学園旅行〜過去からの贈り物〜



「え、えっと……先生……?」

「黙って前を向いていなさい。動かれると──色々……困る」


 色気たっぷりの声で苦しげに言われた私は「わ、わかりました……!!」とまた前だけを見つめた。

 あれ? そういえば少しだけ明るい?

 まだ夜で、しかも洞窟の中なのに、先生の顔が見えるほどには薄ら明るい。


「……魔石?」

 よく見れば足元に小さな光る魔石が置いてあることに気づく。

「あぁ。光の魔石だ。何かあった時のために持っていた」

「さすが先生……!! 夜明けになったら私が引っ張って泳ぐので、それまでここで体力を温存していましょう」

「……あぁ」


 先生といられなかった分、少しぐらいこの状況を楽しんでもいいわよね?

「……」

「……」

 とはいえ──会話!!

 何を話していいのかわからない!!

 前はすらすら言葉が出てきたのに、先生を諦めようとする思いが言葉を失くさせるのか、それともこの美味しい状況のせいなのか。


 考えていると、ずん、と先生の重みが背中に重なった。

「……これを」

 そう言って後ろから差し出されたのは、一冊の小さな黒い手帳。


「これ……もしかして海に落ちていった……?」

「あぁ。どうにか失わずに済んだ。これだけは……どうしても、もう無くしたくはなかった。防水魔法を施してあるから、中も無事だ。読んでみなさい」


 え?

 いいの!?

 先生の秘密の手帳……読んでいいの!?

 推しの私物を覗いちゃって良いの──!?


 ベシンッ!! ──痛い。

「良いから早く読め」

「はい」

 えーっと……。

 ……この手帳、なんだか少し傷みもあるし、年代物なのかな?

 パラパラとめくってみる。


 スケジュール?

 うわ、なにこれ。

 授業に剣の稽古に自主修行に……1日の予定がぎっしり詰まってる!!

 ん? 授業? ってことはこれ──先生の学生時代の!?

 この頃から社畜気味だったんだ……。


「先生……社畜は性分だったんですね」

「君に言われたくはない。それに、そこじゃない。最後の方だ。スケジュールではないものが書いてある」

「スケジュールでないもの?」


 あ、ここから何かさっきまでと違う。

 日記?


『聖域に行った。

 行かねばならない気がした。

 空から女が落ちてきて、私と彼女の唇が重なった。

 忘れるな。彼女のことを。

 これを見たら必ず思い出せ。

 誰に消されたとしても、お前の記憶は必ず取り戻せ、シリル・クロスフォード。

 突然空から降ってきた少女のことを。

 彼女の名は──ヒメ・カンザキ──』



「!! これ──!!」

 シリル君の……私との記憶……!?


「そのまま読み進めてくれ」

「は、はい」

 私は動揺しながらも1文字1文字、その走り書きのような文を大切に読み進めていく。

 まだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、書いてある内容がひどく懐かしく感じて、目頭が熱くなる。


 それは彼との、あの1週間の記憶。

 たった1週間の。

 だけどとても濃い1週間の、大切な思い出。



『ヒメと最後に想いが通じ合ってよかった。

 重ねた唇の感触が、抱きしめた彼女の温もりが、今も残っている。

 私は過去も現在も、彼女を愛した。

 なら未来もきっと、私は彼女を愛するだろう。

 記憶がなくとも必ず。

 その時は私の全てを持って、彼女を大切にする。

 きっと待っていてくれる。

 私も、きっと待っている。

 再び巡り会えるのを。

 愛している。ヒメ。私の最愛の人』


 最後のページはまるでラブレターのようで……、私の瞳から大きな雫がぽたりと流れて落ちた。


 記憶を消される前に書いてくれたんだ。

 忘れても取り戻せるように。

「シリル君……」

 私はその思いの詰まった手帳をぎゅっと胸に抱く。


「……これを、学園旅行の前に風の精が運んできた。聖域の湖の中からな」

「聖域……? じゃぁ、私と別れてすぐに?」

「あぁ。その場でこれを書き綴り、そこでフォース学園長に襲われたのだろう。あの年の夏、目が覚めると医務室にいたことがある。そばにはエリーゼがいてフォース学園長が倒れた私を運んできたのだと言っていた。だが倒れる前のことを、私は全く覚えていなかった。今までそのことも大して気に留めていなかったが、その時だろう。君と一緒にいたのは……」


 私と別れた後……。

 そう考えれば、この走り書きのような字の理由もわかる。

 いつ消されるか分からない中、必死で書き綴ってくれたんだ。

 思い出す、一筋の希望を残すために。

 彼からの──贈り物。


「……先生は……覚えて、ないんですよね?」」

 私がたずねると、苦しげな声で「……すまない」と背後から返ってきて、少しだけ肩を落とす。

 仕方ないよね。

 大賢者でもあるフォース学園長の魔法だもの。

 そう簡単に解けるわけない。


「大丈夫です。もともと、フォース学園長が何をするつもりなのかはわかっていましたし……。覚悟はありましたから……」


 記憶は消したけれど、お願いは聞いてくれたんだよね。

 【シリル君が努力した時間に身につけた魔法制御の知識や、掴んだコツについての記憶や感覚は消さないでほしい】っていう、私のお願い。

 それだけでも感謝だわ。


「これを読んで、君にどう接して良いのかがわからなくなった。記憶のない間に……その……こんなことになっているし……」


 そう言って先生は私を抱きしめていた右腕を離すと、自身の顔半分を覆った。

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