殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました5

八島えく

武装神官

 ネイビー・ピーコック博士は、呪いによって契約した従君バーミリオンを連れ、珍しく明るい表情で無人の町並みを歩いていた。

 乾いた風が吹き、ネイビーの伸びてきた前髪を揺らす。

 

 この町一帯には、誰もいない。

 民家や植樹には、おびただしい数の爪痕が刻まれている。

 大きな獣が、人々の住まう町を蹂躙したのだろう。

 ざっとあたりを見回してみたが、ここには長い間人が住んでいないようだ。


「ここに”怪物”がいるのか」


 ネイビーの一歩後ろを歩いていた長身痩躯の男・バーミリオンが訊ねた。

 ネイビーは歩を止め、答える。


「いるだろうな。私の見立てでは、ここを根城に行動しているようだ。今は留守らしい」

「いつここへ戻ってくると思う?」

「陽が沈むころかな。ここの”怪物”は、昼に行動し、夜には寝床へ戻る」


 そうか、とバーミリオンは納得した。


「ここの”怪物”を殺しても、まだ私は殺せないぞ」

「それは残念だな。……だが、そう宣っていられるのもあとどれくらいだろうな」

「あはっ、目標が遠くてもくじけないその心、なかなか良い」


 ネイビー・ピーコックは、バーミリオンという傭兵に呪いをかけた。

 それは、ネイビーを殺したらバーミリオンが死ぬという呪い。

 そして、ネイビーがバーミリオン以外の手にかかってもバーミリオンは死ぬという呪い。

 この呪いを解く方法は簡単だ。


 ”怪物”をすべて殺したら、消える。


 ネイビーは”怪物”という、世にも恐ろしい生物を創り出した。

 その実績は国境を越え、あらゆる人々を恐れさせる。

 恐れだけではない、恨みや憎しみも引き出した。


 狭い世界から、無数の怨嗟を受けているネイビーは、バーミリオンを伴って旅をする。

 この世に存在する、”怪物”を殺すためだけに。


「はあ……ここは冷え込むね。もともと気温の低い地域とは存じていたが」


 ネイビーは貧相な両手に、息を吹きかける。

 ちらり、とバーミリオンを見上げたが、舌打ちだけが返ってきた。

 主人のために、暖を提供してくれるほど、バーミリオンは殊勝ではない。


「で、”怪物”が帰ってくるまで、ここで待ち伏せするのか?」

「その予定だ。幸い、場所はいくらでもあるようだしな」


 ”怪物”によって深く傷ついた町だが、半日過ごす程度の家屋は残っていた。

 そこで体力を温存し、根城に戻ってきた”怪物”を討つ。


「飯にでもしようか。腕によりをかけるよ」

「期待はしない」


 冗談めかしてネイビーは言う。

 実際、料理の腕は確かだが、食材が心もとない。


 あの家にしよう、とネイビーが家屋の一つを指さした。

 バーミリオン、と名を呼ぼうと息をすった直後。


 ネイビーは、背後から撃たれた。


   *


 撃たれた箇所は、左上腕だった。

 命にかかわる部位ではなかったが、血は勢いよく流れ出ている。


「おい!」

「だ、いじょうぶだ……。少しじっとしていてくれ」


 言うと、ネイビーは右手をバーミリオンの左手首にあてる。

 その手首には、ネイビーの刻んだ空色の呪いが浮かんでいる。

 呪いは一瞬だけ発光した。


 バーミリオンの片手は、ネイビーの襟首を掴んでいる。

 そのまま抱えて逃げようとしてくれていたのだ。


「のんびりしている暇はないだろ!」

「その通りだ。……だが、ここで逃げてはいけない、なぜなら」

「しゃべるな!!」


 バーミリオンが怒号を上げる。

 彼の大声は何度となく聞いてきたが、これほどまでに混乱した声は、ネイビーには新鮮に聞こえた。

 撃たれた箇所が、焼けるように熱い。

 鋭い弾丸で射抜かれた体は、こんな痛みを持つのかと、場違いなことを考える。


 そして、気を取り直す。

 この襲撃だけで、ネイビーは敵の正体を見切った。

 

「いいか、バーミリオン。これから、私はきみを隔離する」

「……気でも狂ったか?」

「時間がないから返答は省略する。……きみの呪いに、一時的な転送の呪いを重ねがけした。あと六十秒もしないうちにきみはここから強制移動する。今回の襲撃者は、必ず私に接触を試みる。いいか、それが一度きりのチャンスだ」

「何を言って……」

「襲撃者には、きみという切り札を長く見せるわけにいはいかない。理由はここでは言わん。最低限の接触で、きみは襲撃者を迎撃しろ。命を取る必要はない」

「……」

「きみには期待しているよ、私の、可愛い、バーミリオン」


 ふっと、バーミリオンは消えた。


  *


 バーミリオンを無事に消したあと、ネイビーは立ち上がってよろよろ歩いていく。

 前に進みながら左腕をきつく止血し、思考を張り巡らせた。

 遠くで銃声が一度、響いた。

 直後、足元に軽い衝撃が走る。

 ふと見下ろすと、弾痕が落ちていた。


(あちらへ)


 ネイビーは歩く。

 あと三歩もすれば、屋根の壊れた家屋に避難できる。

 指先がコンクリートの壁に触れた時、ガクリとネイビーの体がくずおれた。


 右足が、鋭い痛みを訴えた。

 だがネイビーは、その足を見ない。

 どうせ、撃たれているんだろう。


「……あはっ」


 力のない笑いがこみあげてくる。

 ネイビーは重くなった体を起こし、まだ無傷の左足だけで立ち上がる。


 そして、ズボンのポケットから貝殻を取り出した。

 白い表面に黒い紋様が浮かんでいる。

 この貝を、上へ放り投げた。

 垂直に漂うそれは、瞬く間に砕ける。

 

 散った貝殻から、白い煙がブワリと吐き出される。

 濃厚な煙はやがて、ネイビーをすっぽり包む。

 銃声が何発か、背後から聞こえる。

 襲撃者が、無意味に撃っているのだ。


 ネイビーは足を引きずりながら、煙に紛れながら歩いていく。

 パン、と軽快な発砲音が横から聞こえた。

 鼻先を弾丸がかすめた。

 ネイビーは構わず進む。


 十分も町中をずるずると歩いていると、めまいを覚えた。


(血を流しすぎたか)


 こんなことなら足も止血しておくんだった、と。

 場違いなことを考えた。


 煙が消えたら、また新しい貝殻を出して煙を出し。

 貝殻が亡くなったら、今度は髪の毛一本を抜いて息を吹き、分身を作ってダミーを出した。

 ダミーが好き放題駆けまわっていると、ダミーが撃たれて瞬く間に消えた。


 その間にネイビーは、もっと遠くを目指す。

 

(あの辺がいい)


 くらくらする意識を叱咤しながら、ネイビーは半壊した赤レンガの建物にたどり着く。

 上半分が剥がれ落ち、屋根の上に掲げられていた侵攻のシンボルも折れている。


 パン、とまた発砲音がすぐ背後から聞こえ、

 ネイビーの腹部を穿った。


「が……っ」


 脇腹をちくりと貫かれたような感覚から、やがて剣で刺されたような激痛に変わる。

 撃たれた衝撃でバランスを保ちきれず、そのまま倒れた。

 乾いた砂と顔がぶつかる。

 頬が擦り切れた。

 今は、腕と腹よりも顔が痛い。


 かすかに足音が聞こえる。

 注意深くて、確実に進めていく音だ。

 この足音の正体を、ネイビーはわかっている。


 足音が近づくにつれ、

(ああ、追いつかれたか)

 と、半ば観念した。


「お久しぶりです、ドクター・ピーコック」


 その声の主は、黒い僧服に身を包んだ男だった。


   *


「……ああ、久しぶりだね、クラレット。

 最後にきみを見てから、ずいぶん大きくなったじゃないか」

「おかげさまで」


 興味なさげに、クラレットは答える。

 クラレットの手には、大きな銃が握られている。

 細長いそれは、本来であれば両手を使ってようやく構えられるものなのに、クラレットは苦もなく片手で銃口をネイビーに向けている。


「お会いできたことを、主に感謝しなければ。

 やっと、あなたを丁重に葬ることができる」

「先約があるんでね、できれば命の一つや二つは……見逃してくれないか」


 浅い呼吸を繰り返すネイビーに、一発の弾丸が放たれた。

 右腿が貫かれる。


「ご安心を。簡単には殺しません」

「そうか……なら、良かった」


 ごっ、と今度は背中に銃口を突きつけられる。

 引き金をひかれなかったことが、せめてもの幸運だ。


「あなたには、聞きたいことが多々あります。それをすべて話してもらうまでは、生きていていただかなければ困りますので」

「何だ? 再会を祝して思い出話でもしたいのか? だったら、もう少し場所ってものを選んでも良いじゃないか」

「そこまで思い入れのある話でもありません。コレで充分です」


 クラレットの銃が、再び火を噴いた。

 ネイビーの背中に、弾丸が撃ち込まれる。

 喉から、血がせりあがる。


「がは……っ」


 クラレットの足が、ネイビーを踏みつける。

 肺を圧迫されたネイビーの息が苦しくなってゆく。


「あなたへぶつけたい疑問がいくつもありますが……」

 

 クラレットが押し黙る。

 辛抱強く待っていたネイビーだったが、さすがに奇妙に感じて無理やり体を捻ってクラレットの方を見上げた。

 はっ、とネイビーの目が一瞬見開かれた。

 表情を故郷に捨て置いてきたような男の顔に、憎悪とも悲壮ともつかぬ複雑な表情が、歪んで浮かべられていた。


「どうして……殺した……!!」

「……」


 クラレットの、簡潔すぎる問いがこぼれた。

 きっと、今はここにいないバーミリオンが聞いたら、何を言っているんだと顔をしかめるだろう。

 バーミリオンだけではない、ほかの誰が聞いても、クラレットの問いを理解することはできない。

 言葉が最低限すぎるからだ。


 しかし、ネイビーはそれだけで、何を問い詰められているのか、理解できた。

 そして、その問いには答えることができないことも。


「おまえが! どうして!」

「……お別れしたときに言っただろう。興が醒めたからだ」

「まだ言うのですか!」

「嘘だというのかい? 私は嘘がつけないんだよ」

「あなたは……そんな人では……」

「銃口が震えているぞ。打ちどころを間違えたら、私が死んでしまう。

 死ぬ前に、聞きたいことを聞くのではなかったか?」


 クラレットがギッと奥歯をかみしめる。

 片手に持った銃が、ネイビーの右目を狙う。

 相変わらず、銃は震えたままだ。


「撃ってみろ」


 ネイビーは笑う。

 わずかに、クラレットの指が動いた。


 しかし。

 それを阻むように、クラレットへ鋭い雷が直撃した。


「!」


 ネイビーからクラレットが離れる。

 銃を取りこぼした彼は、右肩を庇いながら周囲を注意深く見回した。

 動揺を隠せないクラレットの視線が、一点に集中した。

 

 その先に、落雷を生み出した張本人が、立っていた。


「助かる」


 ぼんやりとつぶやいたネイビーは、従君バーミリオンに、無造作に抱えられていた。


「お前……何者だ! どうして”主の御業”を使えるんだ!」

「答える義務はない」


 バーミリオンの使用した雷は、クラレットをはじめとする神職業界では”神の御業”と呼ばれる。

 呼び方が異なるだけで、要は”自然現象”のことを指す。

 ”自然現象”は神の奇跡だから、人間が使うことは禁忌と解釈されている。

 使える人間は、神に反逆した者の末裔と指をさされ、世間的に忌まわしき存在としての扱いを受ける。

 

 バーミリオンも、その一人だ。


「俺の”ご主人様”が世話になったな」


 バーミリオンが、踵を返す。


「じゃあ、さようならだ」

「待て!」


 クラレットが我に返り、銃を構える。

 それはバーミリオンに向けられていた。

 横目で武器を視認したバーミリオンが、かちりと剣の鍔を押し上げる。

 その手に、ネイビーの冷えた手が添えられた。


「クラレット。すでに存じと思うが、ここは”怪物”の根城だ」

「……!」

「良いか、”怪物”は夜にここへ帰ってくる。われわれはそれを殺すためにここへ来た。

 今でこそ”怪物”はここにいないが、今はどこにいるかな。賢い、……クラレットなら察しがつくだろ?」


 ネイビーは畳みかける。

 バーミリオンに抱えあげられているという無様な恰好ではあったが、クラレットが自分を諦めるきっかけとしては充分だったようだ。

 この廃れた町の近くには、人の住む地域がある。

 ”怪物”が、その地域を狙って無辜の民を食う可能性が、大いにある。

 腐っても神官であるクラレットは、民間人をそうした脅威から守る義務を持つ。


 クラレットは背を向けた。


「次は、ないと思ってください」

「考えておこう。きみが、私の知るきみのままで何よりだ」

「……さようなら」


 クラレットは地を疾走し、消えてくれた。


   *


「何だったんだ、あいつは」

 

 バーミリオンがネイビーに問う。

 体のあちこちに穴をあけられたネイビーは、古びた布で傷口をきつく縛られる。


「武装神官、クラレットという。武装神官がどういうものを指すかは、きみも知っているか」

「”怪物”や”怪異”といった、人智を超えた脅威から民間人を守る神職のことだな」

「さすが、私のバーミリオン。クラレットもその一人だ。

 彼とはそこそこ旧知でね」

「ずいぶんな歓迎だったな」

「人気者の辛いところだな。とりわけ、彼はやや過激で熱心な、私のファンなのさ」

「そうか」


 ネイビーは、ポケットから携帯食を取り出し、一口かじる。


「彼との再会は予想外だったが、我々の予定に変更はない。

 そろそろ”怪物”も帰ってくるだろう。きみが葬れ」

「異論はないが。良いのか、おまえ、怪我しているだろう」

「心配痛み入るよ。問題ない、きみの足手まといにはならない。つまり、”怪物”を殺すための邪魔にはならないということだ」

「……ああ、そう」


 呆れたように、バーミリオンがため息をついた。


「期待しているよ」

「そうか」


 くずおれた家屋の壁に座り込んだネイビーに外套を放り投げ、バーミリオンは帰ってきたばかりの怪物を出迎えにいった。



   了

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殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました5 八島えく @eclair_8shima

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