第四話・悪魔界生活一日目
仮面をつけた男が誰かを踏みつけている。
男は右目だけに穴が空いたのっぺりとした奇妙な仮面をつけており、手には刀を握っていた。
地面に這いつくばる人物は逃れようともがくが、男の脚力が凄まじいのか少しも動かなかった。
俺はその様子をすぐ傍で見ていた。二人は俺のことなんか存在しないように振る舞っている。
男が刀を振りかざした。
「お前が誰だかは知らん。ここに足を踏み入れた不幸を悔やめ」
下になっている人物が顔を上げた。
あれは………。
俺?
※ ※ ※
勢いよく飛び起きる。首もとに汗が伝い、呼吸が荒くなっていた。鼓動がはっきりと聞こえる。
「なんだよ今の」
夢でよかったと安心したが、自分が殺されそうになる夢を見るなど縁起でもない。
とりあえず数回深呼吸をして心身を落ち着かせた。
「そっか俺、悪魔界に来たんだっけ」
冷静になって思った。
何者かに殺され悪魔界にやってきた。その犯人は見つけることはできるのだろうか。そして人間界に戻ることはできるのだろうか。
追々わかっていくのかもしれないが、真実に辿り着く前に自分が死んでは元も子もない。
ふと隣に気配を感じた。まさかとは思い、恐る恐る視線を移すと、
「うわぁ!」
上半身裸で気持ちよさそうに寝息を立てるグレモリーがいた。
咄嗟にベッドから飛び出してしまったせいで床に腰を強打してしまう。
先ほどまで夢のことなどで考えていたことが全てどこかへ飛んでいってしまった。それには理由があった。
見てしまったのだ、会ったばかりの女性の裸を。艶やかで潤いのある肌は窓からの光を反射して輝いていた。
「ん、ん~~?」
まずい、起きてしまった。
「ふあ~あ、おはよう大和」
「服着ろよ! なんで裸で隣で寝てんだよ!」
床に放置されていたタオルを投げつける。
「なんでって我の部屋で我がどんな格好で寝ようが構うまい。お主にこのベッドを明け渡した訳でもないしな」
なぜこういう時に暴論ではなく正論を言ってくるのか。グレモリーに命を救われた手前、あまり強く出ることはできない。
「にしてもたかが裸を見ただけでその慌てよう。お主、
「………うるさい」
「もっと近くで見るか? ん?」
「いいって!」
大和は逃げるように部屋から出、一階に向かった。
前日の予想通り、初日からグレモリーに振り回される羽目になった。しかし、これから悪魔界で過ごすのであれば必然的にあのグレモリーの痴女顔負けの格好を目にしなければならないのならば彼女の格好に慣れるしか道はない。何事も自分自身が変わらなければ前へ進めない時もあるものだ。
そう言い聞かせて一階に降りるとサミジナが台所で食事を作っていた。大和を見るなり優しく微笑む。
「おはよう大和君。昨日はよく眠れた?」
「お陰様で眠りはよかったよ」
「グレモリーになにかされなかった?」
「まぁ、なにもなくはなかったとだけ言っとくよ」
「えっと、深くは聞かないでおくわ。もうすぐご飯ができるから顔でも洗ってきて。洗面所は階段横の扉からいけるから」
サミジナに言われた扉を開けると先客がいた。紫色の髪に低身長、アミーだ。
「あ、大和さんおはようございます! 今日も一日よい日にしましょうね!」
「………おはよう」
太陽の様に眩しいアミーの元気さに気圧されて返事が素っ気なくなってしまった。それに気づいたアミーが悲しそうな表情になる。
「大和さん、元気ないですか?」
「あ、いやそうじゃない。アミーは元気だなって思って」
「朝から元気な方が一日気合いが入りますので!」
「朝が苦手な俺からしたらすごいな」
「大和さん、グレモリーお姉様となにかありました?」
アミーのグレモリーに対する呼び方が『グレモリーお姉様』だったことは今はどうでもいい。アミーから見たらグレモリーは尊敬と憧れの対象であるのだろう。
サミジナに続きアミーまでも同じことを言われた。二人が口裏合わせているのか、はたまた単純に大和のことが心配なのかはわからない。が、グレモリーやサミジナに比べて純情であろうアミーの問いになにも答えないのはあらぬ誤解を招きかねない。なにか言わなければ。
「どうしてそう思うんだ?」
「うーん、大和さんがあまり疲れが取れてなさそうなのとグレモリーお姉様が楽しそうだったからでしょうか」
「グレムが楽しそう?」
「そう! それですよ!」
「どれ?」
「グレモリーお姉様が他人に『グレム』なんて軽々しい呼び方させるはずがないです! 私以上に長い付き合いのサミジナさんやマルバスさんでさえ、普通の呼び方なのにです!」
言われてみればほぼ初対面の相手に自分のニックネームで呼んでほしいなんて要望は余程のコミュニケーション能力が高く人との距離の詰め方が上手くないといけない。
そう思うとサミジナやマルバスに普通の呼び方をさせて大和にニックネームを呼ばせるのは不自然な感じだ。
「グレムのことはよくわからないな」
「ええ、私もグレモリーお姉様掴み所がないというか………」
「お主ら、なにを話しておる」
アミーと揃って驚いて振り向くとレザーコートを着ていないグレモリーがいた。
「おはようございます! グレモリーお姉様!」
「うむ、おはよう。で、二人ともなにを話しておったのじゃ? 我の悪口か?」
「いえ、決してそのようなことはないです!」
「まぁよいわ。我は朝の鍛練に行くからな」
「はい! お疲れ様です!」
洗面所から出ていくグレモリー。その姿が見えなくなってから二人は安堵した。
「びっくりしましたー。グレモリーお姉様いきなり来るんですもん」
「そうだな」
「あ! 大和さん早く朝ごはんを食べましょう! サミジナさんってかなり時間に厳しいですから!」
家に住まわせてもらってる以上迷惑をかけるわけにはいかない。洗顔と歯磨きを済ませ食卓に向かう。
テーブルの上には目玉焼きが乗ったトースト、大皿から溢れるほど盛られたサラダ、山積みにされた焼いた肉、数種類の飲み物と朝食とは思えないほど豪勢であった。
ここで大和に一つの疑問が浮かんだ。果たしてこれらの料理に使われている食材は人間である大和が口にしても問題ないのだろうか。悪魔と人間の身体能力差から考えると危うい気がするが。
「大和君、どうかしたの?」
食べるのに躊躇しているとサミジナから声をかけられた。
「いやなんていうか………」
「うふふ、大丈夫よ。多分食材自体の心配をしているんだろうけど、人間の大和君が食べても問題ない物を選んだわ。安心して食べて」
勇気を出してトーストを一口食べてみた。
おいしい。
人間界の同じものと比べても格段にこちらの方がうまい。他の料理にも手をつける。サラダは噛む度に食材の香りが鼻を通り抜け得体の知れない酸味の効いたドレッシングと相性がいい。
続いて肉にも手を伸ばす。こちらは歯応えがよく噛めば噛むほどジューシーな肉汁が出てくる。
「どう? おいしい?」
「めっちゃおいしいよ」
「よかった。食事面は問題なさそうね」
「サミジナさんの作る料理はどれもおいしいです!」
「ありがとうアミー」
「そういえばグレムはどこに行ったんだ?」
大和がグレモリーのことを『グレム』と呼んでいることに驚きつつもサミジナは掃き出し窓の外を指差した。
そこにはグレモリーが自身の何十倍もの大きさのある岩を担ぎながらスクワットをしていた。その隣でマルバスが長い棒に岩を何個も串刺しにして素振りをしている。
「二人の日課よ。グレモリーはあれを千回、マルバスも千回。なんで朝からあんなに動けるのかしらね」
外から声が聞こえる。
「九十八、九十九、千!」
二人とも同時に千回を迎えたようで持っていたものを下ろす。
「今日は我の方が早く千回を迎えたぞ!」
「だからなんだ。元から競うつもりはない」
言い合いをしながらも二人揃って歩き家に入る。
「おはようございます! マルバスさん!」
「ああ、おはよう」
グレモリーは大和の隣に、マルバスはサミジナの隣の椅子に座る。
「どうじゃ大和。サミジナの飯はおいしかろう」
「うん、おいしい」
「たらふく食べろよ。そうせんと強くならんからな」
それからグレモリーが恐ろしい勢いで料理を頬張ってくれたせいで一瞬にしてなくなってしまった。グレモリーの座っていたところだけ食べかすが多く、それ故に隣に座っていた大和にもとばっちりを受けた。
朝食が終わり食器を片付ける手伝いをしようとしたが、グレモリーに自室まで強制的に連れていかれた。あとでサミジナには謝っておくとしよう。
「さて大和。お主はこれからこの悪魔界で生き抜いていかねばならぬが、それに必要なものを与えよう」
喋りながら押し入れを漁る。よく見えないが汚そうだ。
「えーと、どこにやったかの。確かここに」
「なに探してんの」
「おっ、あったぞ」
グレモリーの手には一振の剣つるぎが握られていた。一見したところ特に変わったところはない普通の剣だ。
「これをお主に授けよう」
「グレムはいいのか?」
「我には我専用の武器がある。それは然るべき時に然るべき者のためにとっておいた。遠慮せずに使うとよい」
剣を受け取るとズシリと腕に重みがのし掛かる。剣道で使っていた竹刀と比べると倍ぐらい違うだろうか。
「ま、それを腰にしておけばその辺の不届き者は手出しできんじゃろ」
「でも俺、本物の剣なんか使ったことないぞ」
「それはその内なんとかなるわい。お主がそれを持つということに意味がある」
「適当かよ」
「そう言うな。我は用があるのでな、お主はこの街を散歩でもしておれ。いい街じゃぞここは」
二つ返事でグレモリーを受け流す。一階にいるサミジナに事情を話すと、少し心配されたが外出の許可を得た。
昨日グレモリー達と歩いた道を思い出しながら進むと大通りに出た。
大通りは昨日と同じような賑わいを見せており、多くの悪魔達の話し声が耳に入る。だが、時折大和を見るときの視線はとても冷たいものだった。海外旅行をしたときの自分だけ日本人で周りは全員外国人だった時のような気分になる。
俯きながら時々顔を上げて店や建物を見ていると大和の目を引くものがあった。
「ダンタリオン図書館?」
入口の上に大きな看板にそう書いてあった。それに見合うだけの巨大な建物。四階建てか五階建てか、横幅もかなりある。
この世界にも静かに本を読める場所があることは嬉しい。悪魔界の図書館とはどのような本を所蔵しているのかも気になる。
早速入ってみると中は吹き抜けになっており天井まで高い棚に本がぎっしり詰まっていた。空中浮かぶ床が本棚に沿うように動き来館者が本を選んでいる。受付には多くの悪魔が列を成し、司書たちは大量の本を乗せたワゴンを押している。
「ちょっと君」
図書館の内部に圧倒されていると制服に身を包んだ若い男が話しかけてきた。
「もしかして数日前に人間界からやってきた人じゃないか?」
「そうだけど」
「申し訳ないけどここは君のような者が来ていい場所じゃない。立ち去ってもらえないか?」
「意味わかんねぇよ。俺はただここに来ただけでなんで帰らなきゃいけないんだよ」
「ただでさえ人間が悪魔界に来て動揺しているのに、その張本人がいたら読書どころじゃない。こんなところに来られたら来館者が減るからこちらとしても迷惑なんだ」
それはあまりにも理不尽すぎる。人間という存在がイレギュラーなことはわかっているが、だからと言って行動を制限されるようなことをされては先日グレモリーが裁判で言っていた『長谷川大和をこのウォフ・マナフ管轄悪魔で守る』という大義名分がなくなってしまうのではないか。
牢屋から解放されても自由はないのか。
「本を読むことも出来ないのはおかしくないか」
「私はこの図書館の司書として来館者に満足のいく時間を過ごしてもらいたいだけだ。そのために君が邪魔なんだよ」
「いいから通してくれないか」
「話のわからない人間だな。それならば力ずくで出て行ってもらうしかない」
男が拳を振りかぶった。拳に青いオーラが揺らめいている。
殴られる、そう思ったとき男の手を誰かが後ろから掴んだ。
「こらこら、乱暴は見過ごせないね。来館者は丁重にもてなさないと」
「お前は………」
「やぁ、君を待っていたよ。長谷川大和君」
ニコニコと微笑むダンタリオンが立っていた。
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