第4話 おはようお化けさん

「ふふ、そこはダメだってエリス」


「ごめんなさいティナ様。でも、もう少しですから我慢してくださいね」


 まだ体をうまく動かせない私は、エリスに逆らうことができない。


 寝る前の体を拭いてもらうこの時間。一日の疲れが取れるようで毎日待ち遠しく思っている。お風呂に入れたらいいんだろうけど、今はまだ無理だから贅沢を言ってられない。


「あん、そんなとこまで」


「もうティナ様、静かになさってください」


「だって……」


(ねえ、どこ拭いてもらっているの?)


(どこでもいいでしょ! それよりも絶対に見ないでよね!)


 あれから数日経つけど、体を拭いてもらっているときに、こいつは私の方を見ていないらしい。まあ、どこにいるのかもぼんやりとしかわからない奴のことだから、実際には見ているのかもしれないけどね。

 ただ、地縛霊じゃないにしろ人間ではないのは確かなんだから、そこまで気にしてもしょうがないかなという気はしている。お化けが私に欲情するなんてことはないはずだ……たぶん。


「はい、終わりました。服を着ていただきますので、手を上げてもらえますか」


 目が覚めてからの私は、まだベッドから下りていない。体を動かし始める前に、これまでほとんど動かしてこなかった関節を柔らかくする訓練をやっている。それも今日で終わりで、明日からは少しだけど歩行訓練をやる予定だ。

 予想より早くできるのは、私が眠っている間に関節が固まらないように動かしてくれていたエリスのおかげなんだって。

 可愛いし、キュートだし……一緒の意味だけどほんとにキュートで可愛くてかいがいしく尽くしてくれるエリスは、私が男だったら絶対にお嫁さんにしたくなるタイプだ。

 んー、男じゃなくてもお嫁さんにしちゃおうかな、これだけ尽くしてもらえたら誰だってほだされちゃうよ。


「どうしましたティナ様。腕上がりませんか?」


「あ、ゴメン。頑張ってみる」


 足の訓練は明日からだけど、腕の方はエリスの協力で動かす練習を続けている。その甲斐あってか。少しだけどあげることができるようになっているんだ。


「もうちょっと……はーい、そのままで――――はい! よくできました」


「ありがとう、エリス」


(ユキちゃんえらい! 上手だったよ)


(上手だったって……お前どこから見てた!)


(バンザイするところから)


(バンザイって……やっぱ、見てんじゃねえか、このエロがっぱ!)


 こんな感じで、賑やかな毎日を過ごせている。

 どうして自分がこうなっているのかわからないけど、前に進んでいくしかないんだよね。






(おはようユキちゃん)


(おはようお化けさん)


(お化けじゃないもん!)


(そう言っても名前がわからないし、ほかに呼びようがないから仕方がないじゃない)


「おはようございますティナ様。今日もいい天気ですよ」


 あれから一か月以上過ぎているけど、起きたら元の世界に戻っているということもなく、相変わらずティナという少女の体での生活を続けている。あまり考えたくないけど、もしかしたら、ずっとこのままかもという気もしている……


「おはようエリス。また手伝って貰えるかな」


 まだ一人では歩くことはできないけど、ようやくトイレには行かせてもらえるようになった。ただ、ここには地球でリハビリに使う歩行器というものが無いようなので、荷物を運ぶためのワゴンを借りて、それに掴まって歩いていくことにしているのだ。

 もちろん、エリスに体を支えてもらわないと進むことすらままならないけど、歩けるようになるためだ。辛いけど頑張っていかなくちゃ。春川有希に戻れるかわからないけど、黙っていても仕方がない。寝たきりのまま、ずっと待っているなんてまっぴらごめんだからね。


 一歩一歩、地面を確かめるように足を交わしていく。

 当然ゆっくりとしか歩けないので、トイレに行きたくなってから動き出しては間に合わない。だから、そろそろかなというときに、エリスにお願いすることにしている。


「ティナ様、いい調子ですよ。まだ、大丈夫ですか?」


 大丈夫じゃないときは、エリスがまだ体重が戻らない私を小脇に抱えて運んでくれるって言ってくれるんだけど、今のところお願いしたのは一度だけ。


「うん、大丈夫」


(頑張れー、ユキちゃん!)


 やはりこいつは地縛霊ではなかったようで、私が部屋を出るときには当たり前のようについてきた。

 どうもりつかれているのは私自身らしい。そして、私から半径5メートルぐらいのところから離れることができないみたいで、その範囲でうろうろとしている気配を常に感じている。


「ふう、やっと着いたよ」


 この家はとても大きいから、トイレの場所も部屋から遠くてなかなかの訓練になる。


「それでは行きますよ。いいですか?」


 トイレの入り口が狭くて、中にワゴンが入らないから歩いていかなければならない。当然一人では無理だからエリスの手を借りていくんだけど、名前もわからないこいつは入り口で待っていてくれる。


(女の子だから恥ずかしいよね)


 今でこそこう言うけど、最初の時、当たり前のように中についてきたときには、家じゅうの塩を搔き集めてぶっかけようかと思ったものだ。

 しかし、トイレの位置が入り口から5メートル以上離れてなくてよかったよ。なんせ、ここは貴族のお屋敷だ。部屋という部屋がとにかく広い。

 エリスによるとご当主様が使うトイレはここよりも広いって言うから、半径5メートル以上の広さがあるのかもしれない。そうなると、こいつがいる前で用を足さないといけなくなる。それだけは御免被ごめんこうむりたいものだ。


「はい、上手ですよ。いちに、いちに。もう少しです。頑張って!」


 エリスに励まされ、一生懸命に足を交わしていく。支えてもらっているエリスに比べても私はまだ痩せっぽっちだ。早くエリスみたいにふんわりとした体になりたいな。


「はい、それでは終わられたら声をかけてください」


 エリスはいつも終わるまで外で待ってくれる。気が利くし、ほんとエリスには頭が上がらない。


 用を済ませ部屋の戻る途中、アメリ―さんが階段から上がって来るのが見えた。


「ティナ、頑張っているわね。エリス、私にも手伝わせてもらえるかしら」


 アメリ―さんは本当にいい人なんだよな。鏡を見た私の顔とそっくりだから、この体の女の子と親子というのは間違いないと思う。でも、その記憶は私にはない。

 お母さんって呼んであげたら喜ぶのはわかっているけど、中途半端な気持ちでそれをやるのは失礼な気がするんだよね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る