あの日、君とこの場所で――
れーずん
第一章 分かり合うために
一話 太陽のような女の子
「おい
声のする方に視線を向けると、そこには担任の
「はい」
「定期テストの追試がまだ残ってたよな?405号室開けておいたから、そこで追試をしてくれ。用紙は――――ほら」
そう言って、白井先生はテストの問題用紙と答案用紙を俺に渡してきた。
「……すみません。明日に持ち越しじゃダメですか?」
俺は用紙を受け取らず、探り探りに言う。
特に明日に持ち越しする理由はなかった。
「ダメだ。お前、別に明日に持ち越ししなきゃいけないような用事なんてないだろ」
「うっ……」
「いいからさっさと受け取れ」
白井先生にその話題を出されてしまったら勝ち目がないので、俺は素直に用紙を受け取る。
「全く……ただでさえもうテストから一週間経つっていうのに、追試終わってないのお前と
「すみません……っていうか、斎藤さんもまだ追試終わってないんですか?」
斎藤さんの名前が白井先生の口から出たため、俺は思わず聞き返してしまった。
斎藤さんと言えば、「完璧美少女」の異名を持つ女子生徒だ。
その圧倒的な異名から、異性であれど陰キャな俺でも名前と評判だけは知っていた。
性格もよく、運動神経も抜群、頭も人並み以上によくて、可愛らしい容姿がおまけに来てしまうくらいに全てを兼ね備えている少女だという。
追試があることは知っていたが、あの人なら追試なんてもうとっくのあいだに終わっているとばかり思っていた。
「まぁな。というか人の話はいいから、お前はさっさと追試をしてこい。俺は早く成績をつけて早く帰りたいんだよ」
いい感じに話題をすり替えられた気がする。
白井先生なら、俺が何故わざと斎藤さんの話題を出したかも分かっているはずだ。
先生と俺はそこそこ長い付き合いだからな。
にも関わらず話題を逸らしたということは、触れてはいけない話題なのだろう。
俺は気にすることをやめ、先生の反応に口角を上げた。
「昨日も、他の生徒の成績が――とかって言って、結局帰って来るの遅くなってましたもんね」
「それが今日はお前の成績のせいで遅くなりそうなんだ。晩飯が遅くなって欲しくなかったら、俺を早く帰らせろ」
年齢はすでに四十を超えているのに、まるで子供のように白井先生は文句を言う。
精神年齢は、もしかしたら俺のほうが上かもしれない。
まぁ、そんな子供っぽさも先生のいいところだ。
苦笑しながら、俺は教室を出る準備を始めた。
「分かりました。僕も、夜ご飯が遅くなるのは嫌なので」
「頼むぞ。今日の晩飯の時間は、お前にかかってるんだからな。――ったく、隆人がちゃんと赤点回避しないから、俺までとばっちり受けることになったじゃねぇか……」
白井先生はそう吐き捨てると、何やらぶつぶつつぶやきながら教室を後にした。
「んな大袈裟な……」
準備をしながら、俺も思わずつぶやいてしまう。
まぁ、早くは帰りたかったが、少し時間を置いてから学校を出たほうが楽か。
人が沢山いるところは嫌いだからな。
追試でいい具合に時間を潰して、
俺は教室を出る準備を終えると、追試をするために405号室に向かうのだった。
◆
405号室の引き戸を引くと、教室の真ん中の席に座っていた一人の「完璧美少女」と目があった。
斎藤
俺は彼女の上品な
端正に整えられたブラウンのロングヘアは、窓から射し込んでくる太陽の光を反射して淡く光っている。
大きな二重の瞳も髪の毛と同じ色であるブラウンがさりげなく入っており、まるでアニメに出てくるかのようなつぶらな瞳をしていた。
小さな鼻と薄い唇も可愛らしくて、とにかく顔立ちがいい。
雪のような白い肌も魅力的だったが、何故かほんのり赤く色付いていた。
今は夏真っ盛り。
今日も気温が30度と高いし、きっと暑いのだろう。
その容姿に圧倒されていたが、彼女の動きで俺は我に返る。
どうやらガン見をしていたらしい。
彼女は苦笑を浮かべながらこちらに会釈してきた。
同級生とはいえ、俺は彼女との関わりは全くと言っていいほどなかった。
そのため、彼女の顔をよく見るのは初めてだったのだ。
顔が熱を帯びていくのを感じながら、俺は軽く会釈をして彼女から視線を外した。
「貴方も追試?」
ハープのような、優しく美しい声が教室を心地よく揺らす。
ついに話しかけられてしまった。
無視するわけにもいかないので、俺は再び視線を斎藤さんに戻す。
斎藤さんは先程とは違う、人懐っこい笑みを浮かべていた。
それがなんだかまた照れ臭くなってしまったが、俺は視線を逸らそうとして踏みとどまっていた。
「あぁ、そうだよ」
俺は素っ気なく返し、斎藤さんから離れた窓際の席に座った。
「何でそんな端っこに行くの? もうちょっとこっち来なよ。ほら、私の隣とか」
斎藤さんはそう言って、自分の左隣の席を指差す。
「あぁ、ありがとう。でもほら、隣の席に座ったらカンニングとか疑わるかもしれないし」
「そう? 怪しい動きをしない限りは大丈夫だと思うけど……」
「俺が隣にいることで、斎藤さんに迷惑がかかったら嫌だから」
「別に、貴方がいても迷惑にはならないよ?」
俺はそれっぽい理由をつけて斎藤さんの誘いを断ろうとしたのだが、彼女は何故か食い下がってきた。
斎藤さんはそんなに俺を隣に座らせたいのだろうか?
だとすれば、それはなんでなんだ?
「――っていうか、私の名前知ってたんだね」
「あっ……えっ?」
斎藤さんの声で思考の渦から抜け出した俺は、唐突に変わった話題について行けていなかった。
「ほら、貴方さっき言ったでしょ? 私のことを『斎藤さん』って」
「あぁ、それは……有名だから」
「『完璧美少女』でしょ? あれ私嫌なんだよね。周りがうるさくてしょうがない。別に私、人気者になりたいわけでもないし」
「そうなんだ……」
そうして俺は、斎藤さんの会話のペースに完全に呑み込まれてしまった。
今も彼女は『完璧美少女』と評されることについての愚痴を俺に話してくる。
しかし愚痴を言う割には、声がさっきよりも明るくなっていた気がした。
対して俺は、そんな彼女の愚痴に何かを言える訳でもなく、ただ相槌を打つしかなかった。
この状況をどうしようかと頭を悩ませていると、引き戸が引かれる音と同時に斎藤さんが喋るのをやめる。
俺は音のした方に視線を向けると、そこには白井先生がいた。
「なんか二人で話してたのか?」
白井先生は、斎藤さんの方に身体を向けている俺に視線を飛ばしてきた。
特に重要な話をしているわけでもなかったので、俺は「いえ、特に何も」と適当に誤魔化しておく。
その瞬間、何か違和感を感じたので、俺は違和感のした方へ視線を移すと、そこには頬を膨らませている斎藤さんの姿があった。
「そうか。だったらちゃんと前を向け。追試を始めるぞ」
「はっ、はい」
白井先生の声に、俺は
テストの用紙を配られる中で、俺の思考はずっとぐるぐるとしていた。
その原因はもちろん、斎藤さんが頬を膨らませていたからだった。
なんというか、すごく可愛かった――――じゃなくて!
なんだ?
なんで斎藤さんはあんなに拗ねていたんだ?
俺、何か斎藤さんに悪いことでもしただろうか?
「よし。それじゃあ今から50分間、始め!」
白井先生は腕時計で時間を確認すると、高々と言った。
結局頭の中の疑問に結論付けられないまま追試が始まってしまった。
こんな状況じゃ追試どころじゃねぇだろ!
俺は心の中でそう愚痴をこぼすが、この疑問に答えを出せないことは薄々気づいていたので、俺は素直に追試に専念するのだった……。
◆
3時半にSHRが終わってから実に2時間。
俺はようやく追試を終え、帰宅準備をしていた。
俺は追試がてっきり一教科だけだと思っていたが、何ともう一つあったという……
そのせいでここまで時間が経ってしまった。
出来はというと、一言で言って最悪だった。
斎藤さんの頬を膨らませた姿が脳裏にこびりつき、色んな意味で集中することが出来なかった。
このままだと、本気で単位を落としてしまうかもしれない。
しかも、俺の頭の中にある疑問は未だ答えを出せていない。
――せっかくだし聞いて見る、か。
人とはなるべく関わりたくないが、それでも俺は頭の中の疑問に結論付けたかった。
俺は帰宅準備を終わらせると、斎藤さんの近くに歩み寄った。
「――あの、斎藤さん」
「何?」
彼女も帰宅準備をしていたのだろう。
机に落としていた視線を俺に向け、首を傾げた。
心臓がバクバクして鳴り止まない。
彼女の仕草が可愛いのも勿論あるのだろうが、ここ最近自分から話しかけていなかったのもあるのだろう。
自分から話しかけたのは一年振りだろうか。
……あれから一年経つのか。
別のことを考えてある程度落ち着いた俺は、彼女に尋ねる。
「追試が始まる前、白井先生がテストの用紙を配り始める前に、斎藤さん頬を膨らましていたよね?」
「えっ!? 嘘! 見られて……!?」
俺の声を耳にした斎藤さんは、素っ頓狂な声を上げながら顔を真っ赤に染め上げた。
一瞬、
「俺、なんか悪いことしたかな? もししていたのだとしてたら謝る。ごめん」
「いやっ! 別に、そんな……」
斎藤さんの声はどんどん弱くなっていく。
――いや可愛いかよ。
頬を真っ赤に染め上げながらしどろもどろする斎藤さんを目の当たりにして、俺は思わず心の中でそうツッコんでしまった。
「……私は、その……」
視線を落としながら、チラチラと俺のことを上目遣いに見てくる斎藤さんに俺の心臓が大きく一回跳ねた。
……彼女の反応は心臓に悪い。
しかし本題の、どうして頬を膨らませていたかについてはまだ分かっていないため、俺は彼女が口を開くのを待った。
何か意を決したのか、決意の色を瞳に浮かべた斎藤さんは、勢いよく頭を上げ、俺を見つめる。
その姿に圧倒された俺は、思わず一歩後ずさってしまった。
「貴方と話していたことを、出来れば先生に言ってほしかったから……」
「――っ!? そ、それはなんで?」
失敗した。
考える前に、口が動いてしまった。
しかし、もう聞いてしまったことは今の俺にはどうすることもできず、俺は口を閉じて斎藤さんの反応を窺う。
「言い方に語弊があった! その……貴方と話せたことがとても嬉しかったから。貴方は違うのか思うと、少し寂しかったから」
「べ、別に! 俺も斎藤さんと話せたことは嬉しかった。ただそれ以上に、白井先生にそれを勘付かれたり知られたりすることが恥ずかしくて……だから白井先生に隠したんだ。」
「そ、そうだったんだ……」
俺が斎藤さんの考えを訂正すると、斎藤さんは安心したように口元を緩めた。
――どこまで可愛いんだ? この人は。
少なくとも、俺はこの人以上に可愛い人を見たことがなかった。
……でも、それだけで彼女を好きになる理由にはならない。
何か嫌な予感を感じた俺の心は、暗く沈んでしまった。
「――あっ、あの!」
「それじゃあ、俺はもう帰るね。聞きたいことも聞けたし。帰り道、気をつけなよ!」
「あっ……うん」
俺は斎藤さんの言葉を遮って言うと、彼女の残念そうな反応にいたたまれなくなって、逃げるように教室を後にした。
ごめん、斉藤さん――。
◆
俺は生徒のいない、しんとしきった廊下を、靴音を立てながら歩いていく。
その中で、俺の頭には斎藤さんの残念そうな顔がこびりついて離れなかった。
斎藤さんは太陽のような女の子だ。
笑顔が眩しくて、いつもみんなを明るく照らす存在だった。
俺だけが独り占めしていいような人じゃない。
それに……独り占めしようとも思わない。
罪悪感が心を食いちぎるが、彼女のためにも俺のためにも、彼女の声は聞かないほうがいい。
今日は疲れた。
早く家に帰って、エアコンをつけて、ベッドで寝よう。
俺は沈む気持ちから目を逸らすようにいろんなことを考え、階段を降りていく。
……その時だった。
「付き合ってください!」
夕日が差し込む薄暗い階段で、一つの声が響き渡った。
後ろから浴びせられるつい先程聞いた声に、俺の身体は固まってしまうのだった。
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