匂いがとれない。

一条

本編

『今までありがとう。さよなら』


 部屋のテーブルに置いてあった一枚の紙に、綺麗じゃないけど雑じゃない字でそう書いてあった。

 ああ、そっか。終わったんだ。

 最近様子が変だとは思ってたんだ。LINEの返事が急に遅くなったり、人ごみが苦手なのに飲み会に行く回数増えたりさ。

 昨日なんか片付けしてたじゃん。おかしいとは思ってたんだよね。


 ずーっと一緒にいるとさ、わかんなくなるんだよね。当たり前になんの。気がついたら3年も一緒にいてさ。

 不意にベランダに出て朝方のなんともいえない空を見てみる。柵に肘をついて、煙草に火をつける。あいつ、いっつも私に火つけさせてたな。

 急になにかがこみ上げてくるけどぐっと我慢する。だめ、まだ。


「まっず……」


 こんなに煙草がまずいって感じたのは初めてだ。まあ別においしいもんでもないけどさ。

 やっと私は素直な疑問がわいてきた。


 なんでいなくなったんだろ。


 だいたい予想はつくけどさ。柄でもないのに自分に非があったのかなとか余計なこと考えてる自分が嫌いだし、今わいてくる感情すべてがうるさくて嫌い。

 ぼーっとしてるとスマホが鳴る。


『黙って出て行ってごめん。逃げてごめん』


 なんで追い討ちかけてくるかな。単純に意味わからないし謝るくらいなら紙なんか置いていかないでよ。

 ゆっくり深呼吸をして気持ちを抑える。抑えようとするけどさ、


「やっぱ無理じゃんか」


 あーあ、泣いちゃった。全然我慢できないじゃん。

 自分の抑えたい気持ちとは裏腹にあふれ出てくる涙。軽く嗚咽してしまう。

 さっきまで雲がかかっていた太陽が綺麗に姿を現していた。

 でも滲んでうまく見えないね。なんでだろうね。


 しばらくして少し落ち着いた。落ち着くと気持ちが良くない方向に持ってかれる。

 私はベランダの下を見る。今なら、


「……ここ3階だもんね」


 さすがに無理。わかってたけど。

 部屋に戻ってベッドに腰を下ろす。近くで車の通る音だけが聞こえる。あと、煙草の匂い。

 テーブルの上には紙の他に煙草の箱が置いてあった。あいつのだ。


「忘れ物すんなっての」


 部屋に残るこの匂い。もういっそ思い出ごと消してしまいたい。

 でも、やっぱりまだ拭い切れない気持ちが足取りを重くする。


 しばらくはとれない匂い。もう少しだけ。この匂いに寄りかからせて。


「ね、いいでしょ」


 私はあいつの煙草の箱から一本取り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

匂いがとれない。 一条 @80tva_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ