第25話 分業

 さて。

 俺たちのプロジェクトにカンナが加わったことで、俺の負担は格段に減った。


 何せ今まで、大結界の土台となる魔鉄鋼ミスリルへの魔術式を刻んでいたのは、俺だけだった。俺以外に大結界に対する専門家がいないこともあったし、他の魔術師に対する情報統制も兼ねて、この土台を作っている部屋には誰も入れていなかったのだ。

 しかしルキアはカンナがこの部屋に入ることを許可し、俺の手伝いをするように命じてくれたのだ。


「先輩、一号機の一番から十番まで終わったっす」


「おう、どうだった?」


「さすが先輩っすね。全部の魔術式、全くずれてなかったっすよ。あたし、こういう細かい作業苦手っす」


「だからチェック担当なんだろうが。ずれてるところ、あったら修正してくれよ」


「うっす」


 カンナのぼやきに対して、俺はカンナを見ることもなくそう言う。

 俺の仕事は変わらず、土台となる魔鉄鋼ミスリルに対して魔術式を刻み続けるだけだ。そしてカンナに行ってもらう仕事は、そんな俺が刻んだ魔術式にずれがないか――それを、全部確認することである。

 俺だって人間であるわけだし、人間である以上ミスというのは発生するものだ。一応俺も細かく確認はしているけれど、それでも魔術式のずれが僅かにあるかもしれない。

 だから、ここでカンナが追加人員となってくれたのは僥倖だ。

 カンナならば構造も分かっているし、その魔術式がどのようにずれているか、どのように作用するかもちゃんと理解している。ただ与えられた情報だけでチェックをするのではなく、既に知識として持っていることは大きいのだ。

 俺が細かく確認しながら行い、それをカンナが細かく確認する――この二つの確認を重ねて行うことで、一つ一つの小さなミスが解消されるのだ。


「しっかし、先輩よくここまで細かく刻めるっすねぇ……普通なら見逃しちゃうくらいの細かいずれすら、一つもないんすけど」


「まぁ、細かい作業は慣れたもんだからな。百二十四番の修正、何回やったことかよ」


「さすが先輩。若く見えるけどもう四十路っすね」


「褒めるのかけなすのかどっちかにしてくれ」


 全く脈絡のないことを言われても、困るというのが本音だ。

 ちなみに。

 そんな俺たちの会話をしっかり聞きながら、部屋の端でダリアが待機していたりする。今日は忙しいのか、ルキアの姿はない。

 どことなく、不機嫌そうに見えるのは気のせいだろうか。


「うっす。十一番から二十番、異常なしっす」


「いちいち報告しなくていいから、さっさと進めろ」


「別にいいじゃないすか。あたしが黙っちゃったら、この部屋無言っすよ無言。先輩はだまーって仕事するし、メイドさんもじーっと見てるだけだし、あたしはもっとこうアットホームな職場がいいんすよ」


「俺はアットホームだよ。ここが家だからな」


「そういう意味じゃないっす」


 カンナの方は見てもいないけれど、ジト目で見られていることは分かる。

 だけれど確かに、大結界の修繕を行っていた頃も、カンナは割とおしゃべりだった覚えがある。俺は無言でやるタイプだけれど、カンナは口と手が別に動くタイプだそうだ。

 俺の作業は細かいから、喋ってやると何かミスをやりそうな気がするため、基本的に黙っているのだが――。


「ほらほらー、せんぱーい。なんかお話しましょーよー」


「あー……何を話すんだよ」


「そういえば先輩、彼女とはどうなったんすか?」


 唐突に、カンナがそう尋ねてくる。

 随分昔のこと覚えてるな――そんな印象だ。

 彼女といっても、そもそも付き合ったのだって二ヶ月くらいのものだ。当時都市庁の女性職員だった女性と、それなりにいい感じの関係になったのである。だけれど、丁度同じくらいにカンナが解雇となり、俺一人で作業を続ける羽目になった。

 結果家に全く帰ることができなくなり、休日も全くなくなり、結果的にそれから一度も会えていない。都市庁から回ってきた会報で、後に彼女が結婚したことを知った。

 だから、本当に何の関係もなかった。一緒に食事に行ったのも二回だけだし。


 だけれど何故か、がちゃん、と陶器の割れる音がした。


「えっ……」


「……失礼しました、ソル様。少し、カップを落としてしまって」


「大丈夫ですか?」


「はい。こちらで片付けておきますので」


 珍しいこともあるものだ。

 ダリアがこんな風に、何かを割ったのを見たのは初めてである。


「それで、せんぱーい。どうなったんすかー?」


「……うるせぇな。どっかの誰かと結婚したって聞いたわ」


「あれ? 別れたんすか?」


「別れたも何も、いい感じの関係から先に進まなかっただけだ。お前が解雇されて、俺一人で作業する羽目になったんだぞ。ずっと家にも帰れなかったのに、会えるかよ」


「うわぁ……ひどい話っすねぇ」


 全く、ひどい話だ。自分のことじゃなけりゃいいのに。


「んで、そういうお前はどうなんだよ」


「あたしの男関係っすか?」


「そう聞いてんだが」


「あるわけないっすよ。花の二十代の、半分以上あたし大結界の修繕やってましたし。もうあたしも二十九っすからねぇ。世間では嫁き遅れっすよ」


「……そうなのか」


「そもそも、魔術師って結婚率低いんすよ。女は尚更。何せ結婚しなくても自立して生きていけますし、下手な男より稼ぎいいっすからね」


 まぁ、それは確かにあるかもしれない。

 俺が大結界を修繕していた頃の給料がおかしかっただけであり、本来魔術師というのは高給取りが当たり前だ。大体の貴族家ではお抱えの魔術師がいるし、そうでなくても領地で雇って貰える場合が多い。だから冒険者志望の魔術師が少ないと聞いた覚えもある。


「ですんで、まぁ別にいいかなって感じっす。このままでも、多分あたし生きていけますしねぇ」


「そうか……まぁ、人それぞれの生き方だわな」


「先輩は、結婚したいんすか?」


「そりゃ、したいに決まってんだろ」


 俺はもう四十だ。

 少なからず、所帯を持ちたい気持ちはある。可愛い嫁さんを貰って、可愛い子供を育てて、老後を迎える――そんな生活に、少なくない憧れは抱いているのだ。

 だが、二十九のカンナでも厳しいと言っているのだ。四十の俺では、嫁の来手などまずあるまい。

 だけれど、何故か。

 そんなカンナの質問に答えた、俺の言葉と共に。


 再び、かちゃん、と陶器の割れる音が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る