その時は唐突に

吉華

第1話

「はじめまして」

 そう挨拶されたあの瞬間を、今も鮮明に覚えている。うららかな春の日差しに照らされた、貴女の笑顔はとてもきらきらして美しかった。

「隣に引っ越してきた狩野です。宜しくお願いします」

「わざわざありがとうございます」

 母親同士がそう話している横で、俺はそっとその人を見上げた。こちらの視線に気づいたらしい彼女が、にっこりと微笑みかけてくれる。

「何年生?」

「小学四年です」

「高学年なのね。私は高校生になったばっかりよ」

「高校生……」

 年上だろうなとは思っていたが、思っていたよりも離れていた。なぜかそれが酷く悲しいことのように思えてきて、そんな不思議な感情に首を捻る。

「お隣さんになるわけだし、これから宜しくね」

 差し出された彼女の手は、とても真っ白で細かった。どきどきと心臓を高鳴らせながら、こちらの方も握り返す。


 恋に落ちる瞬間というのはこんなにも突然やってくるものなのだと、思い知った。


  ***


「あらあ、それじゃ、寂しくなりますね」

「ええ。でも、隣の県ですし」

 出会いは出会いで唐突だったが、別れの瞬間も唐突だった。彼女は、隣の県の大学に進学するため、家を出て一人暮らしをするのだという。

「……大学に行っても、頑張ってください」

 彼女に恋した気持ちは本物だったし、自分なりにアプローチはしていたのだが。当然と言えば当然だが、相手にしてもらえなかったので俺と彼女の関係はお隣さん以外の何物でもなかった。

「ありがとう。長期休暇には帰ってくるから、また遊ぼうね」

「……はい」

 彼女の無邪気さがいっそ憎らしかった。彼女は、俺の想いを子供の戯れと思っているから、そんな簡単に言えるのだ。俺からしてみれば、好きな人と滅多に会えなくなるという絶望的な状況なのに。


 六歳という年の差が、どうしようもなく悔しかった。


  ***


「隣に引っ越してきました、有坂です」

「……え!? 久しぶり!」

 彼女に想いを信じてもらうためには、長期戦で行かねばならない。そう悟った俺は、頑張って連絡が途切れないようにしつつも、必死に努力した。ただでさえ六歳のハンデがあるのだ、背伸びする勢いで努力しないと、彼女が本気にしてくれない。

「覚えてて下さったんですか」

「もちろんだよ! ああ、敬語なんていらないから」

「ん……分かった」

「立ち話もなんだし、上がっていって。お茶入れるよ」

「……お邪魔します」

 相変わらずの無防備さに、眩暈がしてくる。とはいえ、こんなチャンスを逃すわけにもいかないと思うくらいには、俺も強かに成長した訳で。まずは彼女の現状のリサーチからだと気持ちを仕切りなおして、遠慮なく部屋へ上がった。

「すっかり大きくなったよねぇ。身長だいぶ前に越されてたから、そんなのは分かってたはずだけど」

 一通り話をしたので、入れてもらったお茶の残りをずずっと啜る。彼女は未だ独り身でありお付き合いの経験もないと知った瞬間喜びでガッツポーズしそうになったが、何とか堪えることに成功出来た。

「……そうだよ。もう、子供じゃない」

 今がタイミングかと思って、ぽつりとそう呟いた。正面にいる彼女は、湯呑を持ったままきょとんとした顔でこちらを見つめている。

「十二歳と十八歳は、どうしようもなく遠かったけど。二十二と二十八ならまだそうでもないし、三十超えれば十以内の差なんて気にならない場合がほとんどらしいね」

「え、と……」

 彼女がことりと湯呑を置いた。後ずさろうとしている気配を察知したので、先回りして近づいて、かすかに震えているその手を握る。

「俺は、貴女が今も変わらず好きです。十二年間、ずっと好きです」

「今、も」

「本気にしてほしくて、ずっと努力してきたんだ。結婚を前提に、俺と付き合って下さい」

 今までにも、何度も告げた言葉を再度告げる。逃げようとした彼女を捕まえようとした拍子に、押し倒すような構図になってしまった。

「……ごめんなさい。私、あなたにずっと嘘ついてた」

「何? まさか、本当は、既に恋人が」

「ううん、違う。あなたが中学生くらいまでの時は、本当に、そのうち同年代の子に目を向けちゃうんだろうなぁって思って本気にしてなかったけど」

「けど?」

「……高校に上がったくらいからは、こんな年嵩な私じゃ釣り合わないからって思って、本気にしてないふりをしてた」

「待って……それじゃ、つまり」

「うん。わ、わたし、も……」

 消え入りそうな言葉の続きを、辛抱強く待った。待つ事には、慣れている。

「私も、あなたのことが、好きです……」

 ずっとずっと聞きたかった言葉が、漸く耳に届いた。顔を真っ赤にしながら、それでも一生懸命こちらに視線を向けて告げてくれた彼女に、愛おしさがこみ上げる。

 彼女はもう逃げようとしなかったから。熱を孕んだような瞳で、じっと見上げてきてくれたから。

 引き寄せられるようにして顔を近づけ、その唇に口づけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その時は唐突に 吉華 @kikka_world

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説