虹の架け橋
広之新
第1話
彼が檻の中の私をじっと見つめていた。私はその視線に気づき、初めて彼を見た。優しそうな眼をして微笑を浮かべていた。私はなぜか、彼に運命的な絆を感じた。
「こっちにおいで。」
彼は手招きした。私はそれに導かれて彼の前に行った。すると彼は檻の外から、
「いい子だ。いい子だ。」
と頭をなでてくれた。私はきょとんとしながらもうれしかった。それが私と彼の出会いだった。
彼は私を家に連れて帰った。そこは私にとって初めての場所で、どうしたらいいかわからなかった。立ち上がって辺りを見渡していた。そんなそわそわする私に彼は、
「心配しなくてもいいよ。今日からここが家だよ。」
と言ってくれた。確かに部屋が用意してある。それも前のところより立派な・・・。
(本当にここにいてもいいの?)
私は彼にそう尋ねたかった。しかしその前に彼は私を抱きしめた。
「かわいいね。ずっといっしょだよ。」
と言ってくれた。その言葉に私は少々、面食らったが、心の中ではうれしかった。そして恥ずかしがりながらも彼の胸に顔を埋めた。
「よしよし。いい子だ。」
彼はしばらく頭をなでてくれていた。私はうっとりして甘えていた。
「そういえばあれから何も食べていなかったね。お腹すいてるんだろう。ちょっと待っててね。」
彼はそう言って私を放すと、そばの荷物をガサガサした。そしてすぐに私にお皿を出した。そこには食事が載っていた。
「さあ、どうぞ。」
確かに私は腹ペコだった。彼が見ているのにもかかわらず、ものすごい勢いで食事を平らげ始めた。我ながらはしたないと思ったが、彼は嫌な顔もせず、優しく見守ってくれた。
「ふうっ!」
私はお腹いっぱいになり、食べるのをやめてそこに転がった。
「お腹いっぱいになったかい。」
彼はそう聞きながらまた私をやさしくなでた。私はふんふんとうなずいた。落ち着いてみると彼の家には不思議なものがいっぱいあった。今まで見たことがない、興味が惹かれるものばかりだった。
(あれは? これは?)
私はそばに寄ってどんなものかを試そうとするが、彼は、
「これはだめ。」
と取り上げてしまった。でも代わりにおもちゃで遊んでくれる。私は夢中でそこいらを走り回っていた。
彼といると楽しかった。でもいつも一緒にいられるわけではなかった。彼は朝と夜のひと時しかそこにいなかった。彼はいなくなる時には、必ず私を檻の部屋に入れる。私がこの家から逃げようと思っているのだろうか・・・
(どこにもいかない。ずっとここにいる。)
私はそう訴えかけるのだが、やはりそのままにしてくれない。だから彼がまた姿を見せた時は、
(出せ! 出せ!)
と檻をガンガンやるのだ。すると彼は慌てて檻を開けてくれる。そこで私は外に飛び出し、あちこち走り回る。閉じ込められた分だけ好き放題にするのだ。
でもたまに一日中、そばにいてくれることがあった。その時は十分に甘えた。すると彼もうれしそうにそれに答えてくれるのだ。
私はどちらかと言うと夜型の生活をしていた。昼間より夜の方が、目が冴えるのだ。彼がずっといる時は何とか起きていようと思うのだが、自分でも気づかないうちにコテンと横になって寝ていた。でも彼は起こそうともしなかった。私は目を開けるまで見守ってくれていた。
真夜中は彼がいなくなる。暗い静まり返った部屋に一人残されるのだ。寝ることもできず起きていると不安な気持ちになってくる。どうしようもなくなったとき。私は騒ぎ立てる。足をドンドンと響かせるのだ。すると彼が飛んでくる。
「どうした?」
彼は眠い目をこすりながら、私を檻の部屋から出して抱きしめる。すると私はほっと安心して心が落ち着いてくるのだ。そこで彼は私を部屋に戻し、
「おやすみ。」
と言ってまた出て行くのだ。それが私には不満だった。朝まで一緒にいてくれたらいいのに・・・。
この家での彼との生活は単調だったが、つまらなくなかった。ずっと大好きな彼のそばにいて暮らせるのだから・・・。でもそれは永遠に続くわけではなかった。
ある時、私はあまり走れなくなった。いつもなら息も切れずにそこいらを走れるのに・・・それに目もかすんできていた。
(何かが違う・・・)
私は体に違和感を覚え始めていた。そういえば毛が抜けてきて、あれほどふっくらしていたのに寂しい状態になっている。これは・・・
「もう年だもんな。」
彼がふとそう言った。
(年? 老けたってこと!)
彼は変わったように見えない。私だけ年老いたということか・・・。私は受け入れ難がった。しかし体は動けなくなり、節々が痛くなってきた。目のかすみが強くなりよく見えない。食べ物も堅くて食べにくくなり、彼が柔らかくしてくれた。
(私は一体どうなるの?)
そのうち腰も曲がり、立つことも歩くこともできなくなった。ずっと寝たきりだった。ただ寝床の上でもがいていた。私は不安でいっぱいだった。これからどうなってしまうのか・・・。
でも彼は嫌がらずに私の世話をしてくれた。柔らかくした食事を口まで運んで食べさせてくれた。もちろん水も手から飲ましてくれた。そのうち普通の食事も食べたくなくなると、彼は果物やお菓子を少しずつ口に持ってくれてくれた。
(ふーん! いいにおい・・・)
食べられなくなった私はにおいだけで満足した。すると彼は私を抱きしめ、頭をなでてくれた。
体は日々、衰弱しているが、その分、ずっと彼がそばにいてくれた。今まで以上に・・・。それが私はうれしかった。彼との距離がすごく縮まった気がした。でも・・・。
私はうすうす感じていた。彼との別れが近いことを。もうそろそろ覚悟しなければならない・・・
とうとうその日が来てしまった。もう水すら飲むことができず、体が細かく震え出した。呼吸も荒くなっていた。彼は心配そうにのぞき込んでいた。
(はあ、はあ、苦しい・・・)
私はあえいでいた。するとその時、かすむ目の端にキラキラしたものを見た。その形はおぼろげだったが、次第にはっきりしてきた。七色に神々しく光り輝くもの、それは虹色の架け橋だった。
私にははっきりわかっていた。それを渡って天国に行くのだと・・・。でも私はここを離れて行くのが怖くて不安だった。
やがて私は最期の時を迎えようとしてきた。もう息をするのもかなり苦しい。
「ヒック。ヒック。ヒック。」
顎が上がってきた。彼は私の手をつかんで、
「ウサコ! ウサコ!」
と何度も呼んでいた。でももう私は答えることはできない。心の中から彼に伝えるしかなかった。
(もうお別れの時が来ているの。でも怖い・・・。だからこのままそばにいて。私を見送って・・・)
彼はまだ私の手を握ってくれていた。すると間もなく私の体から魂が抜け、あの虹の架け橋を渡り始めていた。そこから下を見ると、彼と私が見えた。ぐったりして目を閉じて息をしなくなった私を、彼は抱きしめてくれていた。
「ウサコ・・・」
彼の涙が床にこぼれていた。
(もう泣かないで。私は大丈夫よ。ちゃんと天国に行くわ。別れるのはつらいけど・・・。今までありがとう。さようなら・・・)
私はキラキラ光る虹の架け橋を渡っていった。
虹の架け橋 広之新 @hironosin
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