一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

げこげこ天秤

一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

 B



 学部時代のスペイン語の成績だ。

 可もなく不可もなく、とはいえ優秀でもない。


 控えめに言って普通だ。




 しかし、それで良かったのかもしれない。別に、大学でスペイン語文学をやろうとは思ってなかったし、ましてや語学を極めてやろうという野望があったわけでもない。そもそも、第二外国語にがいをスペイン語に選んだのは妥協の産物だった。



「語学は落とすなよ」



 それが先輩の口癖だった。

 語学が必修なのは1・2年時。


 再履修さいりは何かと面倒くさい。



「スペイン語は簡単だから」



 これは噂での耳にした言葉。それで、選んだ人も多いかもしれない。そして、後から振り返れば、僕の場合もこの部類だった。




 ***




 そんなノリでのスペイン語履修だったが、割と楽しかった。授業中に先生が語るスペインや中南米の話は面白くて――地球の裏側に対してここまで興味を持ったのはこの時が初めてだった。実は気になっていた『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』を読んだのもこの時期だ。


 ただ、興味の大きさに反して、語学のセンスは無かった。


 スペイン語は簡単? そんなことはない。特に、暗記が苦手な僕にとっては、回を追うごとに混乱していった。点過去、線過去なんて過去形が2つあるのは序の口。過去未来形という形容矛盾を抱えた時制が出て来た時は、もうどうしようかと思った。


 ができたから、口が楽しくなる言語だったけれど、僕にできたのはそれくらいで、テストの点はそこまで良くなかった。正直、出席点に救われたんだと思う。朝に弱い僕は、「なんで必修なのに1限にあるんだよ!!」と吐きそうになりながら行った日もあったけれど、その甲斐はあった。





 そうして2年間の月日が過ぎた。


 別れの時だ。




 

 3年生にもなれば、所属する研究会ゼミも決まって、研究の方向性も絞られていった。語学の話題もなくなっていった。


 そして、言ってしまえば適当に選んだスペイン語だ。語学の選択に、計画性もなければ、活用するビジョンもない。当然、研究対象にの入り込む余地なんて無かった。



 もう使うことは無いだろう。だから、辞書、教科書、参考書、単語帳、ノート……必要だったものは全部、本棚の奥に押し込めた。



 ――さらば、スペイン語。



「2年間、楽しかったよ。次は僕なんかじゃなくて、もっといい人に出会ってくれ」

 


 さよならアディオス








 すると、気さくなスペイン語はこう答えた。



 ――また会う時までアスタ・ラ・ビスタ

 

 



 ***




やぁッオラ!!」



 ある日、はいきなりやって来た。



「聞いたよ? 大学院に進学するんだってね!!」



 そいつには、目も、口も、耳も、顔もない。身体もない。俺が作り出した架空の存在――スペイン語くん。どこから僕の進路を聞きつけたのか、「へっへー」と別れた日と変わらない剽軽な調子で現れた。



「でも、どうするんだい? 試験には第二外国語にがいがある。君は何語で試験を受けるつもりなんだい?」


「悪いな。お前を使うつもりはない」


 

 ヘラヘラするそいつに僕はピシャリと言い返す。


 当然だ。だって、僕の研究はインド研究!! スペイン語なんて使わない!! なんで、使わないような言語をわざわざ勉強し直さなければいけない!? 笑止。やるわけがない!!



「お前の事なんて忘れたよ。いいか? 僕はヒンディー語で――」


「あ、そうそう、ヒン語は試験科目に無いってさ」 


「は、はぁ?」


「採点できる人がいないんだろうね。それに、君のヒン語は独学だ。そんなもの、通用するわけないだろう?」


「じゃ、じゃあロシア語だ!! 知ってるか? ロシアとインドは伝統的な友好国!! 1971年には準・同盟関係になったとみなさることもある。それに、ロシア語が使えるようになれば今後の研究の幅も――」


「今から独学でやるつもりかい? ロシア語は採点が辛いって専らの噂だよ。ロシア研究をしてる先輩でさえギリギリだって言ってた」



 次々と退路が断たれていく。


 試験までの時間ももうない。


 でも……。


 いや……。


 だって……。




 学部の成績は「B」だぞ?


 当時としては真剣だったけど、いまから思えば適当にやってた語学。そんな語学で勝負するのか? そんなこと、できるわけ――



「やるしかないんだよ」


「――ッ!?」



 僕に絡みつくスペイン語くん。

 

 そして、耳元でフフフと囁くように笑った。



ずっと君と一緒にいたいなMe quiero quedar contigo para siempre




 ***




 合格。


 

 その二文字が目に入った時は、嬉しさと同時に拍子抜けだった。もちろん、やることはやったし、全力を出した。だがそれでも、「いいのかこれで?」という感覚。だが、やるせなさとも違う。


 言うなれば、漫画で見る「やったのか?」状態。


 だが……やったのだ。


 敵は完全に沈黙した。



「ほら言っただろう?」



 後ろから肩に手を回すスペイン語くん。奴は僕の顔を見ては、ニヤニヤしていた。本当に、ふざけた奴だ。僕は「放せ!!」と振り払う。


 

 一度目は悲劇。

 二度目は喜劇。 



 だが、今度こそ。

 おさらばだ!!

 


「じゃぁなッ!! 二度とやるかよ!!」


「二度あることは……」


「ねぇよ!! ――へっへーだ!! 辞書に、教科書、参考書、単語帳、ノート……ぜーぇんぶ、や、焼いちゃうもんねぇー、だッ!!」








 すると、スペイン語くんはあの日のように笑う。



 ――また会おうアスタ・ラ・ビスタ





「ざけんなーっ!! 一昨日おとといきやがれッ!!」






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一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。 げこげこ天秤 @libra496

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