第三話・救世主

 その場にいた全員の視線が入り口の方に向けられた。


「いやはや、すまんのう。遅れてしもうたわい」


 この古風な口調、この声。牢屋にいた時、サミジナと話していた相手であることに気づいた。

 ガシャ、ガシャとまるで鎧でも身につけているような音を立て歩み寄ってくる。

 赤銅色しゃくどういろの長髪に深紅の双眸、凛とした表情。ロングレザーコートのようなものを羽織り、体には鎧を装着しているが豊満な胸の谷間とへそと太ももが丸出しだった。


「よっ、また会ったな」

「は?」


 女は大和の肩に手を置き、鋭い八重歯を覗かせながら笑顔を浮かべる。背筋に微弱な電流が走るような感覚になる気持ちの悪い笑みだった。隣に来られてわかったが、彼女は身長が頭二つ分は高い。百八十センチはあるだろうか。


「覚えてないのも無理はない、お主は気絶したおったからのう。第一発見者である我がお主を介抱してあげたのじゃぞ。感謝するといい」


 上から目線なのが腹立つ。悪魔界に転生して一番始めに会った悪魔が彼女のようだが妙に胡散臭さを感じる。この悪魔は信用してもいいのだろうか。


「グレモリー、どこ行ってたの?」


 グレモリー。ソロモン七十二柱序列五十六位の悪魔で、分献上七十二柱唯一の女悪魔とされる。大きなラクダに乗り、腰に冠を携えた美しい婦人の姿で描かれることが多いが目の前にいるグレモリーは美しくはあるがそれとはかけ離れた下品さを漂わせていた。


「我のせいではない。貴様の後ろに座るイカれ知恵袋が悪いのじゃ」

「あははは! 私のハーブティーのお味はどうだった? 前にすごいいちゃもんをつけられたから改良しておいたよ」

「味はよいがリラックス効果がつきすぎじゃ。眠ってしまうわい」

「認めてくれて嬉しいよ、グレモリー」


 この緊張感のなさはなんなのだろう。人間一人が牢屋暮らしの羽目になりそうだというのにグレモリーは呑気に世間話をしている。彼女がここに現れたことは大和にとって救いなのか。


「して、裁判はどうなっておる。まさかサミジナ、マルバス、上位勢が二人もいながら救えませんでしたとは言わないじゃろうな」


 大股で喋りながらグレモリーはサミジナの隣に座り、机の上に両足を乗せ、椅子にもたれかかる。


「賛成多数で幽閉案が可決されるところよ。反論はしたけど多勢に無勢ね」

「その案を出したのは誰じゃ」


 サミジナはうんざりした様子でため息を吐きながら上段を指差した。


「なんか文句があるのかグレモリー! 大体、お前が会議に参加したら論理が破綻するんだ! そこにいる人間は幽閉する! もう決まったんだよ!」

「うるさいのう、ヴァレフォル。序列六位なんじゃから、落ち着いて話せよ。それに幽閉はマズイじゃろ。多方面から非難をくらうことになるぞ」

「じゃあグレモリー、お前はいい案があるのか? この場全員を納得させる案が出せるのか」


 そうだ、それが問題だ。幽閉案を超えるような代替案が必要な訳だが、この見た感じる脊髄反射で動いているような悪魔にそれが出せるのだろうか。今はただ突然の乱入者に頼るしかない。

 そんな大和の心配をよそに、グレモリーはニマニマと気持ちの悪い笑みをしていた。そして、少し上を向いた後言った。


「長谷川大和をこのウォフ・マナフ管轄悪魔で保護しよう」


 法廷がまたざわめく。「あいつらにできるのか?」、「いやサミジナとマルバスがいるから可能そうだな」と幽閉案ほどではないが多少なりとも肯定的に捉えてくれる声が聞こえる。


「我、サミジナ、マルバス、アミー、ダンタリオン。我ら五人が大和を全力で守る。これでどうじゃ?」

「ふ、ふざけるな! ただでさえ厄介者の人間を七十二柱一の厄介者に任せられるわけない!」

「ほう、ではその七十二柱一の厄介者に今まで散々面倒事を押しつけてきたのにこの期に及んで首を突っ込むとはどういうわけじゃ? 都合がいいのう」


 グレモリーの言葉にヴァレフォルは黙り込んでしまった。余程腹立たしいのか震え上がるような圧を発し、歯ぎしりをしている。

 どうやら面倒事を押しつけていたというグレモリーの発言は本当のようで先ほどまで威勢のよかった悪魔も気難しい顔をしている。適当に話しているように見えたグレモリーにも自分の案を通す算段があったのだ。この悪魔についてさえいれば生きのびれるかもしれない。


「今までと今回とでは状況が違うだろ! その人間を外に出して死なせてみろ! 上の怒りを買って俺達終わりだぞ!」

「一生牢屋暮らしもどうかと思うがの。それにこっちにはサミジナとマルバスといった上位勢もおる。それとあ奴らにも協力を求めておく」


 『あ奴ら』とグレモリーが言った途端、また法廷が静かになる。誰のことだろう、味方であってくれたら嬉しいが。


「まぁ、任せておけよ。それなりにこき使いつつ守るわい。な、サミジナ、マルバス」


 笑顔でサミジナとマルバスに語りかけるグレモリー。当の二人はとてもうざそうだ。


「グレモリー、この件ガサツなお前には荷が重いと思うが一任してもいいか?」

「今更なんじゃバアル。どうせ貴様も面倒なのじゃろ。さっさと我らに任せるなら任せるで大和保護案について採決をとっておくれ」

「そうだな。では今のグレモリーの案、賛成の者は挙手を」


 多くの悪魔が手を挙げてくれた。


「さて、大和の足枷を外すとするか」

「待てグレモリー! その人間を救う理由がどこにある! いずれ問題を起こすに決まっている!」


 ヴァレフォルをよそにグレモリーは大和の足枷を外した。少し跡になっているところをグレモリーが優しく撫でる。


「救う理由じゃと? そんなものこれ見よがしに助けを求めておる者を救うのに理由などいらぬよ。サミジナ、アミー、マルバス帰るぞ」

「ちょっと待ってよ、グレモリー」


 救われた、悪魔である彼女らに。

 この理不尽と不条理に満ちている悪魔の世界に降り立った唯一の人間だが、生きる希望が湧いてきた。いずれ自分を殺した犯人にも出会うことができるかもしれない。それが例えどんなに強大な敵であっても大丈夫。そんな気がした。


「長谷川大和の身柄はウォフ・マナフ管轄悪魔五名に委ねるとする。これにて裁判は閉廷。皆、今日はご苦労だった」


 悪魔達が席を立つ。その中でヴァレフォルだけがその場に留まりブツブツとなにかを言っていた。


「大和よ」

「な、なに?」

「帰るとするか」


 ※ ※ ※


 議事堂を出た大和達は石畳が続くウォフ・マナフの街を歩いていた。街は活気に溢れ、出店にいる異形の悪魔が大声で客寄せをしている。

 外の空気が喉を通る感じが心地いい。天高く煌々と光る丸い球体が太陽なのかどうか定かではないが、陽光の恵がこんなにも晴れやかな気持ちにしてくれるのは狭苦しい空間に長くいたからだ。


「どうじゃ? 久々の外は?」

「なんだかんだで気持ちいいよ。あそこには二度と戻りたくないね」

「心中察するぞ。下等種族には手加減なしじゃからの。我が来なかったら今頃逆戻りじゃろうな。しっかりせえよ、サミジナ、マルバス」


 高笑いをしながらサミジナとマルバスをバシバシと叩くグレモリー。最終的に助けてくれたのはグレモリーだが、そもそもサミジナとマルバスのような悪魔がいなければ生死を決める裁判すら開かれてなかったかもしれない。彼女達への感謝は忘れてはいけない。


「あのさ、皆ありがとう。俺なんかを助けてくれて」

「急に改まるでないわ。弱き者を守るのは強き者の役目じゃ」

「礼なんていいのよ、大和君。今日は帰ってゆっくり休みましょ」


 しばらく歩くと街の喧騒は遠のき閑静な住宅街にある二階建ての一軒家の前で止まった。


「ここが我とサミジナ、アミーの家じゃ。ちなみに隣のみすぼらしい平屋にはマルバスが住んでおる」

「一言多い。これでもキレイにしている方だ。それじゃ大和、行くぞ」

「おいおい待て待て。大和をどこに連れていく」

「決まっているだろ。俺の家だ。女ばかりの家じゃ過ごしにくいだろ」


 確かにそれは言えている。女三人か男一人とどちらかと暮らせと言われれば男の方が気が楽ではある。

 女三人と暮らせなくはないが、肩身の狭さを感じざるを得ないだろう。特にグレモリーの大胆な格好は十六歳という思春期真っ盛りの大和には刺激が強い。


「バカを言うなよ。貴様、あの裁判でなにかを成したか? 十割我のお陰じゃろ。それに大和を最初に発見したのも我。つまり大和は我の所有物と言っても過言ではない」


 いや過言だ。なんと身勝手な悪魔だろうか。やっぱりグレモリーとは暮らしたくない。


「俺の方で暮らしたらお前の粗っぽい性格に振り回される心配もない。それにどうせ隣だからあまり関係ないだろ」

「否、隣だからというその甘い考えが油断を招く。こちらには数の利がある。我らで守ると決めた以上はこの防衛力が要となる」

「俺じゃ大和を守るのには不適任だと?」

「ああそうじゃ。我の方が全ての面で貴様を上回っている」

「口が減らないやつだな」


 マルバスが腰の刀に手を掛ける。それを見たグレモリーがニヤリと笑い拳を握った。その場の空気が一気に重くなった気がした。睨み合う両者。いつ戦闘が始まってもおかしくなかった。


「ちょっと二人とも! そんな小さなことで喧嘩しないの!」

「そうですよ! 仲良くやりましょうよ!」


 サミジナとアミーが仲裁に入る。


「ふん。グレモリーがなにも言ってこなければこうはなってない」

「喧嘩するほど仲がいいと言うじゃろ。安心せぇよ」

「黙れ」


 マルバスはドスの効いた声を出し、刀から手をどかした。相変わらずグレモリーは飄々としていて先ほどの緊張感をまるで感じさせない。序列で見ればマルバスの方が遥かに上だがグレモリーのあの余裕さから考えると、彼女の言葉は虚勢ではなく本当にマルバスより強いのかもしれない。


「ではこうしようではないか。大和自身にどちらの家にいたいか決めてもらおう。それなら文句あるまい」


 最初からそうしてほしいものだ。


「さぁ大和、選ぶがよい。我かマルバスかを」


 マルバス意志を完全無視して話を進める。

 さて、どうしようか。

 気楽さで考えればマルバス、身の安全を優先するならグレモリーだが、どちらを選んでも結局グレモリーがなにかしらの行動を起こしてくるような気がしてならない。

 思案を巡らせていると服の裾を誰かに引っ張られた。


「大和さん………」


 目を潤ませこちらを見上げるアミーがいた。


「私達と一緒に暮らすの、嫌ですか?」




 それ反則じゃない?

 年齢はおそらくアミーの方が上だがこんな幼気な少女の願いを無下にしてしまっては今後そういう人間と捉えられかねない。大和は根負けするしかなかった。


「………グレモリーの家で」

「よしそうと決まればさっさと家に入って休もうぞ! 我の部屋を使ってよいぞ! さぁ入れ入れ!」


 グレモリーにものすごい力で小脇に挟まれ、そのまま家へ連れ込まれた。

 中はある程度整頓されているようだが詳しく見ている時間はない。グレモリーが速すぎるのだ。

 あっという間に階段を駆け上がり、部屋に入ったかと思えばベッドに放り投げられた。


「ちょっ………」


 ドスンと音を立てた後、ベッドがギシギシと軋む。骨組みが腰の辺りにめり込んで痛い。


「疲れたじゃろ。もう眠るとよい」

「疲れたと思ってくれてるならもうちょっと優しく丁寧にしてくれよ。痛かったんだけど」

「はっ。脆い大和が悪いのじゃ。ここまで運んでくれただけ感謝しろ」


 一応グレモリーは命の恩人であるため、それなりに許容は必要なのかもしれない。まだ彼女の人となりについてなにも知らないのに常識を求めていたのは間違いだった。

 ベッドというものにいるだけで眠気がどっと押し寄せてきた。自分では感じなかっただけで疲れが溜まっていたのだろう。


「まぶたが落ちてきよるぞ。もう寝てしまえ」

「あぁ、そうさせてもらうよ」

「それと大和、お主に頼みがある」

「なに? 眠たいんだけど」

「我のことはグレモリーではなく、グレムと呼べ」


 そんなの明日からでいいだろ、と口に出しそうになったがやめておいた。


「わかった」

「じゃ、おやすみ大和」

「おやすみ、グレム」


 グレモリーは部屋から出ていった。

 牢屋から裁判から解放されようやくまともな寝床に就くことができた。

 この悪魔界でこれからどうなるかなんて知る由もないが今はただ眠ろう。そう思い、大和は目を閉じた。

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