第7話 婚約破棄をした王子の末路

クローディア公爵とフィオリナが、夜会をあとにしたちょうどそのころ。


「とにかく、今日は店じまいだ。帰ってくれ。」


昼間は王都でも有数の市がたつフレク街の片隅。

とは言え、中心部のような常夜灯などは望むべくもない。


冒険者ギルド「至宝館」。


ドアが開いて出てきたのは(正確には叩き出されたのは)フード付きのマントを羽織った少年。


「明日は」

「明日も来ないでくれ。」

「明後日…」

「とにかく、来ないでくれ。いいか。あんたは確かに今んところは王太子かもしれんが、逆に言えば、今のところだけの王太子だ。

うちは、地味で堅実なギルドで、な。

王位継承のゴタゴタになんざ、巻き込まれてたまるか。」

「今のところでも、王太子に随分な言いようだと思うんだけど…」


「別に恨みはねえ。」

一応は顔見知りのギルドマスターは、苦々しい顔で言う。

「実際、まる二日は、パーティーメンバーの募集を許可したんだ。

で、どうだった?

応募が一件でもあったか?」

ハルトは、首を傾げた。

歳より幼く見える彼はそんな仕草が似合う。

「ないね。」

「だろ? 相手に蝕乱天使がついちまったんだ。誰だって命が惜しい。

だいたい、なんで公爵さまのご令嬢をフっちまうんだ。あそこだったら、『不死鳥の冠』ってお抱えのギルドもあったろうに。」

「いや、迷惑かけるのもやだし。」

「だろ! 要はそう言うことなんだよ!」


ハルトの目の前でドアがピシャリと閉められた。


街灯ひとつない、真夜中の裏路地でハルトは途方に暮れた。

とりあえず、入れる店を探して朝まで時間を潰すしかない。


凍えるほどの季節ではないのがそれでもありがたかった。


闇に目を慣らしながら、俯いて歩く。

道の舗装はよくなく、歩きにくい。

だが、ハルトは別に惨めだと、辛いとも思わない。

こういうのは慣れっこになっている。


それでも10代になってからこっちは、ほんの数日前まで、わりと傍らに、公爵家の美少女がいてくれることが多く、それを失った悲しみはじわじわと彼を内側から蝕んでいる。


悲しみ!


ハルトは笑った。


自分の都合で、婚約破棄をしでかしておいて、悲しがるのは自分と図々しいだろう。


フィオリナは、もちろん状況に気づいてくれたと思う。

それでも何故、クローディア公爵家を頼ってくれないのか、と怒るだろう。


ハルトが尋常でない程度に、フィオリナもぜんぜん普通のご令嬢ではない。


そうだな、例えば、自分から王太子を返上させた上で、公爵家に婿入りさせ、いやいやそのルートだと、クローディア公爵領の独立宣言、王国と全面戦争までいってしまうのだ。


クローディア家の持つ武力財力は充分それが、可能であり、まだまだ世に知られていないフィオリナ(とハルト自身)の力を加味すれば、勝敗はたとえ、諸外国の介入を考慮したとしても勝つ。


数多くの兵を殺し殺されて。


そんな価値はない。


ゆえに、ハルトは彼を憎み、疎んじる父王のひいたルールの中で戦うのだ。

それが何度も勝利条件のかわる勝ち目のない戦いであっても。


夜道で考えるには相応しくない内容であって、さすがに鬱々としてきたので、足元の地面が突然、ぐにゃりとおかしな感触になり、触手が彼を絡みとろうと飛び出して来た時は、なにかほっとしたのだ。


ショートソードの一閃で切断された植物の蔦に似た触手は、緑の液体を飛び散らせ、ハルトの肌を焼き、服に穴を開けた。


飛びのいた先の地面は泥土と化し、ハルトのくるぶしまでを飲み込んだ。


さらに湧き出る触手の群れ。

剣で払うが今度は切断できなかった。彼を傷つけた毒液が、剣の切れ味をも鈍らせている。


足元は土に埋まり、動くことは叶わぬ。

さらに、少年の体を触手が、絡めとり身動きひとつ出来なく


ならなかった。


腕に、肩に、胴体に、首に。


絡みつこうとする触手は、ハルトの僅かの動きに、ことごとく空を切り、虚しく滑り落ちていく。


“なんの体術じゃ、それは”


苛立ちに満ちた声が、虚空に響いた。


“足の動きを封じてなおこれか”


ハルトの動きに翻弄されたかに見えた触手は、数十本が束になり巨大な幹へと変化、さらにその先端に、紫の奇怪な華を咲かせた。


花弁の奥からまたあの毒液が滴り落ちる。


「ほいっと」


緊張感のかけらもない声で、ハルトは剣を横殴りに触手に叩きつけた。

刃ではない。刀身を叩きつける打撃だった。


その一撃で。


足元の地面の中で何かが身悶え、もがき、苦悶の喚きを上げる。

断末魔にも感じられたその喚きそのものが、最期の攻撃だったのだろう。ハルトの鼓膜を焼き、凄まじい頭痛と吐き気をもたらした。

さらに、華を咲かせた触手が破裂して、大量の毒液をハルトに浴びせる。


「マンドラゴラの亜種なのかな…これは…きつい。」


さすがに顔を歪めて、地面に膝をついた。

肩から背中にたっぷりと浴びた毒液が、白い煙をあげて、肌を溶かしていく。


「と、いうことでぼくの負け。」


ハルトがそう呟くと同時に視界が暗転し、そこはもう、路地裏でもなく、奇怪な植物が繁茂する異界でもなく、書斎と思しき、落ち着いた雰囲気の一室だった。


「ふう、やれやれ、です。」


来客用のソフィにそのまま座り込み、目を閉じる。


淡い光が、ハルトの体を包み、傷が瞬く間に修復されていく。


目を開けた時には、もうハルトの肌には傷あとひとつ残っていなかった。


もちろん、ハルトが使ったのは治癒魔法だったので、ほとんどボロ切れとかしたマントもシャツもそのままだったのだが。


「これで、あなたの86勝4敗です。もういい加減にやめませんか。」


言われた書斎の主人は、憮然とした面持ちでハルトを睨んだ。

何歳かもわからぬ、皺に埋もれた顔ではあるが、眼光は鋭い。


「その4敗はいずれも、お主が魔道を使った時じゃ。」


睨み殺されそうな視線をハルトは、そよ風のように受け流した。

こんな目つきでいちいちびびっていたら、フィオリナの婚約者をやっていられない。


「つまりは、お主が魔道を使うまで、追い込めたのが4回。あとは付け焼き刃の剣術と体術で翻弄されて終わり、というのが実情だ。」

「魔道院の主、ボルテック卿ともあろうお方がずいぶんなご謙遜。」


ハルトはここに半ば強制的に招かれたのは初めてではない。


何か飲み物でも出ないかと、視線が食器棚の方を彷徨い出すのを見て、ボルテック卿は、ため息をついた。


「もう、王太子なんぞやめて、魔道院に入らんか。世俗のことなど忘れて…と言いたいところだが、別に公爵家のじゃじゃ馬を娶りたいならそれも構わん。

のんびりわしと魔道の研究と研鑽に勤しむのじゃ。楽しいぞ?」


「四六時中、異界に飛ばされたり、呪詛をぶつけられるのが、楽しいですか?

それにあなたを死と仰ぐのはどうも納得いかないです。

教育者としては、あなたは完全に失格者です。」


「別に、師と仰いでほしくはないが、教育者として失格、というのは?」

「あなたのひ孫くんですよ。あいつも初等部の頃は、衆人環視の中で、学友に致死魔法をぶつけるような奴ではなかった。」


ボルテック卿は、体を縮こませて、口の中で何やらぶつぶつと言い出した。


あやつはまだ未熟者で、魔道のなんたるかもわからぬ、我がひ孫という立場で増長したのは確かにそうだが、その一例を持って教育者として失格というのものでもあるまいし。


とりあえず、反省はしているようだったので、ハルトは先を続けた。


「確かに王太子返上、魔道院にお世話になる、というのはぼくも考えました。

あの父上が納得してくれれば、いや納得できなくても魔道院はなかなか手を出しにくいところではありますから。」

「おお、それでは」

「蝕乱天使」


ボルテック卿は黙った。


王太子の座を巡っての、王とハルトの確執は知っていたものの、それだけのために最高クラスの冒険者を投入するなど、聞いた時には王の正気を疑った。


ある程度頭の回るものなら誰でも思うことだが、エルマートを後継者に指名したければ、そうすればいいだけの話であり、何がなんでもハルトを貶めたいなら、冤罪でも何でもでっち上げれば良いのだ。

パーティ育成がどうの言い出した挙句に、エルマートのために「蝕乱天使」まで投入するとはコストだけ見てもとても釣り合うものではない。


「魔道院は、西域最高峰の冒険者に対してもぼくとフィオリナを守れますか?」


ボルテック卿は意地悪そうに笑った。

「本気のお主らが見れるのなら如何様にも力は貸すが?」


ハルトは肩を落とした。


「やっぱりこのルートも殺し合いになりますか…」


「あの男はお前を迷宮内で殺すつもりだぞ。何をいまさら。」


「流れる血の量ですかねえ…偽善なのかもしれないけど、できるだけ少なくしたい。」


「あらためて忠告しておいてやるが、お主は王には向いとらん。魔道院がダメなら、フィオリナと手に手を取って駆け落ちでもせい。」


「ああ、それは確かに。正直、王位につくよりもよっぽど魅力的です。

今回の試験もクリア出来たら考えます。」


「蝕乱天使を凌ぐパーティを半年で育て上げるか?

メンバーすら集まらなかったようだが。


まあいい。まだ、お主も知らぬ最新情報をいくつかくれてやる。

先ほどまで、『夜会派』と呼ばれている連中の会合が開催されていた。ほら学院の剣の顧問、近衛のコーレルとかも参加している小悪党どもの集まりだ。

そこで、エルマートと共に『魔王宮』に挑む、蝕乱天使が紹介された。」

「わあ」

ハルトは顔を歪めた。毒液を浴びた時よりも苦い顔だった。

「ホントに来たんだ。」


「顔を見せたのは、リーダーのローゼン=クリュークとリヨンと名乗る女。

ローゼン=クリュークは、折衝ごとには必ず顔を出すので、面は割れておる。本物に間違いはなかろう。

もう一人は、リヨンだがこれはわからん。同じ名前の女の活動記録は残っているが、口から鋼糸を吐いただの、右手が剣になっていただの、翼を生やして空を飛んでいただのその度ごとに能力も戦い方もまるで違う。


そこで、エルマートが魔王宮の最深部までの踏破を宣言した。」


「六層を超えて?」


ボルテック卿は、疲れたように背もたれに体をあずけた。


「『ダルタロスの惨事』からもう五十年を過ぎた。魔道院もアケルハイド、ミネオリウス、ダルカ…優秀な弟子どもを一挙に失った。

あの時のことは今も夢に見る。

なぜ。

なぜ、わしが自ら行かなかったのか、とな。」


ジージーと耳障りな音をたてて、自動人形たちが現れ、給仕をはじめた。

熱い紅茶に、くるみの乗ったチーズケーキ。


「やれると思うか? 魔王宮の踏破。」


「ヤルやらないではなくて。」紅茶は香よく、毒も入っていなかった。

「その必要がない。アイテムや素材回収のためなら、六層までの解放で十分。」


「その会合に、クローディア公爵も出席していた。」


「へえ、親父殿が? 確かに『夜会派』に取っては、欲しい人材だろうけど。」


「お主も婚約破棄騒動で、取り込むには格好のチャンスだと思ったのだろうよ。

けっこうな活躍ぶりだったようじゃぞ。


『蝕乱天使』のリヨンを賭けて、コーレルと大立ち回り、僅差で敗れたようだが、これに惚れ込んだリヨンから言い寄られて、〝お持ち帰り〟をしようとしたところを付き添いの侍女に止められたらしい。


さらに、 派閥の要ともいう言うべき、バルゴールや、あのバルトの息子などとも意気投合し、ついには、お主とエルマートの『見定め役』になった。まあ、させられた、というのか。」


「見定め? 実際に迷宮に入るということですか? よく父が第三者の介入を承知しましたね。」


ボルネック卿は喉を鳴らすようにして笑った。

俗世がどうの嘯いてみせるが、象牙の塔に閉じこもった世捨人ではあり得ない。

何より予算を分取れない組織の長は、長として成り立たないのだ。魔道院も例外ではなかった。


「これが、傑作よ。

クローディアがバルゴールを焚き付けたのか、その逆か。


なんと、全ての冒険者に魔王宮の探索を許可するよう王に進言したのよ。

補給地点の確保やマッピング、浅い階層でのアイテム、素材収集などが名目らしいが、まあ、単純にギルドからの税の増収が目的だろう。


王がそれに乗ると、今度は、蝕乱天使のクリュークめが。」


楽しくて仕方ないのだろう、見てきたように声色を変え、身振りを交えて、


「冒険者たちによる混乱を避けるため、自分をグランドマスターにするよう申し出た。」


「理屈はわかりますが」ハルトは呆れたように言った。「エルマート側のパーティにギルドを統括するグランドマスターがいて、他の冒険者たちも仕切る? あまりにもぼくの方が不利すぎません?」


「そこで『見定め人』が必要になるわけじゃ。これも言い出したのはクリュークで、クローディアを推薦したのも、クリュークとバルゴールらしい。


どうじゃ?


この流れで一番得をしたのは誰じゃろうな。」


お替りの紅茶を注いでくれる自動人形に、会釈をしながら、ハルトは首を傾げた。


「誰も損はしてませんね。


クリュークは、何もしないうちから、上位貴族に匹敵するグランドマスターの地位をあっさり手に入れたわけですし。

王はエルマートが有利になったうえに、税収が高くなればいろいろと我慢していた贅沢もできる。

ギルドの冒険者も半世紀熟成した迷宮に探索が認められれば、たんまり稼げるチャンスだ。

エルマートは、勝利をより確実にしたと思ってるだろうし。

バルゴール伯爵は、多分徴税の際にたんまり懐を肥やすわけでこれも万々歳。

クローディアの親父殿も、派閥の中で顔がきくようになって、お家安泰は間違いなさそうです。」


ハルトは頬杖をついてちょっと考えた。


「でも、一番得したのはたぶん、ぼくです、ね。」


「かもしれぬ、かもしれぬ。」


魔道院の妖怪と、公然と呼ばれる老魔導師は、我が意を得たりと言わんばかりに身を乗り出した。


「どうじゃ、ハルトよ。わしがお主のパーティに入ってやろう。魔道院の伝で国外からも『蝕乱天使』に匹敵する冒険者を集めてやる。

そのかわり、と言っては何だが、六層の階層主を倒すのに力を貸せ。

あの日の屈辱、散っていった仲間たちの無念、わしが自ら晴らしてくれる。」


「お断りします。」


この流れで断られるとは、思ってもいなかったのであろう。

ボルネック卿の顎がガクンと落ちた。


訳がわからん、というふうに首を振りながら


「なぜ、じゃ。王国内の冒険者では、お主がいくら力を尽くしても蝕乱天使にはかなわん。これ以外にお主が半年で、蝕乱天使に匹敵するパーティを手に入れる方法はないぞ。」


「蝕乱天使に匹敵する冒険者はそれはいるでしょうけど、匹敵するだけでは、結局のところ、命の取り合いになってしまいます。

それは、



なので。


こんなくだらないことで命を落とすものが出るのは。」


少年は、大きく伸びをした。ほとんど、ボロ布と化していたマントとシャツが裂けて、落ちた。


「寛大で慈愛ぶかい老師。代わりに何か着るものを用意してください。

え、そんな不満そうな顔をされても、これはあなたの所為ですよね。

あと、ついでに世も更けてきたので一夜の宿をお貸しください。


『魔王宮』の中であったらお手柔らかに。


それではおやすみなさい。」


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