生じた疑惑

 夏の熱い日差しが照りつける騎士団訓練場。


「はぁ……生き返ります」


 レオンティウス様の部隊である一番隊の騎士達に混ざって訓練に参加していたこの日。


 訓練が終わって彼らが号令をかけられ集まっている中、私はというと騎士団の更衣室で急いで訓練服から黒のワンピースに着替え、訓練場でタライいっぱいに張った水に足を浸していた。


 夏の陽射しの下のタライってイイ。

 これぞ日本の夏。

 いや、ここ日本じゃないけど。

 あー、これで風鈴でもあったら最高なのになぁ。


「あんたねぇ、一応女子なんだから、そんな足を出しちゃダメでしょ。ここには飢えた狼どもしかいないのよ? もっと危機感持ちなさい」


 解散の号令をかけ、ぶつぶつと言いながら近づいてきたレオンティウス様は、白いマントを脱ぎ小脇に抱え、カチッとした騎士服と中のシャツを全開に開き、引き締まった身体を露出させ色気をダダ漏れにさせている。


 美しすぎて目に毒だ。


「さすが歩く18禁……」

「誰が18禁よ!! もうっ、失礼ねぇ!! 私だってこう暑いと脱ぎたくなるわよ。あ、私が綺麗だからって、襲っちゃダメよ?」

「襲いませんよっ!! 私が襲いたいと思うのは、クロスフォード先生ただ一人ですからっ!!」



 大声で先生を襲いたい発言をした私に、騎士達の視線が集中する。

 そして所々から聞こえる。


「さすが【勇者】だ」

「【変態勇者】すげぇ」


 ……解せぬ。



 その時だった。


「クリンテッド副騎士団長!!!」

 一人の騎士が慌てて訓練場に駆け込んでくる。


「どうしたの?慌てて」


「5番隊が王都見回り中に、王都外れの森にて魔物の群れに遭遇。なんとか討伐はできたものの、重傷負傷者1名。騎士団医務室にて対応しています。ただ……傷も深く、厄介な毒まで浴びているため、救命は困難になっていまして……」


 報告を聞いて顔を歪ませるレオンティウス様。


「高度な治癒魔法を使うことができる、シリルを探しにきたのね? でもあいつ、今はいないのよ。隣国との国交会議で国境付近に出張してるはずだから……」


 一騎士のためだけに大事な国交会議に乱入するわけにはいかない。

 目を瞑り右手を頭に添えてどうすべきか考えるレオンティウス様に、


「医務室、案内してください」

 私の声が意を決して声をかけた。



「ちょっ、ヒメ?」

「私が行きます」

「いや、でも君のような子どもが見るようなものじゃ……」

「早く案内してくださいっつってんです!手遅れになる前に!」


 思わず口をついて出てきた乱暴な声に、レオンティウス様と騎士は目を合わせ頷くと「こちらへ」と、私を医務室へと誘導した。



────




 消毒薬の匂いが充満している。



きっちりと引かれたカーテンの向こうでは、数人の大人達がバタバタと忙しなく動いているのが見受けられる。

 おそらく治療に当たっているヒーラーだろう。


 シャーーッ


 勢いよくカーテンを開け入っていく子どもを見て、ヒーラー達は目を見開く。


「ちょっ!! ここは子供が入っていいところじゃないわ!! すぐに出なさい!」


 女性が私の腕を掴むも、私は一向に動こうとはしない。

 そして私は目の前の苦しげにベッドに横たわる血まみれの騎士を見下ろした。


 肩から胸にかけて、鋭い爪で抉るようにバッサリと斬られており、紫色の液体が付着しているのも見てとれる。

 意識を失っているものの、赤い顔を歪め粗い呼吸を繰り返している。

 おそらく、痛みと毒で熱も出ているのだろう。

 初めて見るその痛々しい光景に、思わず顔を歪めてしまう。


「早く治療しなきゃ危険です。どいてください」

 そう言って私の腕を掴む手を振り解こうとする。

 だけど子どもの私の体ではそれがなかなかできない。

 くそっ、早くしないと危ないのに!! 



「出ていきなさい。ここは遊び場じゃないんだ」

 男性ヒーラーが私のもう一つの腕をとる。

 すると「まちなさい」と凛としたハスキーボイスが制止した。


「クリンテッド副騎士団長!! ですが!」

「何か考えがあるのよきっと。この子の言う通りにして。命令よ」


 オネエ口調ながらも威厳のある態度でその場を制するレオンティウス様は、やはり副団長だ。

 ヒーラー達は渋々ながらに私から手を引き、一歩後ろへと下がる。


 やっと解放された。


「ありがとうございます、レオンティウス様」


 そう背後のレオンティウス様に微笑んでから、すぐに口を引き締め、負傷した騎士の体に手をかざす。

 すると水の球が出てきて、騎士の体だけを包み込んだ。


「なっ!!」


 彼らには死にかけの患者が水を浴びせられている異様な状況に見えることだろう。

 でもこれは、れっきとした治療。

 それも、とりあえずの治療ではなく、これからも問題なく生かすための丁寧な治療。


「この国の医療は、魔法で一気に片をつけようとしすぎです。戦闘中でやむを得ない場合は仕方ないですが、こういう重症患者はきちんと処置しなきゃいけません。まずは水魔法で傷口を洗浄、殺菌、表面上の毒を除去します」


 やがて水は泡になって消えると、騎士の血まみれの体から汚れが消えていた。


「次はこの傷口から毒を取り出します」

 言うと私は人差し指でそっとその傷口に触れ、指先から出たスライム状の水が傷口に吸収され、しばらくすると紫色に変化して、騎士の傷口から出てきたのだ。


「これが毒です。誰か、入れ物ありませんか?」

「はい!」

 私はヒーラーが差し出した瓶にその毒を丁寧に流し込む。


「ここからが治癒魔法です。細胞を動かして、傷口がその生命力で塞がるのをお手伝いします」

 言うと、両手を未だぱっくりと裂かれた傷口にかざす。


 手のひらから大きな温かい光が出て、傷口を覆っていく。

 少しずつ少しずつ塞がっていく傷跡に、周りの大人達が感嘆の声をあげる。

 そうして傷は塞がった。


 傷跡は若干残ってはいるが、最後まで綺麗に治してしまうほど私に力はまだないことは、自分でもよくわかっている。


「んっ──……」

 ベッドの上の騎士がゆっくりと目を開ける。


「ここは……? 俺、まだ生きてるのか?」

 そう言いながら肩口に手をやる騎士は、あったはずの開いた傷跡が塞がっていることに驚いているようだった。


「この子が治療してくれたのよ」

 不思議そうに自身の肩口を撫でている男に、レオンティウス様が私の肩を抱きながら言う。


「そんな……、こんな子どもが?」

「えぇ。私たち皆、見ていたもの。それにね、なんてったってこの子は、あのシリル・クロスフォードの【唯一】の【弟子】なんだから」

 そう言ってウインクを一つおとす。


 先生の【唯一】の──【弟子】だと!?


 い・ち・ば・ん・で・し!!


 私はしばしその言葉を噛み締めながらうっとりと酔いしれる。 



「あのクロスフォード騎士団長の!? お嬢さん、ありがとうございます! なんとお礼を言っていいのか……あなたは【天使】か……!!」

 ベッドの上で姿勢を正し頭を下げる騎士。 

 すごい。

 先生の名前の信頼度……!!




「──ヒメ」

 レオンティウスが真剣な顔で少女を見つめる。


「セイレ騎士団副騎士団長として、お礼を言わせて頂戴。騎士を助けてくれて、ありがとう」

 深々と頭を下げるレオンティウス様に、私は目を大きく見開いてから、慌て始めた。


「ちょっ!頭を上げてくださいよ!」

「私たちからも、お礼を言わせてください! 本当に、ありがとうございました!」


 ヒーラー達も一斉に頭を下げる。

 四方八方からお礼の言葉を浴びせられ、私は涙目で「あ、頭をあげてください!」と懇願した。


 褒められ慣れていないと、お礼を言われ慣れていないと、こういうことになる。


 ようやく全員の頭が上がった頃に、私は真剣に話をはじめた。



「ヒーラーの皆さん。傷はどんな傷でも、最初に水魔法、もしくは汲んできたお水で汚れを取り除いてください。そのまま傷を塞いでしまえば、体の中に雑菌は残るだけです。毒も、表面の毒を魔法で除去するだけではいけません。きちんと体内に残ったものも取り除くこと」


 この世界の医療は、魔法が発達しすぎているが故に、なんでも治癒魔法かけて傷を塞げばいいやというものすごく大雑把なことになっている。


 初めて先生に両手のはじけたマメを治療してもらう際、水で洗浄することもなくおこなわれた治癒魔法に私は驚いた。


 ただ傷を無くすだけでは、根本的に意味がない。

 その人自身の持つ治癒力の手助けをすることも大切で、それには衛生は欠かせないこと。


 それを延々と先生に伝えたのも記憶に新しい。

 その時先生は黙ってその理論を聞き終えてから

「……なるほど。わかった。気をつけよう」

 と素直に納得してくれ、それからは必ず水魔法で浄化してくれている。

 

 イケメンか。

 ────イケメンだ。


 そもそも聖魔法を使える人間はとても少ないらしい。

 故に、ヒーラー達は公衆衛生など考え議論し研究する余裕などなく、ただひたすら自分たちの持つ治癒魔法に頼って傷を治してきたのだろう。



「衛生面を考慮しつつ、患者本来の治癒力をしっかり支える治療を期待します。さ、いきましょう、レオンティウス様」

 そういうと、レオンティウス様の腕を掴み、逃げるようにその場から立ち去った。


──── 


 行く宛もなく、とりあえず訓練場に戻ってきた私たち。


「あんたがもうちょっと歳いってたら、きっとあの場にいた皆惚れちゃってたわね」

 残念だわ、とレオンティウス様が笑う。


 20歳ですが何か。

 思っても口にはしない。


「レオンティウス様っていい年なのに婚約者さんとかいないんですか?」


 先生は女嫌いだし、レイヴンは来るもの拒まずだし、この三大公爵家の当主・次期当主の中で婚約者がいそうなのはレオンティウス様ぐらいだ。


 貴族の中では、20ともなるともう結婚していてもおかしくはないらしい。


「いないわよ。私結婚する気があんまりないもの」

 いやぁねぇ、と右手を振って答えるレオンティウス様。


「私には今3歳の歳の離れた弟がいるし、彼が成人したら彼に継がせるわ。私は繋ぎで十分」


「レオンティウス様も、先生と同じで女性嫌いなんですか?」

「いいえ、女性は好きよ」

 けろりと爆弾発言をするレオンティウス様に、私は言葉を失う。


 まじか。

 レイヴンか。

 所詮先生以外の男は皆レイヴンなのか。


「あ、勘違いしないでね、レイヴンみたいなんじゃないから。ただ、私、初恋の子が忘れられなくてね」

 そう言いながらも遠い目でじっと森の方を見つめるレオンティウス様は、少しだけ悲しげに視線を揺らした。


「その子は死んじゃったんだけど、残念ながら、今も忘れられないのよ」

 困ったように眉を下げて私に視線を戻す。


 エリーゼ。

 その名が私の中に浮かんだ。


 皆に愛されていたのだろう。

 聖女エリーゼは。


 彼女はどこまでも、私とは違う。

 少しだけ暗い色のついたモヤがかかるのを、私はすぐに振り切る。


「そう……ですか……」

 私はそれ以上深く追求することなく、言葉を短く返した。


「ふふ。まぁ、シリル達もいるし、この世は女ばかりじゃないわ。時々は思い出に慰められながらも、人生楽しくやっていけるわよ」

 そう言ってふわりと微笑み、私の髪を一束攫うと、チュッと言うリップ音とともに口付けた。


「れ、レオンティウス様!?」


 何?

 今何が!?


 ズザザッッと勢いよく後ずさる私に、レオンティウス様は口元に手を添えて「あっはははは」と大きく笑った。


「あ、そういえば!」

 レオンティウス様は思い出したようにパンっと手を叩くと、色気の籠った視線を私に送り「ねぇ、知ってる?」と続けた。



「────シリルと私、付き合ってるんじゃないかって噂あるんだって」



 ん?────つ・き・あ・っ・て・る?


 意味深に微笑むレオンティウス様の言葉に、私は大きな瞳を見開いたまま、思考が停止したように固まった。



「ふふっ。 じゃぁ、またね、ヒメ」

 レオンティウス様はそう言い残し、手を振りながら訓練場を後にした。


 しばらく経ってから、訓練場で口を開けたまま固まった状態の私は、訓練にやってきたレイヴンによって発見され、その後国境から帰ってきた何も知らない先生は、涙目で大騒ぎする私に意味のわからぬまま問い詰められることになるのだった。

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