この関係を恋と呼ぶには、決定的に足りないものがある

霜弐谷鴇

対極はそれ故に磁性を持つように

 ” 人は自分にないもの、むしろ反対のものに惹かれるんだ ”

 ー岡本太郎ー


 

 バチン!!という炸裂音が廊下に響く。


「馬鹿にしないでよ!! あんたとなんか、もう別れる! 二度と話しかけてこないで!!!」


 香坂こうさかあいが今しがた、彼氏の頬を引っ叩き吐き捨てた声が校舎内に反響する。周囲から聞こえてくるヒソヒソという声に、気にしていない風を装って香坂愛は心の中で耳を塞ぐ。


 あたしが誰と付き合って、別れて、それの何が悪いってのよ。何がそんなに可笑しいってのよ。バカ、ボケ、黙れ、消えろ、みんな死んじゃえ。


 そんなことを心で唱える。告白してきたのは向こうだ。浮気をしたのも向こうだ。相手に合わせてきた、だから調子に乗らせたのだろうか。何度同じことを考えてきただろうか。何度も何度も、求められて、受け入れて、信じて、裏切られて。何度、何度。


 教室に居たくなかった香坂は、校舎裏の非常階段で座り込み項垂れて啜り泣く。


 くそ、くそ、くそ。悔しい、情けない、腹が立つ、許せない。感情がぐちゃぐちゃで頭が痛む。


「げ」


 階下から登ってきたのか、男の声が聞こえた。げ、と。


「ちょっと、女子が泣いてるのに、げって何よ、げって」


 思った文句がそのまま口から漏れ出ていた。香坂が顔を上げると、見知った顔が目に入る。同じクラスの篠木しのぎあたらが、ひどく居心地の悪そうな顔で立ち尽くしていた。ほとんど話したこともない、ガリ勉なことだけが印象に残っている。


「いや、めんどくさそうなところに居合わせちゃったなって」


 篠木は取り繕いもせずに、おそらく本心であろう言葉を発する。その正直さに、香坂はなんだか可笑しくなってしまった。


「もうちょっとオブラートに包みなよ。あ〜泣いてるあたしが馬鹿みたいじゃん」


 笑いながら涙を拭う。


「ちょっと、失礼ついでに、愚痴聞いてってよ」


「え、普通に嫌なんだけど」


「おい。あんたに泣かされたって言いふらすわよ、この顔で」


 パンパンに腫れた自身の目元を指さす。誰でもいいから話を聞いて欲しかった、吐き出したかった。


「……はぁ〜〜。そっちのがめんどくさそう。聞くだけでいいなら」


 いいよ、ときっと続くのだろうと香坂は判断して話し始める。彼氏と別れたこと、なぜ付き合って、なぜ振ったのか、自身の恋愛観についてなどなど。話し始めると止まらなかった。篠木が横槍も入れずに、頷きながらただただ聞いてくれたのが、心地よかったのもあるだろう。


 ひとしきり吐き出すと、心が軽くなったように感じられた。


「はぁ、すっきりした。んで、感想は? なんかある?」


「いいの?」


 篠木が聞き返す。香坂としては吐き出せただけで満足だったが、何か思うところがあるのかは少し気になったため、うんと答える。


「まず、価値観が違いすぎてよくわからん。告白されたからってよく知らない奴と付き合う感覚もわからん、しかも過去に何人もでしょ? 普通もっとお互いのことを知ってからじゃないの? あとデートもつまんなそう。パンケーキ食いに行って、ゲーセンでUFOキャッチャーして、とか何が楽しいの? 俺ならつまんなくて途中で帰る。あとデートの後にホテルに〜とかのくだりは聞きたくなかったかな、不快」


「オブラートって知ってる?」


「粉薬とかを包んで飲む、半透明の薄いシート」


「いやそうなんだけどそうじゃない」


 全否定されたような気持ちだが、不思議と苛立ちもしなかった。きっと根本的に価値観が違うだけなのだと、妙に納得できたからだ。そして話してみてわかったが、自分は何度も同じ失敗をしている。同じような軽い男と付き合い、相手を受け入れているつもりで、自分のしたいことを要求する。篠木に言われたことは、自分の失敗の根本を捉えている。なら。


「あんた彼女いる?」


「ごめんなさい」


「告白じゃねぇわ」


「見境なくなったのかと思って」


「人を発情期みたいにいうなこら。違くて、ちょっと週末に付き合ってほしくて。あたしからデートねだることが多くって、それが男からしたらつまんないのかなとか、そういうのを客観的に教えてほしいの」


 そう一息に言うと、香坂は両手を合わせる。


「断る。俺になんの得もないじゃんさ」


「泣かされたって言いふらすわよ」


「その脅し文句、まだ有効なの? めんどくさいけども」


 篠木はう〜んと腕を組む。そして思いついたように。


「いや、いいよ。ただし条件。そっちのデートプランに意見するってことでしょ? そしたら次に俺のデートプランにも意見して」


「なに、あんた好きな子でもいんの?」


「まぁ。付き合ったこととかないから、生物学上の女から意見が聞けるいい機会かなって」


 失礼な、と思ったが了承されただけ僥倖か。よろしく、と行って契約は成立した。


 こうして週末から、模擬デートの感想戦が始まった。


 香坂愛プレゼンツ、水族館デート。

「移動の電車が眠い、つまらん。人多くてちゃんと魚見れないし。イルカショーも水しぶきで濡れたし最悪だ。ペンギンは可愛かった」


 篠木新プレゼンツ、図書館勉強デート。

「最悪。これはデートじゃないわよ馬鹿なの? 話せない、食べ物ない、静かすぎてお腹痛くなる。あと勉強つまんない。絶対やめときなさい。けどブランケット貸してくれたのはありがと」


 香坂愛プレゼンツ、デパートでショッピングデート。

「男にとってひたすらに苦行。女ものの店に入るのもハードル高い。買わないのにあれこれ見る意味がわからない、非効率。ピアノのゲリラリサイタルみたいのはよかったけど。あのデパートでああいうのやるのは知らなかった」


 篠木新プレゼンツ、映画館デート。

「無難なとこいったわね。普通。なにも感じないほどに普通。映画のチョイスはよかったけど。でも映画の前後でどうもってくかが全てよ? 映画の後にランチで映画の話するとか、それくらいせめてしなさいよ。映画館に直行直帰って、デートに効率を求めるな」


 お互いにダメ出しと、こうした方がよかったという部分含めて何度も模擬デートを繰り返した。少しずつではあるが、ダメ出しよりも良かった部分が増えてきた。


 数ヶ月後の放課後。


「篠木ってさ、なぁんでそんなに勉強してるの? 行きたい大学があるとか」


 香坂が椅子の背もたれに両手を乗せ、その上に顎を乗せたダラけた姿勢で後ろの席の篠木に問いかける。


「大学は特に決めてない。何かやりたいこととか、目指したいものとかが決まった時に、その道に進めるように勉強してる」


 顔も上げず手も止めずに篠木が答える。香坂は顔もあげない篠木から目を逸らさずに、ふぅんと漏らす。二人だけの教室で、校庭からは運動部の掛け声が聞こえてきた。


 模擬デートをさらに幾度か繰り返したある日、香坂の携帯にメッセージが届いた。


『もう模擬デートはできない。前に話してた人と付き合うことになった。デートも結構好評だった。香坂のおかげだ、今までありがとう』


 淡白なメッセージに、篠木らしいな、と香坂は思った。この数ヶ月で自分の至らなかったことが色々と見えてきた。急に、一方的に脅すような形でお願いをしたこの模擬デート。篠木は律儀に応えてくれた。単純に感謝の気持ちが香坂の胸には残っていた。


『まじか! おめでとう、幸せにしなよ! 今までありがとね!!』


 画面に落ちる水滴を拭いながらメッセージを打ち、送信する。自分の気持ちを、一方的に相手に押し付けてはいけないのだから。



 校舎裏の非常階段、啜り泣く声が聞こえてくる。階上では啜り泣きの主が、体育座りをして膝に顔を埋めている。


「げ」


 階下から上がってきた香坂愛が声を漏らす。その声に篠木新が顔を上げる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を。


「ったく。話、聞くよ?」


 

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この関係を恋と呼ぶには、決定的に足りないものがある 霜弐谷鴇 @toki_shimoniya

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