第1話 ウホッ(どこだ、ここは)
聖リューズ王国は、大陸の中央に位置する連立国家の一つである。
国境に海を持たず、四方を全て他国に囲まれた小国だ。歴史こそ古く、この大陸における最古の国家の一つであり、かつて存在した古代文明の生き残りでもある。
小国でありながら、大陸首脳会議では中央の議席に立つこの国は、何千年もの昔に存在した、魔王を討伐した国としても知られている。
それゆえに敵対する国は存在しながらも、他国に一目置かれている存在であるのだ。
聖リューズ王国、王都ギャオ・アン。
その中心地に存在する宮殿――そこに座する男が、小さく溜息を吐いた。
「ついに、余の代で魔王が復活したか」
「お父様……このキアラ・リューズ。覚悟はしております」
「すまぬ……余は、父として失格だ。そなたに、無理を強いることになる」
宮廷の最奥に存在する、暗い小部屋。
その部屋で顔を伏せてそう言うのは、当代の聖リューズ国王ロミーツ・オティア・リューズ――オティア一世だ。深い皺の刻まれた顔立ちの、その眉根にさらに皺を寄せている。
そんな彼と向き合うのは、そんなオティア一世の娘――王女キアラ・リューズである。リューズ王族の中でも、特に魔術の才に長けた女であり、いずれは王国魔術師の筆頭になり得る存在だと誰もが認める逸材だ。属性の中でも聖魔術に長けた者の証である、輝くような銀色の髪を後ろに流した美女である。
本来ならば玉座の間に座するはずのオティア一世がこんな小部屋で、沈痛な面持ちで眉を寄せているのは、勿論理由があってのことだ。
「我が国が、動かねばならぬ」
「ええ、お父様……」
「我が国が、小さいながらも他国に一目置かれているのは、魔王が復活したそのときのためだ。かつて魔王を討伐した実績があるがゆえに過ぎぬ。ここで動かねば、リューズには誇りも何もないと他国から誹られよう」
「……」
かつて、最強の魔王を討伐した聖リューズ王国。
それは決して偶然というわけではないが、かといって聖リューズ王国が持つ力というわけでもない。かつて仕えていた伝説に残る魔術師、『黒の大賢者』が生み出した魔術こそが、その理由である。
それは――『勇者召喚』。
この世界とは異なる世界に存在する、勇者を召喚する秘術である。
数千年前の伝説によれば、当時の聖リューズ王国に仕えていた魔術師が、その秘術を完成させると共に召喚をしたらしい。これは古いながらも、公式の記録に残っている。
そして理由は分からないが、異なる世界に存在する勇者というは、この世界に生きる誰よりも強いとされているのだ。勇者は召喚すると共に世界を渡る際、その力が何十倍にもなる――そう『黒の大賢者』の遺した手記にも記されているが、実際のところは定かでない。
だが間違いなく言えるのは、当時呼び出した勇者は、最強だったということだ。
騎士団が全員でかかっても、たった一人で無傷で殲滅するほどの強さを持っていたのだとされる。少なくとも、そんな存在は大陸のどこにもいないだろう。
「準備は、できております」
「……すまん、キアラ」
「いいえ。『黒の大賢者』が遺した魔道陣の制約は、私でなければ起動できませんから」
「『勇者召喚』を行うことができるのは、リューズ王族の処女のみ……その理由は、分かっているな」
「はい」
かつて、聖リューズ王国によって呼び出され、魔王と戦うことを要請された勇者。
そんな彼に与えられたのが、当時の聖リューズ王国の姫だったのだ。勇者と共に生きる従者として、与えられたのが。
勇者は魔王を討伐して、その姫と共にどこかへ去っていった――伝説にはそう残っている。
誰もが、この理由を理解できるだろう。
召喚をした王族の姫とは――つまるところ、召喚した勇者に与えられる贄なのだ。
世界を渡り、戦いを強いる、その代償として。
「わたくしも、リューズ王家に生まれた身。覚悟はしております」
「ああ……すまない。本当ならば、お前には良い縁談を……」
「それ以上はおやめください、お父様。わたくしは出来る限り、勇者様のお側に仕えます」
「……頼む」
オティア一世は、それ以上言葉を紡ぐことなく。
キアラはその背に持っていた、先端に水晶の埋め込まれた杖の先端を小部屋の床――その中央に、かつん、と打った。
それと共に、薄い光と共に浮かび上がってくるのは、複雑な魔道陣である。
現在の王国魔術師たちの、誰にも理解できない魔道式――それが刻まれたこの魔道陣は、かつて『黒の大賢者』が遺したものだ。この魔道陣を複製することなど不可能であるし、その随所に刻まれている魔術の数々は、現在に至っても誰にも解析できていない代物である。ゆえに、誰も近付いてはならぬと宮廷の奥に存在するこの小部屋は、王族以外に誰にも入ることのできない場所だ。
何千年も昔に、ここで勇者が召喚された。
そして今この瞬間、キアラの魔力を使って、勇者は再び召喚されるのだ。
「『ドーラン・エ・モズ・ヨーゴ』」
鍵となる言葉を、まず告げる。
それと共に魔道陣に、まず銀色の光が走った。それは、キアラと魔道陣を同一とさせ、その魔力を満たす第一の段階である。
「『遠き遥か空。闇の帳に谺せよ。汝が聞くは竜の咆吼』」
詠唱と共に、魔道陣の光がさらに増す。
世界が繋がるような感覚と共に、訪れるのは強大な力の圧迫感だ。玉座の間に雷が走るような、そんな途轍もない魔力が満ちる。
この詠唱を教えられるのは、リューズ王家に生まれた女のみ。鍵の言葉も、魔道陣を起動させる詠唱も、リューズ家の女が生まれて最初に教わるものだ。
そして同時に、己の存在価値を知る。
自分は、『勇者の贄』でしかないのだと――。
「『来たれ、勇者』――!」
最後の言葉を、古代語で告げると共に。
ぱちぱちと張り詰めていた魔力が、まるで爆発を起こすかのように玉座の間に満ちる。そしてキアラの体から吸収され、魔道陣を起動させていた聖魔術の気――それが、一気に光となって視界を奪う。
真っ白になった視野の中でも、しかしそこに圧倒的な存在感が分かる。
ごくり、と思わず唾を飲み込んだ。
存在感だけで、これほど震えるものか。そこに存在しているだけで、これほどの畏れを生み出すか。
一体、そこにはどのような存在が――。
暫しの、そんな光の海の中。
ようやく光が収まると共に、キアラの視界に――彼女の呼び出した者が、映った。
「……」
全体的に、黒い。まずそれが第一に感じるだろう。
体躯は一般男性よりも二回りは大きく、横幅も大きい。だが全体的にずんぐりとしている体つきに、短い足。そして足と同じくらいに太く、足よりも遥かに長い腕。背中を曲げ、その拳を大地につけているその姿は、四足歩行の動物を思わせるものだ。
その全身は、毛むくじゃらである。足先と指先、そして胸腹部以外の全てを黒い毛が覆い、真っ黒の顔の周りも体毛が包んでいる。そして、黒い毛に包まれていない部分の皮膚も漆黒だ。
だが、何より目を惹くのはその顔立ちだろうか。
その顔立ちは凶悪そのものであり、落ちくぼんだ眼窩から睨み付けるような双眸。膨らんだ鼻の穴に、鋭い犬歯の生えた口元――恐らく、夜道で出会ったら泣くか逃げるかのいずれかだろう。
これが。
これが――異世界人。
「あ、あの、あなた、様、は……」
「……」
異世界人――勇者として呼び出したその存在は、ぽりぽりと頬を掻いて。
それから、キアラを一目見て。
「……ウホ?」
そう。
意味の分からないことを、呟いた。
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