仕上げにかかるか。大和、今からお前に俺の固有魔法を渡す。それを使ってあいつにとどめを刺せ」
「ま、魔法? 俺に使えるのか?」
「心配すんな。自分で自分の運命を切り開くんだろ」
「………そうだな!」
剣を構える。
突然脳内に意味不明な言語で声が聞こえる。それがすぐに大和にわかるように最適化される。
固有魔法『結晶』。魔力で形成された頑丈な結晶を作り出す魔法。壁のようにして守るもよし、槍のようにして攻めるもよし。結晶が破壊されたときまたは物体に結晶を発生させ他の物体に衝突した時任意で衝撃波を生み出すことができる。
そして剣に結晶を纏わせ敵を斬った瞬間に衝撃波を生み出して斬撃と打撃の両方を敵に与える。
技名、
「さぁ走れ大和!」
「おう!」
フルングニルに言われ、一気に駆け出す。棒立ちのオセーの少し手前で飛ぶ。
剣を振りかぶり、頭の中でイメージする。
魔剣フルングニルに結晶を。
ビキビキビキ、という音と共に刀身に青い結晶が生まれた。
「かませ!」
「うおおおおおお!」
剣を振り下ろす。それと同時に大和は叫んだ。
「
オセーの体を斜めに斬る。遅れて結晶が消え、凄まじい音と共に辺り一帯に衝撃波が発生した。
ドバァァァァン――――――。
地面を抉り、建物の壁をひび割れさせ、オセーを襲った技は魔法覚えたての人間が初めて使うにはあまりにも高威力だった。
これが魔法。これを使いこなせればこの世界を生きていける。
ピクリとも動かないオセー。高笑いをするフルングニル。
「はっははははは! やるじゃねぇか大和!」
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