第17話:マイルストーンと達成感
花音にノートをもらった。以後、「花音ノート」と呼称しよう。教室で見るのは
たまに重複しているからこそ「今の道で間違ってない」とも感じられた。几帳面な字で書かれていて、分かり易く、綺麗にまとまっていた。俺が期末に力を入れていると知らせてから何日があった?これだけのものを作るには書くだけでも相当な時間がかかるはずだ。
それをやってのける花音の優秀さがすごい。あいつはやっぱり万能だ。「有能ではあるけど、万能ではないわ」と返されそうだが、俺は本当にすごいと思っている。
恭子さんのマンションに帰って花音ノートを見せた。
「ぐぎぎぃー、また花音ちゃんー!」
恭子さんがタオルを噛んで引っ張りながら悔しがっていた。マンガなら三下の悪役の様相を呈しているが、俺の記憶が間違っていなければ、彼女は俺のメインヒロインのはずだ。
部屋での恭子さんはいつも服装がラフだ。今日はダルダルのTシャツにショートパンツ。胡坐をかいて花音ノートを見ているのだけど、胸元がダルダルなので随分中の方まで見えて……なんだか落ち着かない。
見ていると思われるのもなんだか恥ずかしいけれど、正直見たい気持ちもある。少し角度を変えると、先っぽの方が……くうっ!見えない。見えそうで見えない悔しいやつだ。
恭子さんは花音ノート片手にパソコンで色々と調べ始めた。その表情は真剣でカッコイイ。黒目の部分がこまめに動いている。恭子さんが真剣に考え事をしている時の表情だ。ずっと見ていたかったけれど、時間が限られているので俺は俺で一人勉強を始めた。
遅れは随分取り戻していたし、繰り返しの練習もできていた。割と安心感があった理由は恭子さんの計画だ。彼女の計画には、小さなゴールがいくつか設定されていた。日々それを達成していく感じ。
その小さなゴールの名称は「マイルストーン」。山の何合目かを示すあの石みたいなものだ。自分が今どこまで来たのかが実感できる。
これにより、小さな達成感も感じつつ進められたので「ちゃんとできている」という実感もあったし、何より飽きるということがなかった。俺が勉強を楽しいと思ってやっているのは初めての体験だった。
すごいのはそれだけじゃない。恭子さんが絶妙なタイミングで邪魔してくるのだ。俺の場合、性格的にその日のタスクを完全に終えてしまう。キリのいいところまでやってしまう感じだろうか。
ところが、恭子さんの邪魔のお陰で少し残した状態で終わる。ほんの少しだけ残るのだ。食事で言えば最後の1口、2口。作業で言えば10分、15分で終わる単純作業。やれば終わる簡単作業が少し残る。次の日は当然そこからやることになる。
そうすると、なぜか翌日のスタートダッシュが早い。すぐに集中し始めることができた。俺は最初この家の環境のせいだと思っていた。家や学校を離れてプレッシャーから解放されているのだと。
「それはねぇ。『作業興奮』の効果ね。人はやる気があるから作業をやるんじゃなくて、作業を始めてからやる気が出るのよ。脳科学の分野で科学的に証明された事象よ」
恭子さんが解説してくれた。
なん…だと!?「勉強しなさい」「今やろうと思ったのに~。言われたからやる気がなくなった」というというマンガのやり取りが間違いということに!?
人間は未知の作業から取り掛かると気乗りしないので、中々取り組まない。そうなると作業は進まないし、集中もできない。当然、やる気は起きない。
ところが、やれば終わる単純作業の場合は、作業の内容が把握できているので簡単に始められ、始めてしまえばすぐにやる気が出て集中できるという事らしい。
「……ということは、恭子さんは俺に日々『作業興奮』の効果を得られるように、勉強の邪魔を!?」
「ん?え?ええ、もちろん、そうよ?そうに決まってるじゃない!」
ホントか、おい。しっかりしろ俺のメインヒロイン。
「じゃあ、明日の『作業興奮』のために、一緒に『興奮』しようか!」
これは俺にも分かる。完全な下ネタだ。
恭子さんに抱き着かれてしまった。めちゃくちゃいたずらっぽい顔をしている。俺はあちこちまさぐられながら服が脱がされていく。恭子さんも脱いで、目の前に巨乳が露わになった。ここで止められるやつがいるだろうか。俺たちはそのまま「興奮」を始めた。
***
2時間たっぷりベッドの上で過ごしてしまった……恭子さんも裸のまま横に寝ている。勉強の方はある程度進んでいるけれど、例によってちょこっと残ってる。「作業興奮」のため、明日に取っておくか。
「花音ちゃん相当優秀よね~。こりゃ能力じゃ勝てないわぁ」
ベッドの上で恭子さんが仰向けで寝転がったまま花音ノート広げて見ながら言った。ちなみに、まだお互い全裸なので、俺的には触り放題のボーナス・タイムだ。
「何かあったの?」
「あの花音ノートって学習指導要領が変わった部分とかが書いてあるのよ」
「うん?」
「つまり、
そういえば、なんかそんなこと言ってた。
「つまり、『過去問なら私でも準備できるわよ。あなたじゃ最新の情報には届かない』って言ってるわけよ」
こわっ。女怖い。
「確かに、同じ教室で過ごしたり、机並べて勉強したりは出来ないからねぇ。しかも解説がすごく分かり易いから、お姉さんに習わなくてもカツくんだけで理解できちゃう。『私がいれば、あなたなんて要らないわ』ってメッセージも見え隠れしちゃってて……」
怖い怖い怖い。花音の日頃の言動から、そういうキツイことを言っているのではないと分かるけれど、意図としてそういうメッセージが含まれていると思うと怖いものがある。
そして、そのメッセージは持ち帰る俺には理解できず、恭子さんには届くというギミック付きだ。
さらに、恭子さんは恭子さんで花音に対して、なにかメッセージを送ってるんだろうなぁ。俺なにも花音に手渡してないのに。どうやってるんだよ。怖いわ女同士。お互い会ってもないのにこんなにメッセージを送りあって、一周廻って、もう大好き同士だろ。これ。
「カツくん、今度花音ちゃんをここに連れてこれない?」
「誘拐的な?」
「違う違う!『仲良くしましょう』的な。一緒にスイーツパーティー♪」
「今カノに元カノを紹介するとか、どんな地獄イベントなんだよ」
「あ、そっか。カツくんからしたら、そうなるね。ふふふ」
無邪気に笑う恭子さん。俺はなにも面白い要素がないぞ。
■■■
週末はある程度まとまった時間が取れるからちょっと頑張ろうか。俺は恭子さんの部屋でテーブルを占拠して勉強をしていた。
フローリングに薄い座布団では、長時間の勉強には不向きですぐにお尻が痛くなってくる。座椅子を買うのもなんか違う。
ファストフード店で勉強するか?あそこならテーブルも椅子もあるから困らない。ただ、椅子は硬いのでやはり3時間が限度だろう。
「カツくん、もう3時間もそうやって勉強してるから、息抜きがてらお買い物に行こう?」
「買い物?分かった」
別に買い物に行きたかった訳じゃ無い。荷物持ちが必要だと思ったのだ。お尻が痛い痛いと思いつつ3時間も物理の問題を解き続けてしまった。いまやってる部分は100%理解した。数値とか変わっても解けるはず。休憩を入れてもいいだろうと思ったのもある。
「カツくん、とりあえず公園に行こう。お買い物はその後で」
「こうえーん?」
エレベーターの箱内で恭子さんは俺の左腕に纏わりついていた。腕を組んでいるとか、抱き着いているとか、そんなレベルじゃない。くっ付いてるし、絡まってるし、抱き着いてる。これ途中で誰か乗ってきたら恥ずかしいヤツだ。
そう言えば、家からお金を持ってきたのに恭子さんに渡しそびれてるな。帰ったら渡すか。
休日(今は毎日が日曜日だけど)の恭子さんは可愛い・カッコイイ服装をしていた。ノースリーブの薄グレイのVネックシャツ、デニムのパンツ、髪の毛は少し巻いてあって毛先がこーんなになってて可愛い。赤い小さいバッグは財布とスマホしか入らないような全然機能的じゃない小ささ。ちょっと低めのハイヒールで腕にはブレスレットがハマっていた。完全にデートファッションだ。
改めて見ると、脚が細くてきれい。膝を付けると股下に隙間ができる感じでなんかすごく良いものを見せてもらった感じ。とても魅力的だ。
考えてみると、外出時に恭子さんはかっこいいスタイルが多い。一緒に歩いていて男として鼻が高い。そんな可愛い・カッコイイお姉さんが腕を組んで歩いているので俺は歩いているだけで照れくさい。
「うはっ、デートとかちょっと照れるね♪」
もう、息抜きとか、お買い物とか、偽装しなくなったよ。デートって言いきったし。何ならお買い物に行く気もないだろ。この小さなバッグに何が収まるというのか。
しかも出る前に「誰かに会うかもしれないから」と言って、俺の服もちょっとかっこいい服をコーディネートしてくれた。デートだろこれ!もう!
道を歩きながら、近所の比較的大きめの公園を目指す。確か、公園の中に大きな堀があってその堀の中に東屋があったような……堀にはボートで遊べるようになっていて、公園内にレストランとかあったような……1周2㎞くらいの公園。何となくのうろ覚えだけどそれくらい大きな公園だ。
「ここ春には桜が咲くからお花見もできるんだよ」
「そうなんだ」
「来年は一緒にお花見しようね♪」
「うん」
来年の今頃は俺も高校は卒業しているだろう。その先はどんなことをしているのだろう。そもそもそれまでこの生活は続けられるのだろうか。やれるとこまでやって……後は、その時考えればいいか。
「花音ちゃんとはどんなデートをしたの」
「なぜ、花音の話を……」
「同じことして、お姉さんの思い出で上書きしてやろうと思って」
にししと笑う恭子さん。相当意識しているみたいだ。
あと数日で期末テスト。花音もさすがに勉強しているだろう。公園を半分くらい歩いて回ったところで、少しのどが渇いたので自販機でお茶を買って芝生に座って飲もうと思い、芝生に入ったまさにその時だった。
目の前に花音がいた。
休みの日なので花音は私服で、肩あきフリルのお嬢様ワンピースで裾がゆるやかなフレアで
俺は勝手な印象で花音の私服はもっと中性的な感じだと思っていた。黒髪ロングとお嬢様コーデはなんかしっくり来ていて花音の魅力を引き立てていた。
なんか完全にデートファッション。誰かと会う予定なのか!?少し心がザワザワとした。
「「「あっ!」」」
三人がそれぞれ指を指し合った。なんだ!?こんな偶然があるのか!?あり得るのか!?
「あなたが花音ちゃんね!」
口火を切ったのは恭子さんだった。腰に手を当てて花音を人差し指でビシッと指して断言した。
「あなたが恭子……」
花音は確認するように恭子さんの名前を呼んだ。本人を前でも呼び捨てなんだな。ブレないぜ、このクールビューティーは。
「あ、私こういう者です……」
恭子さんが一転、鞄の中に手を入れてゴソゴソし始めた。
「あ!しまった!もう名刺がなかったんだった!てか、名刺って!10年間の社畜スキルがっ!」
どうやら恭子さんは名刺を出そうとしたらしい。社会人ってそうなのか!?
「花音ちゃん、会ったら一度しっかり言っておこうと思っていたわ」
名刺のぐずぐずから体勢を立て直した恭子さんが花音に向き合った。
花音は、まだ会って数分の年上女性から敵対されているようで、多少たじろいでいるようだった。
「カツくんは渡さないわっ!」
再び、恭子さんがドビシッと指を指して宣言した。背筋が伸びていてカッコイイ。
「カツくんは私の神であり、ご主人様なのだから!」
「ん?」←おれ
「え?」←かのん
何か変な言葉が聞こえた様な……
「恭子……あなたは将尚のなんなの!?」
「お姉さんは、カツくんの性奴隷よ!」
「なん…ですって!?」
いや、待て。そんな設定じゃなかったはずだ。
「いや、ちゃんとカノジョだから」
俺がちゃんとフォローを入れた。ボケてはダメなところだろ。
「カノジョ兼、性奴隷よ!」
譲らない恭子さん。そこは兼ねていいものなのか!?
はあ、と頭を抱える花音。想像していたライバルがこんなだったからか、少しがっかりした様に見えた。
「お姉さんなら、カツくんが吐いた唾を地面に這いつくばって舐めることはできるわ!」
何を言い始めるんだこのお姉さんは!?
「花音ちゃんにできるかしら?!」
「ぐっ……でき…るわ」
「本当かしら!?早速試してもらうわよ!さあ、カツくんそこら辺に2、3唾を吐いて!」
いや、普通に嫌だし。俺地面に唾とか吐いたことないし。
「将尚、やりなさい!私にもできるってところを見せてやるわ!」
花音も変な指示を出してきた。なに載せられてるんだ!日頃の賢さはどうした!?花音のIQが2くらいになってしまった。
「じゃあ、外じゃあなんだから、そこのお店に入りましょうか。お姉さんおごっちゃうわ」
恭子さんが指さしたのは、公園内に建てられたちょっとおしゃれなスイーツショップ。いつも女性が行列を成している人気店だ。
花音も「望むところよ」という表情だ。
今カノと元カノがエンカウントとかどれだけ不幸なんだよ俺。この後の展開に気が重くなるばかりだった。
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