最後の雨

六条菜々子

なんでもありな世界なら

「そんな勝手が許されるかよ!」


 俺は透明な液体の入っていたコップを投げ捨てた。床にぶち撒けられたそれは、一気に蒸発した。


「そう怒るな。これは必要な儀式なんだ」

「また口からでまかせか? もうこりごりだぜ、先生」


 黙って耐えていた鬱憤が一気に噴出した。なんだこのクソ親父。自分の父親ではあるけれど、血のつながりはない。戸籍上でも赤の他人だ。

 そもそもなにを飲ませたんだ。さっきから体の中がむず痒くて仕方ない。


「そろそろかな……」

「おう、やっぱりなんか起きるんだな?」

「そうだ。受け入れろ」

「適当だなあ。怒ってるのが馬鹿馬鹿しい」


 その瞬間、脇のあたりに強烈な痛みが走った。


「痛え! なんだこれ!?」

「ははは。驚くなよ。さっきお前が飲んだのはな……」


 そこで先生の言葉が途切れた。意識が朦朧とするなか、建物内には銃声が響いていた。ついにここまで来やがったのか…?

 キーボードを叩いている様子だったが、だんだんと目の前の古めかしい機械が唸りをあげた。電子音が小刻みに流れ『バージョン管理システム起動』という女の人の声がした。もしかして、この機械喋れるのか。


「ひなた」

「…え、あ、俺のこと?」

「そうだ」


 親父が突然下の名前で呼び始めた。気持ち悪いのでやめてほしいが?


「今からこの機械に乗れ」

「はぁ? なに言ってんだ急に」

「お前は、今日のこの瞬間の為にいるんだ。別れるのは辛いことだが、受け入れるほかあるまい」

「いや、なに言ってんだよ本当に。全然意味が分からないぜ?」

「まだ分からなくていい。なにも考えなくていい。ただ乗ってるだけで今は構わない」


 弾の音がだんだんこちらに来ている。なにを考えているのかはさっぱりだが、ここは素直に言うことを聞いたほうが良さそうだ。


「もし私に会ったなら、お前の腕は最高だから自分を信じてくれと伝えてくれ」


 どう見てもただの箱なのだが、ケーブルが大量に繋いであるので、きっとただものではない。いったいこれからなにが起きるんだ。不安ばかりが増していくものの、俺は投げられるように箱の中に押し込まれた。


「先生、俺と一緒に」

「それはできないんだ。一人乗りだ……」


 言い切るよりも前に、目の前で親父は倒れた。さっき撃たれてたのか。

 ドアは強制的に閉められ、箱の中に光が充満していった。あまりの眩しさに、気を失ってしまっていたくらいだ。



 寒い。全身を氷に包まれたかのようだ。なにが起きているのかを知る為に目を開けようとしたが、どういうわけだか全く瞼が開かない。どうしちゃったんだ。


「…ちょっと、わたしの声は聞こえる?」


 口はかろうじて開けることができたが、話すことが困難だった。


「もうだめだわ。このままじゃ死んじゃう!」


 お姉さんの声は遠のいていき、このまま死ぬんだという覚悟をもつことにした。

 ちょっと待て、親父は? どうも近くには誰もいないみたいだけれど、ドアの向こうには親父が倒れているはずだ。いったい、どうなってんだ。


「先生、この人です。このままじゃ、このままじゃ…!」

詩子うたこ、落ち着きなさい。とりあえず運ぶから手伝ってくれ」


 持ち上げられて、俺の体は空中で揺れていた。誰かに背負われているようだ。そのまま意識はまた途切れてしまい、次に目覚めたときには布団の中だった。


「あ、やっと起きましたね。あの、わたしのこと見えますか?」


 顔を横に傾けると、割烹着姿の女性が座っていた。初めは見間違えかと思ったが、どうやら現実のようで。今の時代に割烹着なんて着る人がいるんだな。動きにくそうなので、敵から逃げ遅れそうで怖い。


「はい…見えます。ここはどこですか?」

「旅館です。とは言っても、お客様はいませんよ」

「旅館……」


 天井や壁を見る限り、かなり状態が良い。いまだにここまで保存状態のいい建物があるとは、想像すらしていなかった。


「もし起き上がれそうなら、お茶でも飲んでください。まだ温かいはずです」

「……すみません。いただきます」


 布団に張り付いたような感覚に負けないよう、俺は僅かに残る力を振り絞って体を起こした。


「失礼するぞ。おお、謎の少女。やっと起きたか」

「はい。まだ辛そうです」


 二人が見ているのは、俺の顔だった。なんだ、俺の後ろに誰かいるのか? それにしては全然気配を感じないのだが。試しに後ろを振り向いてみたが、誰もそこにはいなかった。


「あなた、名前はなんていうの?」


 さすがに違和感があった。どうやら、この二人には俺が女の子に見えているようだ。どこをどう見たら……。疑問を抱きながら下を見ると、髪の毛が落ちてきた。なんの嫌がらせだと思ったが、それを引っ張ると頭のてっぺんに痛みが走った。


「いてて」

「ちょっと、なにしてるのよ。大丈夫だから、落ち着きなさい。ね?」


 お姉さんに抱きしめられた俺は、自分の胸元に妙なものがくっついていることに気がついた。



 二つの変化が起きていた。

 一つ目は、時間がおかしいということ。どういうわけか、俺がいたところから三十年ほど過去に遡っている。裏付けは難しいけれど、二人の言動やお姉さんと一緒に暮らしている怪しげな男がクソ親父と同じ名前を名乗ったこと、それらを総合的に考えた。

 二つ目は、俺が女になっちまってるということ。女の裸なんてものは見る機会がなかったのだけれど、まさか自分の体で見ることになるとは。


 身寄りがないと伝えると、親父と詩子お姉さんは快く受け入れてくれた。

 この時代にいてはいけない存在であるため、容易に他人を頼るべきではないことは分かっていたけれど、許してほしい。



 それから数週間が経って、俺は昔の親父へ自分の身に起きていることを話すことにした。きっと信じてもらえないだろう。それでも、伝えておこう。この先に待ちうけている、不都合な真実を。


「私の息子?」

「そうです。信じられないと思いますけど」

「…女装趣味があったのかい?」

「違います。見た目だけは本物ですから」

「でもなあ、そう言われても」


 そりゃそうだ。こんな中途半端な会話で信じてもらえるほうがおかしい。

 ふとそこで、俺はある言葉を思い出した。


「そういえば、伝言を預かりました。『お前の腕は最高だ、自分の腕を信じてくれ』って」

「そうか……そこまで言われると信憑性が高いな」

「どういうことですか」

「実は、まだ誰にも言っていないんだが、時空制御装置を作っている最中なんだ」

「え?」

「あと、あなたが女体化しているのも心当たりがある。ちょうど昨日、液体タイプの薬を作ったんだ」

「……確かに、俺が飲まされたのは変な味の液体でした」


 偶然ではない、必然の一致。確かにこの人は、俺の親父だ。


「私からも、いいかな」

「はい」

「おそらく、詩子のお腹の中にいるのはあなただ」

「…冗談ですよね?」

「いや、年齢も名前も相違がない。詩子が名付けをかなり前からしていたからな」

「……それなら、もしかして俺の本当の親父って」


 そう言うと、親父は横に首を静かに振った。


「違うよ。お客とのあいだにできた子なんだ。男は逃げた」

「そう……だったのか」


 親父は詩子お姉さんがおそらく近い将来亡くなることを予感していた。すでに彼女の体は病に侵されており、いつそうなってもおかしくない状況なのだ。

 そして、俺はそれを見届けるようにこの時代に送られてきた。


「装置を完成させるには、人工知能であるバージョン管理システムを内部で動作させる必要がある」

「つまり?」

「女でないと、そのシステムへの書き込みができないんだ」

「詩子お姉さんにお願いするのか?」

「いや、もう彼女は体がもたんよ」


 そう言って、俺に向かって指をさしてきた。


「ちょっと待て。俺は男だぞ」

「大丈夫だ。管理システムが女だと誤認識すれば問題ない」


 あまりにずさんなシステムに、俺はなにも言えなかった。


「それとな、あらかじめ伝えておく」

「はい」

「おそらく、お前は長生きできない」

「どういう意味だよ。脅しですか?」

「同じ時間平面図への二重存在は、本来できないんだ」

「……そういうことか」


 それから一週間後、詩子お姉さんは俺を産んだ後に亡くなった。

 最後に聞いた言葉は『この子をよろしくね。ありがとう』だった。誰より辛いのは彼女なのだろう。しかし、俺は泣いてしまった。



 詩子お姉さんの気持ちを受け継ぐ。守るものが自分自身の過去だとは、想像できるはずがない。

 親父の裏の力を使い、俺は詩子お姉さんとして生きることになった。このくらい序の口らしい。


「自分を抱っこするの、なんか変な気分だ。何度もしているのに、どうもしっくりこない」

「きっと子育てはそういうものだろう」


 バージョン管理システムへの書き込みをするため、俺は一日数時間程度ヘッドセットのようなものを装着する日々を送っていた。初めのうちはなんの問題もなかったが、二重存在の罪は思っていた以上に大きかった。

 書き込み作業が終わった時期、俺の体はまともに過ごせるものではなくなっていた。信じられないが、ベッドに寝たきり状態だった。


「明日からは晴れるそうだ。体調が良かったら、うたも一緒に公園行こう」


 雨が連日降り続けていて、ようやく明日は晴れる予報だった。

 この頃には紛らわしいという理由で、俺のことを親父は詩と呼ぶようになっていた。子どもの俺もすくすく成長し、もうすぐ小学校に入学する予定だった。


「小学校に入るまでは見届けたかったんだけどな」

「大丈夫だ。きっと」

「そうだね」


 根拠のない言葉。それでも、俺は親父の優しさに触れていた。変人なところばかりみてきたけれど、こんな一面もあったんだ。


「先生」

「うん?」

「ひなたのこと、よろしくね」


 時空制御装置として、俺の意識は残り続ける。それがいいのか悪いのかは分からないけれど、ほんの僅かのあいだだけでも俺が母さんに会えるなら、それでいいか。

 目を閉じると、途端に周りの音は聞こえなくなってしまった。どうやら、意識と肉体の座標が完全に消えてしまったみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の雨 六条菜々子 @minamocya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説