願わくば君が幸せであらんことを(仮題)
青依 月
第一幕 その一
名前を呼ばれた気がして、目が覚めた。まだ暗い。ゆっくり起き上がると、今度ははっきり聞こえた。泣き叫びながら私を呼ぶ、子どもの声。
一気に意識が覚醒した。薄い布団を蹴り飛ばして、部屋から飛び出す。声のする方へ、とにかく走る。冷たい床を裸足で駆けるから、ひどく足の裏が痛い。空いた首から冷気が入って、震えそうなほど寒い。それでも止まれない。
声がする、十歳以下の子が押し込められている部屋のドアを力いっぱい開ける。目の前に広がる光景に、腸が煮えくり返るのを感じた。男が少女に殴りかかっている。必死に抵抗しながら私の名を呼ぶのは、レイ。この施設では最年少の子だ。そして、レイに暴力を振るっているのは、この孤児院の院長。
「エトラ! エトラ、レイが、レイがね」
レイと同じく泣きながら私に縋る子の頭を撫で、男に向き直る。レイに覆いかぶさるようにしている男の脇腹を蹴り飛ばした。ああ、少し力が入りすぎたかもしれない。泥のように酔っているようだから記憶が残るか微妙だけど、一応彼女に報告しておこうか。
「あぁ!? なァんだよお前ェ、俺を誰だと思ってんだァ!」
私に蹴られてごろりと転がった男は、ふらふらしながら立ち上がった。そして標的を私に切り替えたようで、こっちに向かってくる。その男にわざとらしい笑みを浮かべて見せてやると、へら、と笑った。おそらくどこかの飲み屋の店員とでも思ったか。これ幸いとドアの方を手のひらで指すと、男は大層怪しい呂律で、また来るといいながら出ていった。二度と来るなよ。
男が自室の方に千鳥足で歩いていくのを確認してから、慌ててレイの方に駆け寄った。
「エトラ、エトラぁ……」
ぼろぼろと泣いているレイを抱きしめる。その時、私の一つ年下のマイカが、部屋に駆け込んできた。
「っは、はぁ、ごめん、エトラ。救急箱探してた」
「マイカ、あのね、エトラがね、レイを守ってくれたよ」
「そっか、よかった……」
随分と息が上がっている。救急箱は決まった場所にあるはずなのに、どうして探す羽目になったんだろう。誰かが勝手に動かしたんだろうけど、そんなことがないように手を打つ必要があるか。
レイの手当てと、すっかり起きてしまった子どもたちを寝かせるのはマイカに頼んで、私は部屋に戻った。今日は十日。仲間と会う予定の日だ。部屋の机の引き出しにしまっておいた手紙に、今あったことを付け足す。再び封筒にしまい、一度机の上に置いた。
寝間着から、なんの飾り気もない白いシャツと、これまたただの黒のパンツに着替える。真っ黒の厚手のコートを羽織り、白い靴下と黒の革製の靴を履いた。コートのポケットに手紙を突っ込み、部屋を出る。仲間と会う時間は夜明け前。空が白み始める頃。それまでもう少し時間があるから、協力者の元へ向かう。
私の協力者はそれほど多くない。この孤児院の子どもたちと、この孤児院出身で今は外にいる仲間。そして、院長の一人娘。彼女は、彼女を溺愛する父親によって無理矢理この孤児院で働かされている。彼女と私達の目標は一つ。この施設を潰すこと。
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