【前編】夫人のお菓子が食べたい王太子と侯爵の攻防

その日、いつものように王太子エメリヒは侯爵の執務室に現れた。昼休憩を終え今日の愛妻弁当にも大変満足していた侯爵は、嫌な来客だと顔を顰めた。



「その顔はないんじゃない?」


「ああ失礼。今は執務時間でしたね。」


「うん、まあ、そうなんだけど。」


「どうなさいました王太子殿下。」


「侯爵、私はお菓子が食べたい。」


「女官殿にお申し付けください。話は終わりましたね。ご退室を。」


「まってまって、サナーリア夫人のやつ! あの、しっとりしたカカオのやつ食べたいの!」


「お断りします。」


「え、ええー…」



少しも検討する素振りを見せずに王太子のお願いをバッサリ切り捨てる侯爵。取り付く島もない。


それもそのはず、侯爵は夫人をできれば誰にも会わせず部屋にしまい込んで自分ひとりだけのものにして愛でたいと本気で思っているくらい独占欲が強いのだから。

財務省への差し入れも、侯爵領騎士団への差し入れも、全部差し止めて独り占めしたいくらいなのだから、たかが王太子が言ったからといって夫人の手作りのお菓子など差し出すはずがない。


今日は無理だな、と諦めて王太子は渋々退室した。明日も明後日も無理ですけどね。






「侯爵夫人」


「王太子殿下、ごきげんよう。お久しぶりでございます。」


「相変わらず美しい所作だね。」


「恐れ入ります。」



ある日、財務省に夫人が差し入れに来たと聞いた王太子は運良く夫人を見つけ、これは好機とはやる気持ちをなんとか抑えながら近づいていった。

王太子は、無事夫人に話しかけることに成功した。どうやら護衛をひとりだけ付けての登城のようだ。



「今日は、ひとり?」


「はい。王宮の警備は万全ですから、ホルガーひとりいてくだされば充分でございます。」


「あ、うん、そうか。」



王太子は、夫人ひとりで来たのか聞いたのだが、夫人は護衛がひとりかと聞かれたと思ったようだ。それは王太子の前には夫人と護衛のホルガーがいて、人数的には二人なのだから当然といえば当然ではある。

しかし、王太子は護衛や侍従、侍女を人数に数える習慣がなかった。だからといってぞんざいに扱っているわけではないが、王族とはそういうものだった。

対して夫人は、幼い頃にデイドストーザ伯爵に引き取られてからは騎士団が身近にいたので、特に騎士とは仲良くしていた。だからホルガーが人数に入っていないなんて考えもしなかった。もちろん、侍女や侍従もそうだ。



「重そうだね。」


「いえ、それほどでもございません。ホルガーも、わたくしが持って歩くには危ないから渡せと言うのですが、これくらい自分で持てますのよ? 心配し過ぎですわ。ねえ?」


「いえ……侯爵様に言われておりますので。」



王太子との会話中に護衛に話を振らないでほしいと思うホルガーだが、夫人を無視するわけにはいかないので控えめに答えた。



「差し入れかな?」



居づらそうにする護衛を横目に、夫人の抱えるバスケットに釘付けの王太子。もしやそこにはあの、口溶けがたまらないほんのり甘くてほんのり苦い、あのチョコレイトが入っているかもしれない、と生唾をのんだ。



「はい。旦那様のところに。」


「ゼルガ侯爵用の?」


「ああ、いえ。旦那様のものもありますが、財務省の方々に。」


「そ、そうか。」



侯爵の物だったら手を出したら大変なことになるだろうが、皆に差し入れする分からならばひとつやふたつ貰えるのではないかと思議する王太子。

さて、それをどうやって切り出そうか。後ろに控える護衛は侯爵に忠実そうだ。下手なことはできない。運ぶのを手伝ってお礼にという流れも考えたが、自分で持てると先ほど言われたのであまりいい手ではないだろう。



「それでは、失礼いたします。」


「あ、まっ……!」


「王太子殿下!!」


「えっ」


「あら」



夫人が去ろうとすると、王太子は慌てて彼女の手を取ろうとした。しかし、夫人に誰も近づけるなと侯爵に固く言われているホルガーは、王太子相手にも容赦なく、腕を捻りあげた。



「い、いたいんだけど。」


「恐れ入ります。夫人にお手を触れるのは御遠慮ください。」


「う、うん。ごめん、ごめんって。」


「ホルガー、放してちょうだい。」


「はい。」



いくら王太子といえど、女性に気安く触れるのは世間的にも良しとされない。ましてサナーリアは既婚者だ。しかも彼女はとくに、夫であるゼルガ侯爵の監視の目が厳しい最愛の愛妻である。


ホルガー・ブッフォは必死だった。子爵家の出ではあるが継ぐ家がない三男坊。王都の騎士団に在籍していたが、このまま部隊長になるか要人警護になるかで道が別れた時、縁あってゼルガ侯爵家に仕えることにしたのだった。


侯爵領に隣接する、魔物が湧き出る暗黒地。

ある年のスタンピードの時、規模が大きく自領の騎士団であたるには人数が足りないと王都騎士団に遠征要請があった。

その時、遠征組に入り侯爵領で魔物討伐をすることになったホルガー。討伐時に危ないところを侯爵自身に助けられ、その風貌に心を奪われ憧れるようになった。


そして、警護を募集していたのがゼルガ侯爵家だと知り、部隊長への昇進を蹴って警護職に鞍替えしたのだ。


侯爵が結婚してから、というかサナーリア夫人に出会ってからの病みっぷりはどうかと思うけど、今では呆れながらもあの人がそこまで愛する人だから、と忠実に夫人を守っている。

もちろん夫人自体、あの侯爵にあそこまで愛されるだけあって素晴らしい女性だと思っているし尊敬している。この人の笑顔を、幸せを守ろうと思って誠心誠意仕えているのは間違いない。


だから、誰にも触らせるなという指示に従い王太子を捻りあげた。



「放しますけど殿下、夫人に近づかないでくださいね。」


「わかったわかった、約束する。」



ホルガーが腕を解放すると、王太子は姿勢を整えて夫人に向き直った。

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