短編集
玲希
アイドル (恋愛)
「なんかさ、最近めっちゃしんどいんだよね」
器用にシャーペンを指で回しながら、吐き出すように彼女は言った。
「どうかしたの?」
彼女の向かいに座る彼は、ノートに向けていた視線を彼女の方へ向け、手を止めた。吐き出された言葉によってそちらを向いたはずだが、彼の意識はすぐ別の部分に向かっていた。
「そこ、問2の答え違うよ」
彼女は彼の指摘にマジ?と言いながら手元の問題集と自分の回答を見た。その後、彼のノートも一瞥して回答を盗み見る。
「って、違う!」
「え、違った?おかしいな、多分合ってると思うけど」
「いやその違うじゃなくて!」
彼女の睨みに一瞬彼が肩を竦める。
「回答なんてどうでもよくて、あたしのしんどい話聞けよ!って話」
「最初からそう言えばいいのに」
彼の小さなぼやきは彼女の耳にも入ったらしい。聞こえてるぞ、とドスの利いた低い声が聞こえる。
「だって俺“宿題教えろ”って言われた来たんだよ。そんなお悩み相談されるとは思ってなくて。そもそもお前に悩みとかあんの?」
男は真顔で言葉を発するが、その言葉はどう考えても彼女の機嫌を損ねるものであった。
「うっわ、最低最悪超失礼」
「それ良いね、ゴロが」
「お前マジで話通じてる?」
彼女は完全に爆発寸前だった。
「ごめんって。それで?何がそんなにしんどいの?」
「恋」
「え?」
「人を好きでいんのがめっちゃくちゃにしんどい」
「それ、相談相手間違えてない?大丈夫?」
彼がそう言いたくなるのも無理はない。彼と彼女は幼馴染であり、今も彼女の家に何の警戒心も無く招かれている状態。これは彼に男としての魅力がない、更に言うと男に見えないからである。つまり、簡潔に言ってしまえば、彼はモテない。だから恋愛相談なんてされても困るのだ。
「いいの。こんなの友達に言えないし」
「そうなの?女ってそういう話、好きなもんだと思ってたけど」
「普通の人に恋してるなら、ね」
彼女はそう言ってから机に突っ伏してしまった。彼女のこの反応で、彼には分かってしまった。これは本気で、茶化しちゃいけないことなのだと。小さい頃からずっと一緒にいるのだから、それくらいは分かる。
「アイドルがね、好きなんだ」
突っ伏したまま話すものだから、声がくぐもって聞こえてくる。
「うん」
彼はただ相槌を打つだけで、余計なことは口にしない。
「本気で、好き」
「うん」
「それが、しんどいんだ。分かってんだよ。相手はアイドルで、付き合うとかそんなん出来るわけないってのは。でもさ、好きなんだよね。苦しいくらいに。ファンの人達が“好き”って“カッコいい”って言ってんの見聞きして嬉しい反面、黒い感情が顔を出すんだ。ほんっと自分が貪欲すぎて嫌になる」
彼女の声がどんどん小さくなり、涙ぐんでいるのも分かった。
「俺はそういうのよく分かんないけど、アイドルってみんなのものなんでしょ。好きでいるのは別に良いじゃん」
「独占欲がないなら、ね。このまま好きでいて厄介なファンになって認知されたらって考えるとこわい。そんなんなるなら嫌いになりたい」
「本当にそのアイドルが好きなんだ?」
「だからさっきから言ってんじゃん、大好きなんだって」
「へえ」
彼は小さく笑いながら彼女に聞いた。
「ねえ、そのアイドルの名前ってさ―」
「それでみんなの王子様は仕事前なのに珍しく機嫌が良いわけだ?」
「そういうこと」
「お前それ確信があった上で聞いてるよな。要は両想いってずっと知ってたんだろ?黙ってる理由なくね?」
「俺のことであんだけ悩んでんの見れんのに何でそれを俺の方から壊す必要があんの?もっとそばで見てたい」
「マジか、お前マジでクソだな」
「そりゃどうも。俺は最低最悪超失礼らしいし?」
「それゴロ良いな」
「使うなよ?俺のだから」
既に客席は満員、熱気も、やる気も十分。
「さあ、魅せに行こうか」
彼女がもっと溺れるように、嫌いになりたいなんて言えないように。狙っているわけじゃない。ただ、彼女を堕とすのだ。もう戻れないところへ堕落するまで、確実に。
「悪いけど、俺も貪欲なんだよ」
彼はそう呟き、ステージへ向かう。
そして今日も、仮面を被るのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます